【言わせて聞いて】 特集「天皇制・代替わり」

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隅から隅まで作られた虚構の「お人柄」

 「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(2016年8月・宮内庁)は、明仁「個人」による、自発的退位の表明でした。この「お言葉」を安倍政権への牽制だと捉えて、好意的に受け取る人たちは、少なくないように思います。

 「お言葉」について検討せねばならないのは、自発的退位の意向が戦争責任と無関係に表明された点です。敗戦後の天皇制議論において、退位とは、侵略戦争や植民地支配に対する政治的・道義的戦争責任をとる方法でした。退位によって天皇個人が天皇制から解放され、天皇制が廃止されるのなら、天皇は特権的地位を失うとともに、人間として基本的権利を得て、自由に生きられるかもしれず、退位にはそのような可能性も確かにありました。

 しかし明仁は、このような退位をめぐる議論の蓄積がなかったかのように、「生前退位」を要求。戦争責任に対する言及はいっさいありませんでした。代わりに明仁は、即位以来「深く思いを致し」ていたのは、「伝統の継承者としての責任」であったと明言しました。「高齢による体力低下」で、この責任を果たせなくなることを危惧したのだそうです。つまり明仁の頭には、「伝統の継承」に対する責任以外は、全くなかったのです。

戦争責任を回避身勝手な退位

 先日、「慰安婦」として強制連行された女性がまた亡くなりました。これを知って私は、朴壽南監督の映画=『沈黙』を思いだしました。右翼の妨害を受けたこの映画には、1994年に来日した「ハルモニ」たちが、日本政府からの公式謝罪と個人補償だけでなく、天皇からの謝罪も求めていたことが、はっきり映し出されています。このとき既に明仁は即位していましたから、この「恨(ハン)」は、他ならぬ明仁にも向けられていたのです。しかし明仁は、こうして突き付けられた「恨(ハン)」に応えることなく、戦争責任もうやむやにしたまま、自分の都合のためだけに退位の意向を表明しました。

 「平和主義者」という演出が功を奏したのか、いまや天皇制には反対という人たちですら、「明仁天皇のお人柄は尊敬する」のだそうです。しかし、天皇制を存続させるために戦争責任を回避し続ける明仁は、私にはまったく身勝手な「個人」だとしか思えません。そもそも、人間として自由に、主体的に生きられない象徴天皇に、固有の「お人柄」など現れる余地があるのでしょうか。このような「人間性」なるものは、天皇制に対する批判を封じ込め、「日本国民」に支持されるため、隅から隅までつくられた虚構であるように、私には思えます。(神戸市・匿名)

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