「山田編集長弾圧事件」― 結論ありきの上告棄却
3月29日、山田編集長弾圧事件の上告が棄却された。上告趣意書提出から2週間足らずで、まともに判断したとは思えない。結論ありきとの誹りを免れず、憤りを感じる。もっとも、これで山田編集長の有罪が確定したことに違いはない。ここで、事件とその判決を整理し、その問題点を検討したい。
警察のフリーハンドを容認
まず山田編集長が起訴された事実についてだが、要は、「第三者に利用させる意図を秘してキャッシュカード発行を申し込んだこと」であり、これが詐欺に当たるというのである。
確かにこの行為は過去の判例で詐欺罪に当たるとされてはいるが、それは発行されたキャッシュカードが犯罪に悪用された事案であった上、譲渡された者はキャッシュカードの名義人の意が及ばず、第三者というほかない者であった。
そこで、山田編集長がキャッシュカードを渡した者は代理人または使者であって第三者ではないと主張したのである。
これに対し、一審である神戸地裁、そして控訴審である大阪高裁は、共に正面から答えようとはしなかった。第三者とは何者かについて、明確な基準を示さなかったのである。
神戸地裁は、長期間にわたり所持させている場合は第三者にあたるとした。しかし、長期間にわたるか否かは、キャッシュカードの発行時点では明らかになっておらず、基準にはなり得ない。にもかかわらず、大阪高裁はこの神戸地裁の判断を、結論において是認した。
大阪高裁の判断で特に問題なのは、形式的な規約違反のみで、詐欺罪に問うには十分だとしたことである。しかし、市民において、いや弁護士であっても、契約時に規約を隅々まで読む者はいない。これでは、気がついたら規約違反で詐欺罪ということになりかねない。
具体的基準が示されていない現状では、理論上は、名義人以外の他人にキャッシュカードを長期間にわたり所持させた時点で、キャッシュカード発行時にはキャッシュカードを第三者に利用させる意図があったものと決めつけられ、詐欺罪に問われることを否定することができない。長期間というのがどの程度かも示されていないから、実質、警察のフリーハンドである。恣意的な詐欺罪濫用時代が、既に到来している。
早すぎた上告棄却 我々に求められること
現実的には、会社などの団体や組織内での利用を詐欺罪に問うのは難しいかもしれない。先般の統一共産同盟への弾圧が不起訴に終わったのは、それが組織内での利用であったからではないかと考えている。
山田編集長弾圧事件において、裁判所は常に「結論ありき」の判断をし続けた。正当な批判には耳を閉じ、警察および検察の筋書きにただ従うだけの茶番に過ぎず、裁判と言えるものではなかった。それは、退廷命令を繰り返し、警察官の派出要請までした大阪高裁の訴訟指揮からも明らかである。
岡口基一裁判官が近著で述べているが、現在の裁判所は、最高裁を筆頭に劣化しているように思う。「人権の最後の砦」というのは、建前ですらなくなってきている。
我々は、ともすると裁判所を信じてしまい、無警戒になりがちである。しかし、今の何でもありの警察があるのは、それを追認してきた裁判所の存在が大きい。裁判所に対する監視こそが求められているのである。