これまでの香港人の抵抗以上に、逃亡犯条例改正案に反対する闘いは、もはや中国の窓口としての香港を必要としない世界における香港の位置付けの苦しさを物語っている。
英国から中国へ香港が返還されてから20年間、香港は西側のネオリベラル・グローバリズムと中国の専制主義的国家資本主義の間の橋渡しをすることで、その中間的存在を正当化してきた。しかし、そういう存在形態に伴って民衆が払う代償はひどいものだった。
香港を世界有数の金融ハブ―そして中国資本にとってのプライム・アウトレット―にしてきた国家とビジネスの癒着のために、ジニ係数が非常に高くなった。 貧困ライン以下の生活をする人は5人に一人。狂気的家賃高騰のため、大学卒サラリーマンは17年間給料を全額貯金してやっとアパートメントの頭金になるという状態。
そういう中で一般香港人は、香港が中国本土エリートの「世界の窓口」である限り、自分たちの文化・言語、生活様式は不安定ながら守られるのではないかと感じてきた。 丸ごと中国に呑まれるよりはその方がマシだと思ってきた。
その窓が今や閉じられつつあるのだ。中国はもう香港に頼っていないということは、西側世界も同じであるということだ。
1990年代―香港のGDPが中国のGDPの4分の1もあった時代―の香港の進歩的政治家が抱いていた抱負、つまり香港が中国本土に自由民主主義を導入するという抱負は、今となっては馬鹿々々しく思える。 現在では中国のGDPは香港のそれの30倍も大きく、むしろ中国が自らのイメージに合わせて香港をモデルチェンジする立場にある。 返還後の20年間で中国は徹底的に香港の主要機関や制度を取り込み、香港の寡頭を買収し、独占企業を管理下に置き、香港民衆にとって何のメリットもない大型プロジェクトの議会に強硬裁決させ、かつての宗主国が残した機構をリサイクルして権威主義的政治を実現してきた。
一般民衆はこの変化を怒りの抗議とあきらめの順応という複雑な感情で対応してきたが、心の底では最終的には何らかの政治的解決が成立するだろうという淡い望みを抱いていた。しかし、2014年雨傘運動―普通選挙を要求して人々は79日間も街頭占拠した―の挫折で、この淡い期待が吹っ飛んだ。
それに今年の民衆デモに対する中国政府公認の警察暴力のエスカレートは、香港人の危惧を裏打ちした―中国当局は最終的統合のとき、香港人の生活を毛頭考慮しないという危惧を。
「自己香港自己救」―香港を救えるのは香港人だけだという共通スローガンがある。それは呼びかけであると同時に香港の孤立的存在の苦し気な表現でもある。 またそれはグローバル・ネオリベラリズムの「自由を守る」という空約束をも指摘している。中国政府が香港デモの背後に西側のスパイの策動があると非難しているが、西側が介入している徴候はまったくない。
抗議者は「人民外交」―外国新聞に意見広告を出したり、主として英米の政治家にロビー活動を展開してきたが、その反応は形式的なものであった。それもトランプ大統領のデモは「暴動」であるから「中国政府はそれを粉砕してよい」という発言でご破算になった。
グローバル・ネオリベラリズムがアジアの資本主義的小砦のSOSに応えないことは明らかである。 それはグローバル搾取の利己的論理であって、国境を越えて助け合う枠組みではないからだ。
むしろネオリベラリズムはやや衰退し、新しい国家主義的・専制主義的資本主義にとって代わられつつある。しかも首尾一貫した国際的左翼勢力の不在の中でそれが起き、その中で香港危機が起きているのだ。一つ香港だけでなく、世界の危機であろう。
「光復香港、時代革命」というスローガンもあるが、「光復」」は「回復」という意味を含み、前を見ているのか後ろを見ているのかはっきりしない、イデオロギー的混乱を表している。
今の香港をポスト植民地領の解放のように、西側世界の自由化フレームでイメージするのは不可能であるばかりか、危険でもある。 香港人は自らの歴史性に基づいて、自らの故郷に対する確かな未来ヴィジョンを開発しなければならない。それも世界の政府ではなく世界の人民と連帯して、反ネオリベラリズム、反国家主義的専制主義的資本主義的なヴィジョンを開発しなければならない。
700万人口の小さな都市の力だけで自分たちを縛る巨大なヘゲモニーから解放されることはないだろう。 しかし、彼らの闘いはそういう構造を解体しょうという呼びかけになる。 民族国家という資本主義的モデルを超える社会を作ろうという呼びかけになる。 バーニ・サンダースのいう「国際的進歩派戦線」構築への具体的呼びかけとなる。 それは長い道のりだが、その方向しかない。