経済が低迷するたびに、資本主義体制の最終的自滅を予言したマルクスは正しかったという声が現れる。しかし、現在の問題は、資本主義が急激に危機に陥ったという問題ではなく、通常の働きが問題なのである。この数十年間、先進資本主義諸国では、とっくの昔になくなったと思われた病理現象が復活しているのだ。
1967年以降、米国平均世帯収入は、物価上昇調整後の実質収入でみると、停滞したままである。富裕層の財産と収入が急上昇したのに、国民の下位60%のそれは停滞したまま。この傾向は、米国ほど極端ではないが、ヨーロッパでも見られる。1960年以降企業利益は最高水準を更新しているのに、企業は利益を再投資しないで貯め込むばかり。当然生産性も賃金も上昇しない。しかもこういう傾向に加えて、民主主義の空洞化と民主主義に代わる社会的エリートによるテクノクラート支配が進行している。
主流理論家は資本主義が約束したものから逸脱していると頭を悩ましているが、マルクスが生きていたら決して驚かないであろう。彼は、資本主義の内的論理によって、時間が経つにつれ、格差、慢性的失業、不完全雇用、賃金停滞、大企業の支配、そして社会の発展の障害となるエリート層の確率が生まれることを予言した。そういう危機的状況が重なり合って全般的危機となり、革命となると予測したのだ。
彼によれば、その革命は最も先進的資本主義国で起きるはずだった。ところが実際には、ロシアや中国のような後進経済の中で革命が起きた。革命後の共産主義は専制的政治と経済的停滞を招いた(訳注:革命政権の責任もあるが、動的に見ると先進資本主義諸国による軍事的包囲のために社会主義または共産主義的建設が阻害されたためで、共産主義が専制主義・経済停滞を生み出したわけではないだろう)一方、20世紀半ば頃の西ヨーロッパや米国は、一時的にすぎなかったが、マルクスが生きていた時代の資本主義の特徴であった不安定と格差を何とか緩和する術を見出した。このために、マルクス主義は一般的に人気を落とした。
しかしソ連とソ連モデルに追従した国々の不幸にもかかわらず、マルクス理論は最も鋭い資本主義分析の一つとして生き残った。マルクスは資本主義が必然的に否定的側面を生み出すメカニズム、政府が積極的に経済に介入しない限り様々な問題を生み出すメカニズムを理解していた。この40年間の病理現象は政府の介入が少なかったから発生したのである。それ故、マルクス主義は時代遅れどころか、現代社会を理解するうえで重要な理論である。
物質世界
マルクスの著作物は膨大で、彼の関心は広く多岐にわたっている。人間の発達、イデオロギー、国家などのテーマが絶えず作品の中に現れるが、現代社会にとってとりわけ重要なのは、彼の経済理論である。『資本論』の中で自分の経済理論を「近代社会を動かす経済法則を解明する」と説明している。彼は経済分析の一部を、ディヴィッド・リカードと同じように、欠陥の多い労働価値説(訳注:財やサービスの価格は投入される社会的労働によって規定されるという説で、マルクスは労働が生み出す価値を剰余価値と呼んで彼の搾取論を説明している。彼は地代も製品価値を規定するとしているので、リカードほど労働価値説一本鎗ではない。なお、現代では搾取については労働だけでなく、自然資源や社会資源も搾取対象と考えるのが普通である。また、製品価格は社会状況によって相対的・恣意的に規定されるのが現実で、投下労働量だけで一元的に規定されるものではないだろう)に基づいて展開しているが、彼の洞察力の深さは見逃せない。
彼は、資本主義経済では、企業家は市場競争という条件下で資本蓄積圧力に押され、その結果現代社会でお馴染みの現象がおきると考えた。第一に、技術革新によって創出された生産性向上の果実は圧倒的に資本家によって独占されると書いた。「例え実質賃金が上昇しても、それは労働生産力上昇に比例する形の上昇ではない。」分かり易く言うと、労働者が受け取るものは彼が生産物に付加した価値よりも少ないので、格差と相対的貧困が常に付き纏うのである。
