【2019新年メッセージ】 阪南大学准教授 下地真樹/浪速の歌う巨人・パギやん(趙 博)

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安倍支持者に欠けている自分で考える意志 絶望を認めることから出発を 阪南大学准教授 下地真樹

 とても酷い世の中が続いています。それもどんどん悪くなっていきます。しかも、これを多くの人が容認しています。「ヒロポン打って元気百倍」みたいな経済政策がもたらす成果、将来来るであろう代償にはあまりにも見合わない小さな成果を評価するが故に、公文書改竄にデータ捏造、閣僚の不正てんこ盛り、掛け値無しに戦後最も不誠実な政権を免罪するというのです。政権も酷いですが、これを許している社会もどうしようもない。一言で言えば、僕は絶望しています。

 ここに関わる一人ひとりの人間が自由であり、かつ、自由であるべきことを前提とする社会(いわゆる民主主義を標榜する社会)に私たちは暮らしています。

 一人ひとりの自由を認めるとはどういうことか。よく知られているように、自由な人間たちは、時に、考えうるかぎり最悪の政府を選んでしまうことがあります。ナチスの例を出すまでもなく、もはや戦前の日本すら出す必要もありません。いま私たちの目の前にある安倍政権がまさしくそういうものとしてあります。

 自由であっても、一人ひとりが騙されてしまうならば、元も子もありません。しかし、私見では、いまのこの国の現状は独裁者に「騙された」結果ではない。そんな無垢な市民などいない。というのも、忖度まみれのマスメディアを通じてすら、あれほどの悪事の証拠が明らかになっているのですから。むしろ、「あなたは何も考えなくてよい、私が全部やるから」と(暗に)言ってくれている独裁者を拍手喝采で迎えている。そう理解しなければ、説明がつかないことが多すぎます。

 なぜそんな酷いことになるのでしょうか。一言で言えば、人間にとって自由は重荷だからです。この世の中で起きている出来事を知ること、「そんなのおかしい」と言っている誰かの声に耳を傾けること、それはとてつもなく重く面倒くさいことでしかないのです。単に「安倍政権、全然支持しますよ!」とでも言っておく方が簡単です。「どうしてそう思うの?」と重ねて聞いてくる人はいないし、いても「これは私の意見ですから」とでも言っておけばよいのですから。

 要するに、ここで欠けているのは考える意志それ自体ではないでしょうか。積み木を積むように一つひとつの情報をつなぎ合わせて考えるならば、たとえば、2018年暮れに強行された辺野古への土砂投入など、まちがっているとしか言いようがない。にもかかわらず、「仕方がない」と容認する。そして、「仕方がない」とする人が多数派であると述べる世論調査の結果を聞いて安心する。一人ひとり掴まえて首を絞めてやりたいくらいです。

自らはこう生きたいと積み木を積むように考える

 ただ、絶望には少なくとも一つだけいいことがあります。それは紛い物の希望をハッキリと拒絶できるということです。本気で信じられるならいいのです。しかし、どこかダメな感じがしているのに、とにかくないと困るのでしがみついているような希望なら、既にそこに嘘が忍び込んでいます。希望を疑わしめるような一切から目を背けていくでしょう。

 勘のいい人はお気づきかもしれませんが、これは安倍政権を支えている「考えたくない」人々に似ています。つまりは、考えることに絶望しているがゆえに、紛い物の希望にしがみつく。それが安倍政権であれ立憲なんとかであれ、同じことです。信じていないことを信じていないと、絶望を絶望と認めなければ、そこから先に一歩も進めなくなってしまうのではないでしょうか。

 大事なことは、一つです。積み木を積むように丁寧に考えていくこと。ここに紛い物の希望が忍び込んで来ないために大切なことは、やはり、一つひとつ積み木を積むように考えていくことです。立ち戻るべきはこの一点ではないでしょうか。

