(以下は、ギリシャ出身の政治学者C.J.ポリクロニューが、インド出身の歴史研究者・ジャーナリスト・評論家のヴィシャム・プラシャドに、最近特に米国で復活している社会主義(または民主社会主義)について、意見を聞いたもの。 出典:Truthout 2019.7.10
ポリクロニュー:1800年代半ばから20世紀第三四半期まで、社会主義は資本主義に対する強力で実際に存在するオルタナティブとして存在しました。しかし、その社会主義は、今でも議論の種になっている様々な理由によって、危機に突入しました。社会主義挫折を説明できる主だった政治的・経済的・イデオロギー的要因について話してください。
プラシャド:第一に理解すべきは、「社会主義」は単なる思想集合体とか政策枠組みなど、そういう類のものではないということです。社会主義は政治運動、階級闘争で労働者が優位に立ち、労働者にとって有利な諸制度、政策、社会的ネットワークが整備できるような状況へと進む一般的道筋です。この政治運動が弱くて、労働者が階級闘争で劣勢に立っているときは、「社会主義」を語ることができません。だから、労働者―人類の圧倒的多数者―が自らの力の源泉を失ったのかを、しっかり検討する必要があります。
私の考えでは、一番の問題はグローバリゼーション―労働者の力を弱めてきた構造的・主観的な発展です。それについて考えてみましょう。 重大な構造的発展が三つありました。第一は、通信、データーベース管理、交通におけるテクノロジー大革新で、それによって企業は世界的規模で事業を展開できるようになりました。この時期のグローバル商品連鎖のおかげで、企業は生産体制を分散―構成単位ごとに工場を分けて、世界各地に配置したのです。第二は、第三世界が債務危機に陥り、民族解放国家、例え微力であっても国民のために発展の道を試みようとしたアフリカ、アジア、ラテンアメリカの国々が弱体化したことです。債務危機でIMF主導の構造調整が実地され、何億人もの労働者が国際資本に従属し、新しいグローバル商品連鎖の労働力となりました。第三は、ソ連と東欧ブロックの解体と中国の変貌おかげで、国際資本は何億人もの労働者を獲得できた。グローバリゼーションで、大工場に多くの労働者が働く工場形態が崩壊、そのため労働組合が弱くなった。事業の国有化が難しくなり、民族解放国家が弱体化した。裁定取引(訳注1:市場間、現物、先物の価格差から利益を得ようとする取引)がはびこり、生産労働現場では、労働条件、賃金、社会的給付などが最低に水準に向かう底辺への競争が労働者に押し付けられました。労働者はこれらの構造的発展がもたした惨めな状態からまだ回復していませんし、労働運動が著しく弱くなりました。
労働組合の数も組合員の数減少、労働者階級の力の貯水池が枯渇しました。国際的には民族解放国家もグローバル資本に打ち負かされました。労働者の力という裏打ちがないと、どんな立派な社会主義的思想も信頼性を失い、学界もメディアも相手にしなくなります。代わって右翼思想が受け入れられるようになります。かつて語られていた社会主義的未来はもう語られることはありません。
社会主義は隷属への道であるというフリードリヒ・ハイエクの説が右翼ばかりかポストモダニズムの一般定理になりました。資本主義を超える何か、つまり社会主義的な未来像がないと、下手な修繕だけの改良政治だけになります。それでは絶望的です。貴重な時間を犠牲にして政治運動に参加して得るものといえば、給付が僅かいあがるだけでは、やる気が起きてこないでしょう。そういう情況の中で右翼化が生じるのです。
右翼はアイデンティティに基づく未来、レイシズムと家父長制に基づく仲間意識を提供します。少なくとも未来への希望を提供します。労働運動も政治運動も、社会主義という未来社会の理想がなくては、長続きしません。
ポリクロニュー:西洋では社会主義の主流は社会民主主義でしたが、今ではそれはほぼ崩壊しています。一方、特に米合衆国見られる現象ですが、民主社会主義がカムバックしているように見えます。民主社会主義と社会民主主義の違いは何ですか。