第二に、資本家間の賃金を抑える競争のために省力化技術が導入される。これが長期的に雇用を減らし、恒久的失業や多くの人々の不完全雇用状態を作り出すとマルクスが予言した。第三に、競争の結果大型で儲けの大きい企業が弱小企業を駆逐するので、産業の集中化が促進されると予言した。大企業は当然競争力が強く、技術的にも進んでいるので、どんどん余剰利益を増やす。しかしその余剰金の分配は不平等なので、先ほど指摘した働き、つまり失業と不完全雇用が増大する。
マルクスは、特に政治に関して多くの誤りを犯した。彼は国家を資本家階級の道具と考えたので、資本主義を修正する集団的力を過小評価した。1945年から1975年までの西側先進諸国では、選挙民の集団的力が働いて政治に市場を規制させ、政治権力に資本主義を損なわずに社会民主主義政策を実行させた。フランス人はこの期間を「レ・トラーント・グロリューズ」(栄光の30年)と呼んだ。西ヨーロッパ、北アメリカ、日本で高度成長、生産性向上、実質賃金上昇、社会保障制度拡充が花咲いた歴史的にユニークな時期であった。(訳注:先進国の中堅労働者中心の見方で、国内・国外の周辺部民衆の犠牲の上に立った「繁栄」であった)暫くの間、資本主義は人間的必要、少なくとも物質社会次元で人間的必要を充たせないというマルクスの観察は間違っていたかのように見えた時代が続いた。
にわか景気と落ち込み
戦後ブームは永続的構造ではなかった。結局1970年代のスタッグフレーション(訳注:スタッグネーションとインフレーションの合成語で、経済停滞とインフレが同時に起きること)でそれが終わった。西側の社会民主主義政策 ー ケインズ主義(訳注:国家が赤字財政を覚悟で誘い水的に投資需要を人為的に創り出すことで、連鎖作用で有効需要が生まれ、完全雇用が達成できるという説)を用いて国家が需要をコントロールする政策 ーが完全雇用と企業利益と実現しようとすればインフレという副作用が発生するようであった。この事態に対し、レイモン・バール仏首相、マーガレット・サッチャー英首相、ロナルド・レーガン米大統領など西側指導者たちは、労働組合の力を弱め、失業を容認して、賃金上昇を抑える形でインフレを抑え、企業利益を回復する政策に進んだ。
スタッグフレーションとそれに続く経済不況が、西側世界の混合経済終焉の始まりであった。どの国のエリートたちも、政府介入が経済効率を妨害したのだと信じて、規制を緩和し福祉国家政策を削減することで、市場の力を解放しようとした。彼らの政策は、保守的金融政策、中央銀行の政府からの独立、情報革命の効果と結びついて、不安定な価格変動を落ち着かせ、1990年代から企業収益が高まり始めた。米国では税引き後の企業利益(在庫評価・資本消耗(原価償却)調整後の)は、クリントン政権前の25年間の平均4.5%から2017年の5.6%にまで上昇した。
この企業収益上昇の主たる源泉は生産性向上というより、生産性向上に伴う収益を賃金配分に回さなかったことである。これはほとんどの先進国で共通した現象である。
だから、先進民主主義諸国の1970年代からの新自由主義的回復は、長期的に見ても、20世紀中葉に経験した幅広い国民層の豊かさを再現しなかった。それどころか、むらが多く、成長が緩慢な経済で、格差だけが増大した。前述したように、生産性向上による余剰が賃金へ回らなくなったので、このような富の偏在が大きくなったのである。実際、19070年代の企業利益危機への対応策は、戦後期に盛んだった生産性向上のパイの分配に関する労使交渉の拒否であった。賃金と生産性の分離であった。これは特に米国で顕著で、1973年以降の40年間で生産性はほぼ75%の上昇だったのに、実質賃金の上昇は10%以下だった。下位60%一般世帯の場合は賃金上昇はゼロであった。
