ゴシップ・ガール エメリー・ジャナキラム 原典:Verso Blog, 2019,4,12 翻訳:脇浜義明

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(以下は、マルクス主義フェミニストであるシルヴィア・フェデリーチは、魔女狩りを闘う女性に対する組織的な虐殺であるとするCaliban and the Witch(邦訳書『キャリバンと魔女―資本主義に抗する女性の身体』以文社、2017)を書いた。その本と他のフェデリーチ論文に関して、Versoのエメリー・ジャナキラムが労働者と女性の連帯について論じたもの。  

フェデリーチはイタリア生まれだが1960年代から米国で生活。黒人解放運動に協力、「家事労働に賃金を」国際ネットワークを立ち上げた。  

キャリバンも魔女もシェイクスピアの作品に脇役として登場するが、フェデリーチは、キャリバンに植民地主義に対して反乱する奴隷労働者、魔女に異端者、賢者、反乱女性を表象させている。  - 訳者)

マルキストのシルヴィア・フェデリーチは自著『キャリバンと魔女』で、魔女狩りは女性―とりわけ低階級女性、助産婦、あるいは知識ある女性の虐殺、つまり急速に発展する資本主義諸国において、家父長制や権威主義的体制に抵抗する女性に対する大量殺戮という組織的運動であったと論じている。同書を読んだ人は彼女の新論文集「魔女、魔女狩り、女性」(Witches, Witch Hunting and Women, PM Press, 2018)を読んでも、特にあっと驚くようなものを発見しないかもしれないが、時機を得た出版であり、彼女の主張の真髄を抽出した論文集である。現在の労働者階級のフェミニズム運動にとって重要な意味を持つからである。  

中世時代後半市場志向型農業が急発展、このためいつでも補充できて容易に搾取できる労働力のプールが必要となった(この必要は黒死病による人口減でより切実になった)。英国ではエンクロージャーの形をとった。この土地囲い込み運動は小農地や公有地(コモンズ)を、農地の生産物に対して独占権を持つ不労所得生活者の私有財産に統合していった運動である。土地を追われた人々は生きていくために賃労働を選択せざるを得なかった。同じよう、女性は夫に依存し、家庭内で無報酬労働として、社会的再生産を担わざるを得なかった。  

女性は、その後も続く貧困と不安定の中で、二重三重の打撃を受け、ギルドや職業から排除され、コモンズの私有化のために男性から独立して生活する力を失い、男性労働者の賃金を通じて従属的な再生産労働を行った(フェデリーチはこれを「賃金の家父長制」と呼んだ)。そのうえ食料や生活必需品の価格高騰のために、女性の最下層階級化という現象が生まれた。未婚や寡婦老女、子どもがいないか、いても親を扶養する力のない子どもである老女は、この剥奪の矢面に立った。その結果、物乞い、宿無し、浮浪者が増えると、今度はその状態が犯罪とされた。現代刑務所、救貧館、債務者投獄の先駆けである。

魔女の姿と残酷な魔女狩りは、女性と女性に潜在的に備わっている行動、家賃や税金の支払い拒否から生殖機能抑制を行使したり他人のものを盗むなどの行動を監視して取り締まるために登場した。中世の絵画や文学に描かれた魔女の集会(訳注1:14世紀半ばの宗教裁判の記録に表れたキリスト教伝説。悪魔の貰った山羊に乗って女性が集会に参加する光景が描かれている)「性的逸脱を伴った階級的反乱を伝えることが魔女の集会の表現の基調であった。それは性的乱痴気騒ぎであり、反抗的政治集会として描かれた。悪魔が魔女たちに主人に反抗せよと唆しているのである」と、フェデリーチは『キャリバンと魔女』の中で書いている。イヴの子孫である女性は本質的に気紛れで、凶暴性があり、破壊的な存在とされた。それを制御して、出産、子育て、一般的な社会的再生産に方向づけるのは、男の役目とされたのだ。

ゴシップ

フェデリーチはこの男性による女性制御―家父長制の基となるもの―を見事に描いている。「ゴシップの意味について」(On the Meaning of Gossip)という論文で、この性差的概念を表す「ゴシップ」という語の歴史を辿っている。元々「ゴシップ」は女性の女友だちを指示する普通の語であった。「近代初期の英国では、出産時には助産婦だけでなく仲間の女性たちも付き添っていた。『ゴシップ』はそういう女性を指した。やがて、女性の女友だちを意味する言葉となり、必ずしも軽蔑的意味合いはなかった。これは当時の女性の生活を反映していた。」   

農村でも都市部でも女性の生活は男性に依存していなかった。自分の仕事や活動を持ち、それを仲間の女性と分かち合っていた。縫物、洗濯,お産などを他の女性に囲まれて行った。男性は立ち入り禁止であった。女性の自立領域は正式に認められていた。  