プラシャド:「民主社会主義」(マイケル・ハリントン/バーバラ・エーレンライクに由来する)と「社会民主義」(ヨーロッパのマルクス主義運動に由来する)の違いは場(米国vsヨーロッパ)と政治の違いです。
ヨーロッパのそれはマルクス主義を指導イデオロギーとする政党を組織しようとした労働組合運動から生まれました。それらの政党が第二インターの核となり、その絶頂期は19世紀後半でした。象徴的な政党はドイツ社会民主党でした。社会民主主義と左翼が決別したのは、社会民主主義政党が漸進進化論的社会主義実現説(ベルンシュタインがこの修正主義の理論的創始者)を採用し、その後第一次世界大戦に賛成したからであった。それまでは彼らもマルクス主義政党で、ヨーロッパとロシアの政治的左翼陣営を構成していました。
冷戦時代には入ると彼らは共産主義に反感を抱くようになりました。民主社会主義も反共産主義的政治的伝統を発展させました。冷戦時代は両者とも反共産主義だったのです。今日では、両者と共産主義との間のギャップは小さくなっています。
そもそも左派全体が弱くなっているので、社会民主主義、民主社会主義、共産主義、無政府主義の差にについて議論をすることは、自己陶酔的ナルシズムに見えます。左翼は、いろいろな進歩派や革新的思想に対し心を開くことが大切です。必ずしもみんなが根本的に統一する必要はありません。しかし、共通の課題、共通の闘いを持っているという認識は大切です。相互に異なるということも大切なことで、違いは尊重されるべきです。そういう違いは敵対的相違ではなく、同志間の違いだからです。残念ながら、西洋の左翼は考え方が異なるだけで対立し、セクト的傲慢さ・セクト的憎悪のために分裂していて、極右に対して有効な闘いを組めないように思えます。
ポリクロニュー:社会主義という言葉がタブーであった米国で、若い人々が民主社会主義を標榜する時代になりました。これをどう考えますか。
プラシャド:率直に言って、社会主義傾向だけを力説しない方がよいと思います。社会を砂漠化したネオリベラル政治への反感が生まれたのは確かですが、生まれたのは社会主義的傾向だけでなく雑多な政治姿勢が生まれています。
政治不信もその一つで、投票率の低下がその表れです。不安定な生活の中ですっかり疲れ切った人々です。他に一方では極右、他方では社会主義という二極分解も生じています。ネオリベラリズムへの不信と怒りから自動的に社会主義へ進むわけではないのです。社会主義は努力して建設すべきものです。並大抵の努力では足りません。日々有毒文化に毒され、疲労と不安定で消耗している労働者は集会にも来ないので、社会主義政党を作ること自体が容易ではありません。
社会主義運動を発展させるには大衆の政治教育が大切ですが、そもそもそれが困難なのです。それに 現実にある社会主義運動は、必ずしも現在の状況や問題に根ざした価値意識で以て動いていないという意味で、時代錯誤的です。むしろ彼らのもつ価値意識は旧時代的ヒエラルキーに根ざしていて、支配階級の価値意識に近いです。本来は、お互いに水平的姿勢で接し合うべきなのに、社会主義運動主流派の目から見ると、そういう姿勢は自由奔放に見えるのです。水平姿勢が定着するには長い時間がかかります。
私がこういうことを言わねばならないのは、過去一世紀間社会主義オルガナイザーは同時に二つのこと―労働者階級の中にいること、その時代の有毒文化の外に位置すること―をしなければならなかったことを思い起こしてほしいからです。同時に二つのことをするためには、みんなと仲間であるという姿勢と、私たちが相続している偏った文化に対し厳しい態度をとることが要求されます。これは困難な義務ですが、見くびってはいけません。社会主義運動をその苦闘を百年間続けてきて、まだ克服できていないのですから。
