フォトグラファーの山本英夫さんは、1989年5月から沖縄を訪れ、95年から沖縄・日本各地の基地・軍隊を撮影している。近年、「与那国通い」を重ねる山本さんに、与那国島の現状について寄稿していただいた。 (編集部)
初めて与那国島を訪ねたのは、2011年6月だった。日本政府は琉球諸島の島々に自衛隊基地を造ろうとしていて、これは沖縄島の辺野古・大浦湾への新基地建設と重なると直感していた。
当時、日米政府の新基地建設への掛け声は消えておらず、2006年の「グアム再編」(沖縄の海兵隊の約3分の2をグアムへ再配置)を合意していた。今更なぜ新基地を造るのか、意味不明だった。そんな2010年末、民主党政権は新たな防衛計画大綱を策定した。従来の「基盤的防衛力構想」を廃止し、「動的防衛力」を打ち出した。そこに「島嶼防衛」が出てきた。それまでの防衛計画大綱は、米ソの「東西対立」のバランスを補完する「基盤的防衛力構想」を維持してきたが、91年のソ連崩壊後、世界は米国の一強態勢となった。
安倍政権は2013年末、新たな防衛計画大綱を策定した。「(陸海空3軍の)統合防衛力構想」であり、「島嶼防衛」、「島嶼部に対する攻撃への対応」を明示し、中期防(5年計画)に「与那国沿岸監視隊」の新設が打ち出された。
与那国島の人々は果敢に町長選や住民投票を闘ったものの、容認派・推進派が多数を制し、ついに2016年3月28日、「与那国沿岸監視隊」が新編されてしまった。
与那国島は日本領土の最西端に位置している。台湾まで約110km、中国の福州まで約400kmだ。「島嶼防衛」「琉球諸島防衛」の西方、北西への切っ先となり、小さいながらも飛行場(1500m)も港もある。島は東西に約11km、南北に6km以下であり、自衛隊員が入ってきた現在、人口は1700名余りだ。
海に囲まれ、低い山・森が覆い、農耕地が広がっている。小さな島だが自然は今でも豊かだ。軍事を価値付ける人々には、レーダーを設置する高台や台地状に広がる裾野があり、いざとなれば、壕にこもって戦争できると見ているのだろう。住民も少なく、篭絡しやすいと思ったのかもしれない。
ここに自衛隊の沿岸監視隊がきた。今までは、国後島を挟む標津と、サハリンを挟む稚内・礼文のソ連・ロシアの動向監視部隊の二つだけだった。与那国島への新設は中国、台湾を睨むことになる。与那国島の沿岸監視隊は約160名と公表されているが、約50名の警備隊(歩兵)が含まれる。
情報保全隊も若干名いるとの見方もある。駐屯地は島の西にある久部良集落を見下ろす高台とその南に広がる旧南牧場に造られた。またアンテナ群は久部良の高台と、そこから東に約4kmのインビ岳中腹に建てられた。
今、私たちに できることは
先日、私は久しぶりに与那国島に出かけた。基地の建設ラッシュも終わり、静けさが戻っていた。だがいかなる電波情報を集めているのか、見えないだけに不気味だ。ここから防衛省、米国ペンタゴンに瞬時につながる。安倍政権は、琉球諸島の石垣島、宮古島、沖縄島、馬毛島を軍事拠点化し、島々をつなぎ合わせていく。軍事緊張を煽るほど、軍事力増強を加速できるようだ。
だからこそ私たちは、島民とともに美ら島を戦場に差し出さない働きかけを強化し続けなければならない。私たちの想像力が厳しく問われている。