しかし、資本主義への移行とともに、ゴシップ又は女性間の共同が疎まれ始めた。「ゴシップ」は女性の女友だちという偏りのない普通の言葉から、今日知られているような意味を帯びるようになった―怠け者で、性悪で、意地悪の女性が怠けて、性悪で、意地悪に時間を浪費するという意味になった。女性が女友だちを持つのは夫の権威への挑戦と見られた。夫への忠誠が第一とされたのだ。

実際、夫に従わない女性にとんでもなく残酷な罰が開発されたのは、資本主義への移行期であった。悪名高い「鉄の枷」もその一つで、「ゴシップ」の意味内容が変化したことを物語っている。これは金属と皮で造られ、内側にスパイクがあるくつわ状のもので、「うるさい」女性の頭にかぶせて一部を口の中にねじ込み、女性が動いたり口をきいたりすると舌がもぎ取れることもあった。  

こういう罰は社会秩序に従わないと見做された女性に課せられた。そういう女性はまさにその社会秩序のために不安定な生活に追い込まれた人々であった。彼女らは魔法を使うと責められた。フェデリーチは懲罰椅子という道具のことも書いている。これは服従しない女性を縛り付けて水に浸す拷問椅子で、他の処罰に比べると比較的軽い。魔法を使うとされた女性は、投獄、拷問、強姦、絞首刑、断頭などに処せられた。家父長制への従属と資本主義への従属は車の両輪で、一方への反逆は他方への反逆であった。

ネオリベラリズム、新エンクロージャー

次に述べるネオリベラルへの移行期の歴史は、女性の「ミー、トゥー」運動(訳注2:♯MeToo。セクハラ被害を告白・共有する女性たちのネット運動)とストライクや組合作り運動が盛んになった現代の政治的・社会的風土にとって重要な意味がある。これはすでに1970年代のネオリベラル移行の頃から続いている。低賃金、露骨な搾取、セクハラがはびこっている職場で働く女性―農業労働者、病院労働者、教員、看護師、サービス産業労働者―を中心とする現代の闘いは、フェミニズム運動と反資本主義闘争との同時性を明確に示している。  

レーガン時代のネオリベラル・プロジェクトとヨーロッパの初期資本主義期とがよく似ていると、フェデリーチは考えている。レーガン時代以降社会セーフティー・ネット、公的資金によるインフラ、労働組合などの解体と並んで、女性やマイノリティ民族が苦労して勝ち取った諸権利へのバックラッシュが続いている。大衆の思考と行動を操作するソーシャル・エンジニアリングを通じて、「一般米国人」(つまり白人中産階級の米国人)はキリスト教と「家庭の価値」信仰へと復帰させられ、それがネオリベラル新時代のイデオロギー的土台となった。やっと勝ち取った生殖権への攻勢、家庭の外で働く女性や経済的自立する女性への攻勢は、モラル・マジョリティ(訳注3:1979年に設立された保守的宗教組織)のような保守反動勢力の応援を得て、搾取し易い不安的労働力の創出に役立った。

セクハラは、女性が外で働いたり大学へ通うために支払わなくてはならない代償となった。貧窮黒人やラテン系地区にコカインが流れ込む仕組みを作り、麻薬戦争で大量投獄が行われているのは、緊縮政策によって貧しい人々、とりわけ黒人とラテン系が多重的に苦しめられている結果である。しかも、いやらしいことに、「ウェルフェア・クイーン」とか「自助努力」とか「モデル・マイノリティ」などの言葉を作りだして、貧乏人の迫害を正当化しているのである。

女性連帯は労働者連帯

こういう政策―緊縮政策、フェミニストや黒人などに対する反動的イデオロギー攻勢、貧困の犯罪化、労働力の破壊―を統合すれば、これまでにない規模で女性やマイノリティを不安定で搾取し易い下層階級に仕立て上げることができる。フェデリーチが取り上げた時代と同じように、レーガンのネオリベラル移行期の利益とグルーバル・ヘゲモニーへの野心(両時期で略奪と征服という帝国主義的運動があったが、レーガン時期はリアル・ポリティークを活用したもっとスマートな形を取った)が、現代の女性、特に周辺化された女性への戦争に繋がっている。反動への回帰は新たな「コモンズ消去」のイデオロギー的土台として働き、貧窮女性へのさらなる剥奪と迫害を促進した。  

2017年「メディアのゲスな男たち」(訳注4:ミー・トゥー運動の一環で、モイラ・ドネガンという女性ジャーナリストが作成したセクハラ告発された有名人たちリスト)が発表され、メディアの幹部、助言者、エージェント、上役、管理職、教授、その他権力の座に座る男たちの性犯罪が公開された。セクハラを糺す正式な方法が目に見える形で存在しないので、女たちはアングラ的呟きとネットで自己防御に出たのだ。