戦後好景気の勢いの中でマルクスが忘れ去れたように見えたとすれば、最近数十年間の経済病理現象でマルクスの先見の明が再確認されたと言ってよいだろう。彼は、資本主義の長期的傾向として、実質賃金が生産性に追いつかないシステムを形成すると予言した。この洞察は、現在の経済格差研究者の仏経済学者トマ・ピケティの観察と重なり合う。ピケティは、資本収益率は経済成長率よりも高いので、資本資産から所得を得る者と労働から所得を得る者の間の格差が、時の経過とともに増大する事実を指摘した。
正確に言えば、マルクスの資本主義批判の基礎は、資本主義が労働者を物質的に窮乏化させるということだけではない。そうではなくて、資本主義はそれが解放した生産能力に恣意的制限を課すことを批判したのである。資本主義的生産様式がそれ以前の生産様式よりも効率的なのは明らかであるが、同時にこの新ソフトウエアにはバグ(プログラム上の欠陥)があった。資本主義はそれまで想像すらできなかった大量の富と高い水準の技術を生み出したが、それを全人類の必要を充足するために活用する機能が欠けていた。それは物質的限界に依るものではなく、社会的・政治的限界に依るものである、とマルクスは指摘している。つまり、資本主義制度下では、生産は社会全体の利益のためでなく資本家階級のために行われることが、構造化されているのである。例え個々の資本家や労働者にが理性的に考える人がいたとしても、システム全体が非理性的なのだ。
資本主義に代わるシステムを民主主義的に計画するという問題はどうなるかまだ分からないのである。かつてのソ連や毛沢東中国が実行した国家社会主義のような非民主主義的オールタナティブは問題外だ。マルクスの洞察や分析法を受け容れるからといって、共産主義は必然的であるという彼のテーゼまで受け入れる必要はないのだ。
資本家間の賃金削減競争のために省力化技術が発展するとマルクス。長期的にこの技術発展が雇用を減らし、失業を恒久化し、国民の多くを不完全雇用形態に置くのだ。
運動法則
マルクスは資本主義が必然的に格差増大と労働者階級の相対的窮乏化を生み出すと予言しただけではなかった。もっと重要なことは、それを生み出す構造的メカニズムを明らかにしたことだと言った方がよいだろう。企業間競争のために労務費を低く抑えようという運動が働き、賃金を生産性よりも水準に抑えるのだ。最近数十年間のように西側諸国が市場中心主義を尊重するようになると、資本主義が持つ本来的傾向が再び幅を利かせ始めた。
1970年代以降先進諸国全般で、企業は、省力化技術革新に加えて就業規則変更や新雇用形態導入を通じて、賃金水準押し下げをやってきた。新雇用形態には、例えばリスクを労働者に転嫁させる「ジャスト・イン・タイム契約」(訳注:元々は主として在庫負担を下請け業者に転嫁する「必要なものを、必要な時に、必要な分量だけ」という方式を、雇用にも適用したもの。just-in- staffingとも言う。トレースなどの分野では昔からあった。たいていは下請け会社が労働者を派遣する形態で、労働者個人には、仕事を選択できる以外には何のメリットもなく、納期などの責任を負わされる)、団体交渉権などを弱体化させる「非競争条項」(noncompete clause)(訳注:一定の者が自己又は第三者のために、その地位を私的に利用して営業者の営為と競争的な性質の取引をしてはならないという義務を定めたもの。要するに組合や人権団体への駆け込み訴えを禁止する取り決め)、従業員への健康保険などの給付お免除する自由契約(freelance arrangement)などがある。こういうものの影響で、21世紀初頭よりGDPに占める労働シェアは、多くの先進諸国え、確実に低下していった。
競争原理のもとでは、経済の生産部門との関係が弱い労働人口の部分 ー マルクスが「労働予備軍」と呼んだ、失業者や不完全雇用者の一群 ー がどんどん創り出されるので、収益の労働分配率が下がるばかりである。この労働予備軍は労働に取って代わった技術革新の副産物であると、マルクスは考えた。生産活動が盛んになると労働への需要が高まり、労働予備軍を構成する労働者に就労機会がめぐってくる。人手不足のため賃金上昇が避けられなくなるので、資本家は労働に代わって技術革新へ投資する。技術革新が実現すると労働者が解雇され、賃金が低下、労働予備軍が増加する。賃金は「最低生活水準」に向かい、長期的・相対的に賃金上昇は限りなく「ゼロ」に近づく。マルクスによれば、「労働者を雇用するより解雇する方が市場競争で勝てる」という異常なメカニズムが働くために、企業は労働コスト削減競争に腐心するのである。
