オスロ合意とは何だったのか?
アラファトの保身単独平和の道
1993年9月13日、ホワイトハウスの庭で、米国クリントン大統領を真中に、イスラエルのラビン首相とPLOアラファット議長が握手したPLO・イスラエル相互承認合意、通称「オスロ合意」)の調印式から25年が経ちました。
「ベルリンの壁崩壊以来の歴史的出来事」だとか、「百年来の紛争に終止符を打つ歴史的瞬間」と調印式を持ち上げたのは米欧メディアです。レバノン・シリアのパレスチナ難民キャンプでは、抗議の半旗が掲げられデモが街を席巻しました。なぜなら占領地では87年以来、第一次インティファーダがパレスチナ独立戦争と位置付けて闘われていた時だからです。
また、第一次湾岸戦争後始まった和平交渉では、PLO排除に抗し、ヨルダン代表国の一部としてしか参加を認められなかったパレスチナ代表団が、自分たちは「PLOと不可分だ」と主張し、交渉の入り口として「まずイスラエルが入植活動を停止せよ」と、一歩も退かず闘い続けている時に、秘密裏にイスラエルとオスロで交渉し合意してしまったからです。
そしてその合意内容では、インティファーダを終わらせることをアラファトは進んで約束し、従わない者は処罰するとまで確約したのです。
インティファーダ終わらせることまで約束
その上、入植地・入植活動も48年のパレスチナ難民の「帰還の権利」も、エルサレム占領地からのイスラエルの撤退も棚上げにしたものでした。唯「イスラエルが、PLOを交渉相手として認める」権利のみを、アラファト議長らは獲得することに腐心していたのです。
なぜなら、当時ファタハ内は分裂し銃撃戦を行ったり、湾岸戦争ではサダム・フセイン支持をアラファトが主張したことで、湾岸諸国から10万人余りのパレスチナ人労働者が追放され、アラファト議長は右からも左からも辞任を迫られていたからです。アラファト議長は、この窮地を脱すべく「オスロ合意」によって新局面を開こうとしたのです。
しかしこの道は、アラブ諸国の対イスラエル共同戦線を自ら破壊し、国連、米欧を後盾に、パレスチナ全土の内22%にあたる西岸地区とガザ地区の返還によってパレスチナ独立国家を打ち立てることを目標に定めたものです。
PFLPらパレスチナ10組織は、アラファト議長らの甘い見通しに対して、イスラエルは占領地返還の意志が無いことをくり返し警告してきました。
このアラファトの選んだ「単独和平」の道は、イスラエルの占領地を合法化する道だと、エドワード・サイードや詩人のマフムード・ダルウィーシュらは非難し、ダルウィーシュはPLO執行委員を抗議辞任しました。
ファタハのPLOカドゥーミ政治局長は外相の位置にありながら今に至るも「オスロ合意」に反対し、自治区入りを拒否しています。25年を経て、反対を表明した人々の危惧のとおり現実はより厳しいものとなったままです。
アパルトヘイト国家の合法化
あれから25年経た18年7月19日、イスラエル国会はユダヤ国家法案を63対58で可決しました。
この国家定義によると、第一に、イスラエルはユダヤ人のための民族郷土であり、ユダヤ人の特権として国外のユダヤ人も祖国としての特権を持つ、第二にヘブライ語は唯一の国語であり、これまでその地位にあったアラビア語は「特別の地位」に格下げされる、第三に、ユダヤ人の入植活動・入植地は、国民的権利とみなし、国益である入植活動の推進促進を図る、第四に、東西エルサレムはイスラエルの統一された首都であるなどと規定し、パレスチナ・アラブ住民に対する人種差別を法的に合法化しました。
この法によって、イスラエルは「民主主義国家」の看板を捨てて、人種主義国家として中東におけるアラブ人ら非ユダヤ人と、その諸国との緊張・戦時状況を永続させる道を選びました。イスラエルを軍事国家として安定させようと考える愚かな未来を示しました。
すでにイスラエルは、ユダヤ人口よりも占領下・難民を含むパレスチナ人口の方が多数を形成していることへの危機感の表れともいえます。
「ユダヤ人だけがイスラエルで民族自決権を持つと宣言している」ことに対して、EUは批判と懸念を表明しました。しかし、シオニストは「バルフォア宣言」以前からパレスチナの民族自決権を一度も認めたことはありません。
加えてトランプ政権は、自身の票田である全米有権者の26%を占めるというキリスト教福音派団体と連動した過激なイスラエル優遇政策にまい進し、シオニスト・イスラエル政府の要求と一体となった中東政策を実現しようとしている有様です。
今年になって米政府は、UNRWA(国連難民救済基金)の拠出金3億ドルの支払いを凍結し、8月31日には、完全停止を宣言しました。国連決議であるパレスチナ難民の「帰還の権利」の実行を拒むイスラエル政府とイスラエルを擁護した米政府によって、今日に至るまでパレスチナ難民問題をUNRWAは背負わされてきたのです。
新しい戦略が問われるパレスチナ解放運動
米・国際社会はUNRWAへの拠出金に責任を果たすと同時に、パレスチナ指導部には、何よりもパレスチナ人の「帰還の権利」の実現を優先した闘いこそが求められています。
米政府はまた8月24日には、米政府が「オスロ合意」に沿って約束してきたパレスチナ自治政府向けの2億ドル支援を撤回し、パレスチナ自治政府に圧力をかけています。
「オスロ合意」の罠・過ちは、アラブ諸国の当事者性も失わせ、パレスチナ自治政府は頼りの米国政府を失った今、イスラエル・米国に抗しつつ「二国解決」を求め、国連と国際世論に訴え続けています。アッバース大統領らは、自分たちの地位と役割をそこで保持することに必死です。
その一方で、イスラエルと治安協力して「ハマース狩り」をしたり、批判勢力の人々を逮捕封じ込めるなど、権力の濫用をくりかえしてきました。その結果、パレスチナの統一はくり返し破綻してきました。
「オスロ合意」路線を断ち、イスラエル内のアラブパレスチナ住民らと一体となって、イスラエルの非シオニズム化、非人種主義の国家化にむけた新しい戦略と闘い方こそが問われています。
そうでなければ、イスラエルの狙いである「国の内外の緊張によって現状維持することが国家の安泰につながる」という状況が続くなかで、イスラエルはパレスチナ併合とパレスチナ人支配を合法化し続けるに違いありません。