ポリクロニュー:これまで社会主義は基本的に労働者階級の人々が力の源泉でしたが、最近の情況は少し変わってきたように見えます。むしろ社会的周辺部に位置する多元文化やアイデンティティ政治が進歩的政治運動の原動力になっています。社会主義が伝統的に信望してきた普遍的価値観と、多元文化やアイデンティティ政治が追求する政治的アジェンダとは一致し得るのでしょうか。
プラシャド:階級を無視する社会主義運動はあり得ません。不安定労働者プレカリアート や土地のない農民労働者の問題を取り上げることは、階級闘争の中核的課題です。労働者は抽象的存在ではない。良い意味でも悪い意味でも文化的アイデンティティを持ち、労働者内部の身分制やヒエラルキーとも闘わなければなりません。
だから、階級かアイデンティティ政治かという二者択一的議論には意味がありません。大事なことは政治方針です。私は現在見られる多元文化主義運動やアイデンティティ政治にはブルジョア的傾向があると思います。例えば、個人的出世が出来ないのを差別だと論じる多元文化的政治は明らかにブルジョア的です。他方、レイシズムや家父長制を取り上げない社会主義政治、カーストや外国人嫌悪を無視する社会主義政治は、プレカリアートや土地のない農民労働者の実際の苦しみや要求を反映していません。
階級的性格を備えたアイデンティティ政治が必要でしょう。例えばインドでは社会主義を求めると同時にカースト制度に反対しないような社会主義運動は成り立ちません。西洋では人種問題に取り組まない社会主義運動は成立しません。マルクスは資本論の中で「労働は、黒い皮膚に烙印が押されている限り、白い皮膚のままで自分を解放することはできない」と書いています。これは社会主義運動で当たり前のことですが、必ずしも正式な理論に高められたこともなかったし、実践されたこともありません。本当はもっと理論化され、実践されるべきだったのですが。階級政治とアイデンティティ政治を並列したり、階級政治の方が普遍的だと仄めかすようなやり方には意味がありません。労働者階級の運動は社会的ヒエラルキーに反対する政治を採用し、それに従って実践すべきです。
ポリクロニュー:自らを民主社会主義者と自認している政治的指導者が政権の座につくと仮定しますと(訳注2:バーニー・サンダース上院議員を念頭に置いているのだろうが、サンダースは「パレスチナ以外で進歩派」と言われる親イスラエル的人物で、国内問題では進歩的だが、対外関係ではそうでもない。他に4人のグリーン・ニュー・ディール運動を行っている非白人女性議員がいるが、彼女たちは草の根運動派である)、21世紀の社会と経済の要請に応えるような政治目標は何でしょう。換言すると、今世紀の社会主義はどんなものになりますか。
プラシャド:早急にやるべきことは、救出作業です。社会的余剰を飢えや非識字の解消、社会・経済生活の根本問題―気候破局や失業の解決に向けることです。それを行うために必要な資金はあります。しかし、それを得るためには階級闘争の先鋭化がなければなりません。富豪たちはこの50年間納税や投資に関してストライキをやってきました。税金逃れでタックスヘイブンへ隠したカネは数十兆ドルになります。社会発展につながる投資もしません。投資はグローバル商品連鎖の下請け業者に任せきりです。生産部門への投資をしないので、本来の意味での金融世界は不活性です。投資ではなく、際限のない博打に使われるに使われるのです。租税回避地や博打からカネを取り返し、飢えや非識字など社会的虐待をなくすために投入し、化石燃料産業の転換やそれから生じる失業の手当てに使わなくてはなりません。私たちが力を持てば、単にサプライズ選挙に依存しないでも、サプライズ選挙を勝たせたプレカリアートや農業労働者の力が恒常的に結集できれば、出来ることがたくさんあります。社会政策を行政庁から貧しい労働者の家庭へと移す、組織された大衆的力がない限り、いくら選挙に勝って政権を握っても、大したことはできないでしょう。