前稲嶺市長派の14人全員当選を目指して、3か月前から選挙戦が戦われた9月9日の名護市会議員選挙がとにかく終わった。
残念なことに、1人、大城松健さんだけが70票差で届かず、野党議員が1人減になった。一段落する暇もなく、次は知事選に切り替えなくてはならない。基地容認派の渡具知市長の与党議員側も17人立候補していたが、13人の当選で与党、野党同数である。
この市議選は、2月の名護市長戦で渡具知市長が誕生してから、初めての市議選であり、渡具知市政の野党になった基地反対派14議席を死守できるか、全国から注目されていた。辺野古新基地反対候補者を3人落選させ、与党議員で過半数を狙っていた国や市長の目論見にはかろうじて抵抗できた。「1人の落選だけであって良かった、やれやれ皆頑張ったね」というのが素直な感想である。
しかし、得票数では与党議員の方が上回っており、野党議員でも基地反対の宣伝をすると票が減るという思惑からか、もっぱら出身地元の産業振興のことしか訴えなかった候補者の方が上位で当選している。辺野古のゲート前に来る議員ほど得票数が伸び悩む結果だった。玉城デニー知事候補が市議選の応援に来て、14人の候補者が全員そろうとメールが流れてきたが、9人しかそろっていなかったのは残念であった。
私は名護に在住して3回目の市議選であるが、選挙公報がないので、誰が稲嶺さんを支持しているのかもわからず、どう投票すればいいのかと、前回まではとまどっていた。「地縁血縁だけで決めてはなるまい。候補者の政策を見極める選択肢をもちたい」と、選挙前の沖縄タイムズの社説には書かれていたが、候補者と普段接する機会がない有権者にとっては無理な話である。あいかわらず、少数の候補者のチラシと幟の名前、名前だけ連呼されている宣伝カーの音が聞こえてくるだけの毎日であった。
しかし今回は、私の教え子の吉居俊平さんが共産党の新人で25才で立候補したこともあり、集会で応援演説を2回もさせていただく経験をした。上位8位で当選してうれしいかぎりである。朝の街頭宣伝でも辺野古新基地建設に反対を表明したうえで、再編交付金を使って公約を実現しようとしている渡具知市長のでたらめさをわかりやすく説明した。吉居さんには名護市の医療や介護の問題にも、専門職の立場から新しい風を吹き込んでほしい。今後、若者が彼のように政治や社会変革に参加するきっかけになればと思う。
辺野古ゲート前でも、別の候補者には応援がいないから手伝いに行かねばといった話が飛び交っていた。
9月11日の『琉球新報』によると、今回の沖縄28市町村の当選者で辺野古移設反対は48%、賛成は25%であった。投票率も低下し、相変わらず女性の立候補者が少ない。選挙だけが社会変革の手段ではないが、政治状況を変えるには、もっと多くの女性議員が誕生しなくてはいけない。
翁長知事の遺言でもあった「沖縄の心を一つにする」という沖縄のアイデンティティをいかに形成し、次世代をいかに育てていくか? 沖縄にとっても日本にとっても問われている。