「女はバカだ」ではなく「女は人間」で、「人間は優秀であろうが、バカであろうが権利を持って生き ている」という風でなければおかしい――栗田隆子
著者は人民新聞で連載を続ける栗田隆子さん。自身を、母でもなく、妻でもなく、「カルメンのように男性を惑わす愛人」でもなければ、職業的な成功を果たした女性でもないとしたうえで、啓蒙や論破ではなく、「ぼそぼそ」つぶやくようにフェミニズムを展開している。
労働・貧困については、社会問題ではなく「甘え」とされたり、「低賃金で女、子どもを養えない」と男性の問題とみなされてきたフリーター問題や、既存の社会を追認する大人の欲望に新卒の学生が絡め取られていく「シューカツ」、「自立」という言葉の強迫性などが取り上げられる。著者は「わからない」と疑問を抱え続け、感情を否定せず、慎重に言葉にしながら考察を進める。不登校や博士課程の中退、うつ状態を経験した著者は、努力や自己決定ではなく、「社会の従順なコマにはそうそう簡単になれない、ならない体や心」をよりどころに、「愚かさ」「弱さ」を帯びる存在は尊重しなくてもいいのかという根源的な問いに到達する。
話題は、フェミズムや社会運動との関わりの中で生じる疑問にも及ぶ。世代間で女性の労働問題が共有できない場合もあることや、社会運動の中で生じたセクハラが問題視されにくいこと、「MeToo」への違和感とその氷解を、著者自身が戸惑いや憤りを抱えながらも、それらに関する人びとの語りや自分の感情を紐解き、平易な言葉を重ねていく。
今まで議論の俎上に上げられてきた、能力のある女性が男性社会によって活躍を阻まれる「ガラスの天井」や、少子高齢化とセットで語られる保育所不足問題とは別の視点を持つ本著。日頃からフェミニズムに関心を持つ人には新たな問いを、フェミニズムや労働問題が気になりながらも、自分ごとと思えず、敬遠する人にも入り口となりうるのではないのだろうか。
「ぼそぼそ」問うことが、読んだ人に伝播し、広がっていくことを期待する。