米国ではこういう現実がほぼ20年間続いてきた。50年間男性の就業率は横ばいまたは低下傾向にあり、女性の就業率は2000年以降低下した。高卒以下の単純労働者の就業率は50%以下で、しかもそれがかなり長い間続いている。これはマルクスの予言どおり、技術革新によって増幅された傾向である。エコノミストたちは、この先オートメーション化によって大規模解雇が起こる可能性を論じている。低く見積もっても、経済協力開発機構は同機構加盟国で雇用の14%、総計ほぼ6000万人分の仕事が「高度自動化」されると予測した。高い見積もりでは、コンサルタント会社マッケンジー社が世界の労働時間総計の30%が自動化されると予測。犠牲になるのはほとんど単純労働者である。
犠牲労働者が労働人口へ復帰できるかどうかは分からない。オートメーション化が労働者を排除するという心配、いわゆる「労働塊の誤謬」(lump of labor fallacy)(訳注:仕事量は一定で労働者がそれを取り合うしかないという考え方は間違いであるという説。しかし、ミクロ的には間違いとは言えない)がある。つまり、世の中で行われる労働は定まっており、その労働が機械に取られると、人間にできる労働がなくなるという心配である。現実は、過去50年間にわたって労働適齢労働者の就業率が着実に低下してきた傾向を見ると、市場原理に任せている限り、仕事を失った人が労働力に再吸収される希望は少ないように思える。
労働者から労働を奪う原理 ー 競争が技術革新を必然的に生み出すこと ーは、同時に市場集中をも生み出す。大きくて強い企業が生産を独り占めするようになるのだ。マルクスが予言したのは独占世界ではなく、寡占的競争の世界である。寡占的競争の世界では既存大企業が専有的に利益を得、弱小企業がその影で細々と営業、新規参入者は余程の技術革新をしなければ市場に食い込めなかった。この状況は現在も変わっていない。現在では、アマゾン、アップル、フェデックスなどのいわゆるスーパースター企業が産業の全部門に進出して占有、新規企業は何らかのイノベーションを通じてやっと食い込める程度である。そのイノベーションも上記大手が絶えず開発、ネットワーク効果を通じて、新規企業や中小企業を打ち負かすだけでなく、買収・統合していく。何しろ、競争では、予備軍放出 ー つまり労働者レイオフで生産コストを切り下げることができる大手が勝つのだ。
経済学者ディヴィッド・オート等の研究では、先進諸国におけるスーパースター企業の台頭が労働者所得の国民所得に占めるシェアの低落に大きく関連していることが示されている。スーパースター企業の生産能力と効率は非常に高く、労働コストが非常い低いのだ。1982年以降、米国の雇用人口の80%を占める6経済部門 ー 金融、製造業、小売り業、サービス、卸売り業、電気・ガス・水道などの公益事業、運輸 ー で集中化が進んでいる。集中化が進めば進むほど、労働所得シェアが低下する。例えば製造業部門では、賃金は1982年の付加価値のほぼ2分の1から2012年には付加価値の3分の1に減少した。これらスーパースター企業が西側経済で重要な役割を担うにつれ、労働者は押しなべて苦汁を飲まされた。
勝ち組、負け組
1957年、西ヨーロッパの戦後ブームの最盛期に、経済学者ルートヴィッヒ・エアハルト(後の西ドイツ首相)は、「万人の繁栄と競争による繁栄は不可分に結びついている。前者は目標、後者はそれを達成する道筋だ」と宣言したものだ。マルクスは、競争は万人の繁栄をもたらすどころか、勝ち組と負け組を生み出すだけで、技術革新で効率を手に入れたものだけが勝ち組となると予言した。この点ではエアハルトよりマルクスの方が正しかったと言えよう。