このミー・トゥー運動は、女性が生涯にわたって男性に依存せざるを得ない家父長社会における性の問題に関し、変革的議論を巻き起こした。最初はエンターテインメント界の大物が槍玉にあがった。映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタイン、コメディアンのルイス C.K,トークショー司会者チャーリー・ローズ、経営者のローリン・スタインなどが常習的セクハラを告発された。被害女性がかなり豊かで社会的地位のあるセレブで、告発の仕方も刑法に依らない非公式なやり方だったので、ミー・トゥー運動は金持ち女性の気まぐれ、世間の注目を浴びたい動機から他人の一生を破壊するもの、という批判もあった。皮肉にも、ミー・トゥー運動は魔女狩りに喩えられた。実際の魔女狩りは反逆女性を弾圧する暴力的社会的支配に使われたという事実を無視する喩えである。  

この女性間連帯、自らの歴史の共有―ゴシップ―は労働運動にとって重要であった。労働者階級が以前と比べて不安定になっていく社会にあって、資本主義的搾取に対する抗議を行ったのは、低賃金と劣悪労働条件ばかりでなく性的搾取に苦しむ女性労働者であった。

全国女性農業労働者同盟(Alianza National de Campesinas)エンターテインメント界の女性たちに呼びかける公開状を出し、ミー・トゥー運動への連帯を表明したばかりでなく、自分たちのような弱い立場の労働者が日々直面している性的犯罪をも明らかにした。家政婦労働者で全国家事労働労働者同盟の「黒人の夢」プログラムの指導者であるジューン・バレット、そして全国女性農業労働者同盟副会長のミリー・トレビーニョ=ソーセダが、ミー・トゥー運動が女性間連帯を高揚させたおかげで、自分たちの組織運動が大きく発展しているという記事を書いた。2018年、世界的なブランド・ホテルを経営するマリオット・インターナショナルで働くハウスキーパー―主として有色人で、その多くはいわゆる不法滞在労働者―が、米国史上最大のホテル労働者ストを打った。低賃金と客によるセクハラに抗議するストであった。結果、昇給と客のs久原に対する非常ボタン制度を勝ち取り、マリオットにセクハラ経歴を持つ客を宿泊させないという方針を採用させた。また、マクドナルドの労働者も同じように低賃金とセクハラに抗議するストを行った。売上数10億ドルのマクドナルドは女性労働者に対するセクハラは長い間見て見ぬ振りをしてきた。また、1970年代以降最大の教員ストもこの年にあった。主として女性教員主導のストで、低賃金、学級崩壊、学級定員の肥大に抗議するストが、ロサンゼルス、ウエスト・ヴァージニア、ヴァージニア、コロラド、オクラホマ、アリゾナで起きた。また、カルフォルニアでは看護師スト。続いてニューヨークの看護師スト。これらのストの成果は様々だが、ストによって米国労働者の不安定な除隊、とりわけ女性労働者の不安定さが明らかになった。  

この労働者間連帯こそが、ゴシップの究極的政治力を証明するものだ。フェデリーチは次のように書いている。    

現在の意味では、「ゴシップ」は無意味な雑談のようなもので、多くの場合話題にした対象を傷つけるもの・・・他人の悪口を言って喜ぶもの・・・公共性を意図したものでなく、他人の評判を貶めるもん、従って明白に「女性トーク」を意味している。多分他にすることがなく、本物の知識や情報へのアクセスもなく、事実に基づ く合理的談話をする能力を構造的に欠如しているので、女性はゴシップする、と考えられている。かくして、ゴシップは女性の下落した人格と行為を表す特徴とされている・・・女性を貶める要素・・・悪意を持ち、他人の所有物と力を妬み、悪魔の囁きに耳を貸す女性というステレオタイプが創り出される。  

こういうゴッシプの意味は、男性が家庭、裁判所、学校、職場で女性に生き方に関して決定権を持つこの世界では、女性を沈黙させる戦略以外の何物でもない。経験の共有は労働者と女性の連帯にとって重要な要素である。中世後期の農民女性がゴシップ束縛や首つり縄に勇敢に立ち向かって、反エンクロージャー暴動に参加したように、シェラトン・ボストンの女性労働者たちは逮捕や国外追放の可能性に勇敢に立ち向かって、セクハラと低賃金にノーと声をあげている。女性は労働者階級のバックボーンである。労働者階級が沈黙すると資本の勝利となる。だから、私たち女性は絶対に沈黙しない。ゴッシプを続

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