「言わせて聞いて」への投稿
私は天皇制に反対だ。「明仁が平和主義者」だったとしてもだ。いや、「明仁が平和主義者」ならなおさら「天皇制に反対」だ。この2つは矛盾であるどころか論理的に直結する。
危うい制度、 天皇制
(1)「法の枠外」(右翼のよく使う言い回し=鈴木邦男の発言を見よ)である天皇は、人権の巨大なブラックホールと化しており、法の中心にこのような穴があると、どこにでも穴が発生しうる。天皇が上だから反対してるのでない、穴だから反対してるのだ。
(2)近代法では役職と人は分離している。役職には限定された権限と責任があり、個々人に無限責任(別な言い方をすれば自由な解釈の余地のある無限権限)など与えない。ところが天皇制は世襲の身分制度なので、個人に無限権限を与え、天皇の役割については、明仁自身の自由な解釈の余地が入っている。「天皇個人が平和主義者」かどうかに依拠しなくてはならない制度ほど脆いものはない。そのような個人的判断は一個人限りになり、次世代に引き継がれない。むしろ本当に必要な制度は天皇が好戦的であったとしても平和主義者であるかのごとき振る舞いしかできない制度や権限だ。
真の償いは 成し得ない
(3)鈴木邦男が言うように、天皇の平和への取り組みは全て天皇という地位の重みを利用して行われている。これは勿論、憲法の枠外のものである。だから、明仁がどんなに平和への取り組みを強化しようが過去の天皇制の罪科の上にしか成立せず、どのような善意の行為も全て超国家主義に回収されざるを得ない。「平和主義者」としての善意が本当なら、天皇制を否定し、一個人に立ち返るところから始めるべきだ。
(4)明仁は父裕仁を超えていない。裕仁は自身の戦争責任(その他もろもろの戦争責任者たち)を免罪するため米軍による永続占領を認め、沖縄を売った。明仁の平和行動は全てその枠から一歩も出ていない。だから海外の戦地に足を運びながらも、日本人の犠牲者の墓しか参らないのだ。
女性差別が 続く根幹
(5)天皇制は「民主的で開明的」などではない。それは在野の哲学者栗田隆子氏が書いている通り。男系長子継承という制度、ある特定の民間人をお世継ぎ欲しさに「妃」に祭り上げ、「子どもを産むこと」を強要する体制、そのいびつさに全く言及しない天皇一族。そのどこに「民主的で開明的」な姿が浮かぶのか。国の中枢にいる存在がこうだから女の社会進出が進まず、「女は子どもを産む機械」とふざけたことを言う国会議員が出てくるのだ。