イノベーション(技術革新)は昔からの経済部門に新しい物品やサービスを作り出すだけでなく、新しい経済部門をも発展させる。原理的にはこの新経済部門が予備軍を吸収して、賃金を上げる。マルクスは資本主義体制の浪費や個々人の生活や人生を脅かす歪みを非難したが、同時に資本主義が拡張し、人々の欲望と必要を充たすダイナミズムがあることを認め、感嘆さえした。
そういう脈絡の中で、ほんの束の間だったが、中産階級の子どもたちが上位20%の上流階級の子どもたちと地位を交換できると思えた時期があった。しかし、すぐに格差が増大、社会的移動性が消えていった。(訳注:「能力に応じて」という能力主義的・競争主義的民主主義のもとで、一部の者が社会的に上昇して勝ち組になったのは事実だ。勝ち組の子どもたちは経済的・文化的・環境的資産に恵まれ、他の子どもたちより有利になる。結局、勝ち組は世襲的に固定、身分制社会と同じになる。裕福な家庭の子どもしか東大に入れないことがそれを証明している。なお、中産階級の子どもは絶えず下層階級へ転落する不安に脅かされている。そのため、出世競争でなく、落ちこぼれないための競争が彼らを蝕んでいる)
特に米国でよく見られることだが、現体制擁護者は格差(それはある一定の時期の資源配分様態に過ぎない)固定的に見て論じるのは、社会的移動という資本主義の平等化ダイナミックスを軽視することになるという議論を展開する。それに反しマルクスの持論は、階級は自己増殖し、富とその効果は世襲的に受け継がれ、資本家階級の子どもたちは時期がくれば労働者階級の子どもたちを搾取する存在となる、というもの。実際、ほんの束の間だったが、中産階級の子どもたちが上位20%の上流階級の子どもたちと地位を交換できると思えた時期があった。しかし、すぐに格差が増大、社会的移動性が消えていった。例えば、経済学者ブランコ・ミラノヴィッチとロイ・ファン・デル・ヴァイデが最近発表した研究は、格差は貧しい人々の所得成長を抑え、金持ちの所得をますます成長させる効果があることを実証した。ピケティも、現在の傾向が続いたら資本主義は新しい「先祖伝来」の蓄積モデルとなり、そこでは家督が能力や業績より勝る、と心配している。
ケインズ主義の挑戦
マルクスの総体的世界観では、政治が資本主義の欠陥を改良するという発想の余地はほとんどない。共産党宣言の中に書かれているように、「近代国家執行部はブルジョアジー全体に共通する問題を管理する委員会にすぎない」のだ。
ごく最近まで西側政府はこのテーゼに挑戦していたようである。特に大きな挑戦は、20世紀中葉、労働者階級を代表する社会民主主義諸政党(それだけではないが)による福祉国家建設と拡大であった。これの知的開発者は経済学者ジョン・メイナード・ケインズ。彼は経済活動の原動力は資本家の投資ではなく、一般人の消費需要だと論じた。政府が政策というテコを使って総需要を創出することができれば、資本家の生産活動への投資が活発化すると考えたのだ。(訳注:需要は1)消費需要2)企業の投資需要3)財政支出と分け、人為的に操作できる財政需要を赤字覚悟で増やせば、それが誘い水となって1)2)が増えるという、有効需要論を開発した。良い面と悪い面があり、自然破壊する開発経済、社会や人間を破壊する大量消費・大量生産経済、そして最大の有効需要である戦争と、必然的生じるインフレが悪い面である。ケインズ主義に反対するネオリベラルは「小さな政府」を主張するが、現実には企業補助金や企業救済など、決して「小さな政府」ではなく、資本主義延命用ケインズ主義は実際に続いているというのが、正直な見方であろう)ケインズ主義の旗印のもとで、中道左派と中道右派の諸政党は、マルクスが不可能と考えていたことを実現した ー 効率、平等、完全雇用を同時に成し遂げたのである。政治・政策は経済構造体から一定の独立性を保ち、経済体の方は自らを修正する力を政治に与えた。