 本気で信じられるものがある人はいいのです。行けるところまで行ってください。そうではなく、もし、僕と同じように(あるいは僕より深く)絶望している人がいるなら、それでも、希望によってではなく、「自らはこうありたい」という意志によって生きていこうよと、呼びかけたいのです。

あれから百年、それから八年、これから何年…抵抗と反逆の魂受け継ぐ 浪花の歌う巨人・パギやん(趙博)

 『三・一独立運動』、そして、その先鞭を付けた『二・八留学生独立宣言』から100年を迎える。

 朝鮮半島は、植民地支配、解放、戦争、分断という時の流れの中で、今やっと平和と民族統一を展望できる「融和と対話」の新時代へ入ろうとしている。この100年間、幾百万もの貴い命が奪われたが、民衆の抵抗と反逆の魂は確実に受け継がれてきた。2017年『ロウソク市民革命』と文在寅政権の誕生は、その証左だ。

 『3・11フクシマ』から8年を迎える。民主党政権の無様な崩壊後、「安倍ファシスト・自公独裁政権」(筆者はこの用語を広め、定着させたいと思う)は、原発事故と放射能被害を隠蔽しつつ被災者を切り捨て、辺野古新基地建設強行の姿勢を崩さない。

 「安倍の安倍による安倍のための強行採決」を列挙してみると、「教育基本法」改悪(2006年)、「特定秘密保護法」(13年)、「安全保障関連法(戦争法)」(15年)、「TPP承認、および関連法」(16年)、「介護保険関連法」改悪・「テロ等準備罪(共謀罪)」(17年)、「働き方改革関連法」「参議院定数6増」「総合型リゾート実施法(カジノ法)」「水道民営化法」「出入国管理法」改悪(18年)…身の毛がよだち、悪寒が走り、鳥肌が立つ。

荒れ狂う暴虐の嵐に同胞よ今年も立ち向かおう

 辺見庸は書いた。

 「皇室報道はこれでもかこれでもかとやる。なぜ絞首刑をきちんと報じないのか。ひとりくらい変わり者はいないのか。絞首刑執行状況の可視化を! テレビ中継を! 生中継を! お茶の間におとどけする絞首刑の現場!」(2018・12・21のブログより引用)

 筆者は書いた。「フィギュアスケートは、華やかに彩られた[奴隷制と屠殺]の表象的昇華である。 トリプル何ちゃら…コンビネーションどうたらコウタラ…僕は目をそらす、見るに耐えない、悲鳴が聞こえ、阿鼻叫喚が見える。氷上に舞う選手の心は、ズタズタに切り裂かれているに違いない。

 彼・彼女たちは、まるで闘牛の牛だ。見世物になって、褒め称えられて、最後は『オーレ!』の声諸共にマラドーナに、華麗なる一突を心臓に受けて殺される牛そのものだ。

 その刀剣に飾られた彩の赤黄青のリボンは、死を嘲り蔑んだ者どもの免罪符に違いない。スケーターは滑り終えて解放される、と同時に『点数』という華やかに彩られた銃剣に、我と我が身を突き刺される運命を如何ともしがたいのである。どうか、この非人間的所業を、一日も早くこの世から消し去ってほしい。因みに、氷上の舞姫は、その脚線美を晒すことは、ない。太すぎるからだ…これが闘牛の牛の宿命である。アーメン…」(2018・12・23のFBより引用)

 天皇の代替わりが、「Xデー」を回避して新天皇の世界的お披露目を円滑に行う策略であることは、二言を要しない。その晴れ舞台が「東京オリンピック」であることも明々白々だ。天皇制と皇室へのスマートな合意形成が、スポーツに対する国民的熱狂で補完される。益々深化する「国民統合」という粉飾の陰で、死刑・冤罪・弾圧が横行しつつも「一般国民」の関心事にはならない。

 今年も、暴虐の嵐が荒れ狂うだろう。これから何年、我々は屈辱に耐えねばならないのか…立て同胞よ、行け闘いに! 聖なる血にまみれよ!

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