2020年1月から、イスラエル占領下東エルサレムの国連運営学校が閉鎖され、エルサレム市運営になる。東エルサレムの公立学校は、市から支給される運営費用、教室、机、椅子、教師の数が児童数に見合っていないこともあり、ドロップアウトする子どもが多い。市運営化の理由の一つは東エルサレムのユダヤ化だ。ヘブライ語を必修とするため、やがて東エルサレムのパレスチナ人全員がヘブライ語を話せるようになる。
これに加え当局は、東エルサレムのパレスチナ人にイスラエル国籍取得キャンペーンを実施しており、イスラエル国籍を取得した東エルサレムのパレスチナ人は、現在3割と推定されている。市民権を持たない東エルサレムのパレスチナ人は、海外に出る際、ヨルダン・パスポートまたはセ・パセ国境通過許可証(取得にかなりの手間と時間がかかる)でヨルダンに入国し、やっと飛行機に乗れる。これが解消されるのだから、国籍取得者数はさらに増えるもようだ。ヘブライ語を話し、イスラエル国籍を持つパレスチナ人が増えると、パレスチナが将来独立したとしても、エルサレムにはパレスチナ人はいない。したがってエルサレムを首都にする必要はない―とするのが狙いだ。東エルサレムのパレスチナ人口を減らすために政府は、パレスチナ人の追放にも力を入れている。
2018年11月15日エルサレム高裁は「シェイク・ジャラのサッバーグ家(6世帯・計40人)を家(三階建て)から追放し、入植者に引き渡す」判決を出した。オスマン・トルコ時代の書類と当時の地図を証拠として、顧問弁護士が「約130年前にユダヤ人共同体が購入した土地は、地図上で別の土地を指している」と指摘したが、裁判所は裁判見直請求を却下。国際メディアが拡散し、抗議の声が高まると、裁判所は追放期限1月23日を2月14日に延期したが、これも延期になりそうだ。
サッバーグ家は、貿易・漁業が盛んな地中海沿岸の港町ジャッファ出身だ。48年イスラエル建国により難民となり、各地を転々とした後、56年、国連とヨルダン政府の計らいで、シェイク・ジャラに家を建て移住した。ジャッファにある父の家は、不在者財産管理法(注1)により、イスラエルの所有物になった。
シェイク・ジャラは東エルサレム西部にあり、人口3千人。パレスチナ人難民が多く住む。(1)入植団体が「この場所にユダヤ人が以前住んでいたから返せ」と裁判申告し、土地管理法(注2)により、パレスチナ人が追い出され、ユダヤ人が住みだした家が2009年に3件、2017年に1件ある。追放されると、家賃が高いエルサレムに住み続けられなくなり、分離壁の向こう側に引っ越した家族もある(2)持ち主であるパレスチナ人が海外または他地に暮らしているために、不在者財産管理法が起用され、政府に没収された土地が多数ある。
【背景】19世紀末、ユダヤ共同体が、シェイク・ジャラの洞窟墓が約二千年前の第二神殿時代のユダヤ宗教家とされているシモン・ハツァディクの墓だと主張して、洞窟墓と周囲の土地を買い、小規模なユダヤ人居住区を作った。地元のパレスチナ人によると、そこはアラブ人の墓とされていた。48年、ヨルダン領となった東エルサレムに住んでいたユダヤ人は西エルサレムに移住。西エルサレムには戦渦から避難したパレスチナ人の空き家がたくさんあった。政府はこれを、シェイク・ジャラなど東エルサレムから西エルサレムに移住したユダヤ人に与えた。
1953年から56年にかけて、数百人のパレスチナ難民が、国連およびヨルダン政府の計らいにより、当時ヨルダン統治下だったシェイク・ジャラに移住した。代わりに、難民認定書は破棄された。
パレスチナ人追放をトランプ容認抗議にイスラエル人左派も連帯
67年、東エルサレムがイスラエル占領下になると、約130年前にユダヤ人居住区だった土地は、ユダヤ共同体に譲渡された。ただし、50年代からそこに住むパレスチナ人は難民としてそこに移住した理由により、居続けることが許可された。ところが2003年、米国系ユダヤ入植団体ナハラット・シモンが、その土地をユダヤ共同体から買い取った。2008年、この入植団体はサッバーグ家など数軒を追放するよう訴えた。2012年、エルサレム簡易裁判所は、追放判決を出し、パレスチナ人は上訴した。
家屋はヨルダン領時代にパレスチナ人が建てたので、団体ナハラット・シモンは土地の所有権のみを要求している。しかし、パレスチナ人が家から追放されると、必然的に建物自体もユダヤ団体の手に渡る。追放に際し、保証は一切ない。オバマ政権時代、ユダヤ入植団体によるパレスチナ人の追放は、大多数凍結されていた。トランプ政権はそれを解除した。土地管理法を盾に、入植団体が裁判に訴えているパレスチナ民家は、シェイク・ジャラでは14軒ある。サッバーグ家が追放されれば、これをよしとする判決が数珠つなぎにでる。
イスラエル人左派は地元パレスチナ人に連帯し、抗議運動を続けている。毎回、国会議員を含め、200名が参加する。運動の力で追放破棄にするのが目標だ。2月1日のデモでは、警察がパレスチナの旗を力づくで奪い、リーダーのサレヘを身柄拘束。彼は2週間のデモ参加禁止を条件に、4時間後に解放された。彼は違法身柄拘束で警察を訴える方針だ。
秘密情報機関の一つに「アド・カン」という撮影部隊がある。抗議デモ参加者の顔を撮影し、誰を攻撃すべきか、誰を逮捕すべきかを警察官に指示する部隊だ。「アド・カン」は過去、私の活動仲間2人を冤罪で起訴したことがある。私は「アド・カン」のカメラマンに「名前は?」と聞かれ、「あんたみたいに没落したくないね」と返答した。パレスチナのユダヤ化に対する抗争は続く。
難民追放、およびパレスチナでユダヤ人が行う入植活動は、国際法違反である。
注1:不在者財産管理法(1950年成立)=土地・家屋の所有者が一定期間不在となった場合、政府が没収する
注2:土地管理法(1970年成立)=イスラエル建国以前にユダヤ人が所有していた土地・家屋について、申告して裁判で認められれば、現在住んでいるパレスチナ人をその土地や家屋から追放し、申告者のものとできる法律。※これらの法律はパレスチナ人にのみ、適応される。