生活のなかで感じる 「自分」と「天皇」の関わり
天皇代替わりが進められる現在、「天皇制」について考えを深めるため、「天皇制意見特集」として、広く意見を募集した。在日外国人、被差別部落民、障害者、市民運動家、フェミニストなど、それぞれの立場からの意見をもらい、長期的に連載する。ここでは、「言わせて聞いて」に投稿された読者からの意見を紹介する。
笑ったり馬鹿にして、天皇制を 否定したつもりか? 笹川 浩子
新元号が決まり、天皇即位と何かと騒がしい。天皇交代で無理に元号を変えなくてもいいし、西暦で統一した方がすっきりするのにと思う。国民こぞって祝意を示すためとして10連休になるし、過度に天皇を礼賛しすぎだ。戦争と侵略の歴史の「昭和」、戦争被害者や被災者のために祈る存在をアピールしてきた「平成」、そして「令和」に変わる。元号は天皇の権威を示すとされている。今まで特別意識しなかった「天皇」について少し考えてみる。
生まれた時からあたりまえのように存在していた天皇。でも思い出すのは、子どもの頃、浩子の字を説明する時に、「浩宮さまの浩です」と親が説明するのが嫌だった。美智子さま、雅子さま、と何で「さま」をつけて敬うのか? 戦争で天皇のためにと何人の人が死んでいったのか? 「冗談じゃない。くそくらえ」と思っていた。しかし、その時代に生きていたら、やっぱりそうならざるを得なかったのだろう。
天皇が神様だとされていて、うっかり批判すれば死刑にでもなりかねなかった時代が終わって、今こそ批判すべきものならきちんと批判するべきだ。
きちんと説明しないで、笑ったり馬鹿にしたりして、天皇制を否定したつもりになっている。天皇制に対するこういう態度が、天皇制に対する無関心をますます増大させていく。自分自身も今まで無関心だった。深く考えてこなかった。これからは常にとは言えないが、少し意識してみようと思う。
天皇が人間に戻れるよう 制度を整えるべき 阿部 真澄
天皇制そのものについて、存在しようとすまいとさほど気にならないというのが正直なところだ。
天皇という存在の扱われ方が、明治以降、現在に至るまで、神格化の過程を経て、今でこそ大きな存在感を持つ。しかし、それ以前は、雲の上の良く分からん偉い人としか庶民は思ってなかっただろう。家来のはずの武士には散々利用されてきた。そして、今度は新元号発表のお祭り騒ぎに担がれる、神輿のような状況にその身を置かざるを得なくなった。
生まれついて戦争責任を負わされる天皇家に生まれた悩みや辛さは推し量れないが、一人の人間としての不自由さについては考えられる。いつもニコニコして穏やかであれ、と求められるのはたまったものじゃない。それも一生の間だなんて。国民統合の象徴であるなら、もっと人間らしい生活を送ることを保証すべきだ。それができないなら、一刻も早く人間に戻れるように制度を整えてやるのが情というものだ。
本当に天皇を尊敬し身近に感じるなら、どっち付かずの現状をなんとかしようと行動しているだろう。が、実際には誰も何もするではなく、一般参賀で旗を振って周囲の人間との一体感を心地よく味わうのに利用している。さながらアイドルのコンサート会場だが、象徴という意味では正しいのかも。僕には天皇に対する親近感は一切ないが、困っている人たちに積極的に寄り添う姿勢を貫いた一個人に対しては敬意を持って接するべきなので、天皇という地位を無くして休ませてあげればいいのにと思う。
普段は尊敬している様子を見せるのに、その実それほど親身になって接してこなかった周囲からの上っ面な関係への抵抗が、先の「お気持ち」につながったのではないか。