【韓国取材(3)】麗水・順天事件 追悼集会に参加して 編集部・山田

済州島住民虐殺を拒否した兵士の反乱 分断反対 李承晩政権への抵抗運動として再評価

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麗水地域社会研究所は、91年に発足したシンクタンクだ。麗水・順天事件に関する証言を集め、事実解明を主導してきた。50周年を記念して20年前に始まった聞き取り調査は、95年に遺族の証言集を発行。初の集会を準備したが、右派の激しい妨害に見舞われた。「共産主義者の反乱」ではなく、「国家による住民虐殺」として事件を再評価しようとする活動を右翼は容認できなかったためだ。これ以後も妨害は続いたが、粘り強い事実の掘り起こしと対話によって、今年の追悼集会には、右派も参加。地域ぐるみの追悼集会となった。 同研究所所長で当初から証言発掘に関わってきた李栄一さんに、集会の意義などを聞いた。(文責・編集部)

市民軍鎮圧で8千名を虐殺

 韓国建国(1948年)直後の10月19日、済州島四・三事件鎮圧のための出動命令を全羅南道麗水郡駐屯の第14連隊の兵士が拒否。部隊ぐるみの反乱となった事件です。李承晩大統領は鎮圧部隊を投入し、1週間後に反乱は鎮圧されましたが、その後の左翼摘発は過酷を極め、民間人8000名が殺害されました。

 事件発生後に避難のために日本へ密入国し、在日韓国人となった人々も多く、済州島四・三事件と麗水・順天事件は、韓国現代史の中で長くタブーとされてきました。

 遺族たちは、親を早くに亡くしているので、子どもの頃から(1)食べられない、(2)着られない、(3)教育を受けられないという三苦を経験しています。こうした下層に追いやられたうえで、「アカ」のレッテルを貼られて、就職・結婚などで厳しい差別を受けます。

 まさに生存を脅かされる厳しさです。軍士官学校への入学は拒否され、公務員や大企業への就職は極めて困難で、出世も諦めなければなりません。パスポートの発行を拒否されることもありました。

 私自身も遺族の一人ですが、それがわかったのは2年前でしたので、そうした苦労は経験していません。しかし私の妻の母親と兄弟は犠牲者ですが、沈黙を強いられてきました。

住民の自治組織に反乱軍が合流

 しかし、事実を追っていくと、済州島四・三事件と麗水・順天事件は、祖国分断を拒否する単独政権反対運動の一環であったということがわかってきました。済州島四・三事件は、日本帝国主義の遺産である親日派を清算する過程で生じた事件だったわけですし、麗水・順天事件も分断反対を掲げる済州島住民の鎮圧を拒否したという文脈で捉えなければなりません。

 李政権は、「反乱事件」と呼びましたが、国民の生命と資産を守るべき軍隊が、命令を拒否するのは、当然のことです。麗水・順天では、出動命令を拒否した兵士たちが人民委員会に合流することで、時代と民衆の意思を正確に把握し、表現することができました。主力軍は、智異山に移動した後、2~3000人の市民軍がコミューンを形成しながら、政府軍と対峙したのです。

 人民委員会は、学生・労働者・女性・広範な住民によって組織・支持されており、彼らこそが住民を代表する自治組織であったということです。

 李承晩らによる単独政権樹立は、米国の利害と意図を背景としており、それを理解するからこそ民衆は反対したのです。民衆は、飢餓と貧困に見舞われていましたが、政府軍と対峙した人民軍5000人は、9月23日までに4回の会戦に勝利するほどでした。

 李政権の討伐軍は、作戦地図に圧倒的な市民軍に苦戦して敗北を重ねたことを記録として残しています。民衆自身が自らの運命を決め、歴史を作りあげるという強い意志が、市民軍を形成していたのです。麗水・順天事件は、「反乱軍」などでは決してなく、民衆の抵抗運動として再評価されなければなりません。

見直し進む韓国現代史

 70周年記念事業もあってこの問題は、急激に全国的に知られるようになっています。100を超える市民団体が結成され、政界の動きも加速されて、名誉回復を求める特別法案が与党提案として発議されています。

 ソウルの中心部広場で合同慰霊祭が行われましたし、法案成立を求める直接請求運動も始まりました。1カ月で20万筆を突破すれば、青瓦台=大統領府が、法案提出者となります。

 重要なことは、麗水地域全体がこの事件に取り組むようになったという点です。19日の追悼集会には、右派も参加しています。70周年という歴史を重く受け止め、犠牲者の名誉回復を求める特別法制定を目前にして地域の団結を示し、韓国現代史の見直しを進めるためです。

 右派との共同は、紆余曲折の末の成果ですが、50周年記念事業への右派の妨害から始まりました。1998年、金大中政権時代に、政府や右派が隠していた資料を発掘し、被害者の証言を集めて資料集を刊行し、集会を開こうとしたところ、右派が会場を封鎖するという妨害を加えてきました。

 資料によって、政府軍や右派が8000人の民衆を虐殺したうえに死体を秘密裏に遺棄した事実が明白になり、世論が一気に変化。1300人の会場を一杯にすることができました。この闘いによって右派は存在感を示すことができなくなり、妥協的態度へと変化しました。

朝鮮半島に流れる不当な権力に抵抗するDNA

 朝鮮の歴史には、連綿と流れる不当な権力に抵抗するDNAがあります。124年間の韓国の近現代史を概観すると、東学農民闘争(1894年)、韓日騎兵闘争、三・一独立運動(1919年)、60万歳事件、光州学生運動(1929年)、テグ市民抗争(1946年)、済州島四・三抗争(48)、麗水・順天抗争(48)、4・19学生革命(60)、5・18光州事件(1980年)、6月抗争(87)、ロウソク革命(2016年)などの抵抗の歴史があります。これは時代に要請された民族的事件であり、民衆は激動の歴史を生きてきたのです。

 我々の歴史は、世界史の中にも位置づけられなければなりません。麗水・順天抗争は、日帝からの解放後、冷戦構造の中で、アジア・アフリカなど第3世界で新国家を形成する過程において、起きた事件です。

 警察国家といわれる李承晩政権は、米ソ対立のなか、米国による世界支配戦略=パクスアメリカを体現するものだったのです。

 麗水・順天抗争は、こうした歴史的文脈のなかで位置づけ直すと、米国の世界戦略に抵抗した闘争だったと評価することもできます。

 麗水・順天市民抗争は韓国現代史の最後のタブーでした。地域全体に国家反逆のレッテルを貼られた住民は長い沈黙を強いられてきましたが、ようやくこのタブーを破り、名誉を回復する時代がやってきました。民衆の側から歴史を描き直すことは、民主化の成果ですし、さらに政治を変えるうえでも重要なことです。

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