マルクスも政治の独立性を信じていたが、それはあくまで資本主義かそれに代わる体制の二者択一的選択のときにのみ発揮されるものと見た。資本主義市場を民主主義的政治で恒久的に制御しょうとするのは馬鹿げていると思った。(この点で、皮肉にも、マルクスは親資本主義エコノミストのミルトン・フリードマンと一致している)
マルクスの予言によれば、資本主義体制下では資本の利潤と蓄積要請が常に政府の政策選択に重い足かせをはめ、如何なる改革の長期的可能性を潰してしまう。1970年代以降の先進国世界の歴史はこの予言の正しさを証明したと言ってよいだろう。戦後期の素晴らしい成果にもかかわらず、結局政府は資本主義が課す制限を克服できなかったのである。何しろ、完全雇用とそれに伴って生じる労働勢力の強化は、資本の利潤にとって大きな脅威であるから。戦後期の資本と労働の折り合いを破棄したがる資本家階級と、それを維持したがる国民大衆の間で板挟みになった政府は、最終的には前者に従ったのである。要するに資本の求める利益が国民が求める政治より優先されたのである。
現代マルクス主義
今や政治が市場をコントロールできるかどうかは不明である。1970年代以降の先進国経済変遷の読み方の一つは、民主主義であろうが何であろうが政治を全面的支配するのが資本主義の本質的法則で、その結果であるという解釈である。この解釈に基づけば、「栄光の30年間」は単なるまぐれ当たりであった。通常状態では、効率と完全雇用と所得の平等分配が同時に成立することは、まずあり得ない。あり得たとしてもそれは束の間の現象で、そんなものは市場効率と利潤追求の脅威となるので、すぐに消え去る。
しかし、この説話は唯一絶対のものではない。強い労働組合、ケインズ主義的需要管理、緩和的金融政策、資本主義の制御を組み合わせた黄金期政策が平等主義的社会を恒久的に提供できなかった事実の認識から、何か新しいオールタナティブへ進めるかもしれない。もちろん、一つの政治だけを絶対視するのを避け、柔軟で自由な思考が必要であるが。
まず、黄金期が提供しものを提供できる混合経済とはどんなものか、その輪郭を描くことから始めなければならない。しかし、今度はジェンダーや人種の問題をきちんと配慮しなければならない。そのためには、マルクス主義全部とは言わないが、マルクスの心的態度を取り入れるべきだろう ー 即ち、彼が認めたように、資本主義市場、つまり資本主義そのものは、人類が創り出した中でも最もダイナミックな社会構成体であることを認めることだ。放っておくと資本主義は、『共産党宣言』で書かれたように、「すべて固定したものが消え去る」動的(ダイナミック)なものである。このダイナミックスが意味するものは、格差のない社会を実現するためには新しい政治形態に裏打ちされた新しい制度的構成体が必要になる、ということだ。
黄金期の崩壊が加速していた1970年代、経済学者ジェイムズ・ミードはいかなる政治が平等主義的な社会民主主義資本主義を救えるかを考え、その答えを見つけるためにはケインズ主義の限界を超える必要があることを了解した。彼が提起した解決法は、資本が万人のために役立つように、福祉国家的所得再分配を資本資産の再分配で以て支えることであった。ミードが提案したのは国有化ではなく、広範な資産所有民主主義であった。資産が民主主義的に広範に所有されれば、つまり生産力も平等に分配されるから、富の分配も平等になると考えたのである。(訳注:資産保有の広範化(大衆化)は、意思決定への大衆参加がないと、資本家経営者は少ない資産で意思決定を独占できることになるという欠点がある)
重要なことは、資産保有の広範化は資本主義の悪の一面の解決になるが、全面的解決にならないことを認識することだ。むしろその提案を、例えば米国のバーニー・サンダースや英国のジェレミー・コービン等現在の平等主義的政治家が市場を制御し、21世紀の社会民主主義を活性化させる活動を行っているが、それに成功するためには過去の政策の繰り返しだけではだめだという提案と受け取ることだろう。マルクスも言ったように、資本主義のもとでは後戻りはできないのだ。