エルサレムへ米大使館が移転するにあたり、真っ先に犠牲になるのは、老人ホームに暮らすロシア系移民たちだ。
エルサレムには米領事館が3カ所ある。東エルサレムのナブルス通りに一つ、西エルサレムの中心地に一つ、そして2010年のオバマ政権時代、米国がイスラエルから買い取った土地、旧ノー・マンズ・ランドに一つだ。旧ノー・マンズ・ランドとは、49年の停戦ラインにあり、48年から67年の間「誰にも属さない土地、侵入禁止地区」とされた土地を指す。
大使館になるのは、この西でもない東でもない、旧ノー・マンズ・ランドがあるアルノーナ地区の領事館だ。「領事館」の代わりに「大使館」と看板を入れ替えるだけだ。
オバマ政権は、西でもない東でもない、その中間地点である旧ノー・マンズ・ランドを西エルサレムの第二領事館として選んだ。和平が成立すれば、建物がない場合、パレスチナ人に真っ先に返還できたはずの土地である。
隣には老人ホームがある。その老人ホームは、新米大使館のセキュリティのため、閉鎖させられることになっている。現在そこに、移民補助や高齢者生活保護を受ける、約500人のロシア系移民老人たちが暮らしている。ほとんどがイスラエルに移民してからずっとエルサレム近辺で暮らしてきた80歳代の老人たちだ。
元来そこは、ソ連崩壊後、ロシアから大量に流れ込んできた新移民を一時的に収容する、住宅施設だった。新移民制度により無料でヘブライ語を習い、仕事に就き、イスラエル社会に溶け込んだ人々は一般家屋に移り住んだが、ヘブライ語を習得できなかったり、高齢で社会に溶け込めなかった人々は、そのままそこに住み着いた。今は、生活補助を糧に生きるロシア系移民の老人ホームとなっている。
移転させられることになった移民老人ホームの老人たち
米国大使館に変身する予定の領事館。左遠方の建物が強制退去させられる老人ホーム
「高齢者を移すのは酷だ」
1962年生まれのイスラエル人の友は、このアルノーナ地区に生まれ育った。彼女はこう証言した。「イスラエル建国後、北欧からイスラエルに移民した両親は、西エルサレムの東端で安い土地を買って家を建てた。私の家が西エルサレムの一番端にあったのよ。幼い頃、家の前には一直線に鉄条網が張られていて、その向こうはだだっ広いノー・マンズ・ランドが数百メートル広がっていたのを覚えているわ。67年占領開始後、その鉄条網は取り外され、ポツポツと建物が建ちだしたの」。
こうしてアルノーナ地区は拡大されてきたのである。
2014年、米国は隣接する老人ホームを買収し、民生・移民局に借屋するようになった。同時に「2016年6月20日までに居住者=老人たちを退去させろ」と、民生・移民局に告げた。
「高齢者は新しい場所に慣れるのに時間がかかる。別の場所に移すのは酷。先行きを危惧する老人たちが気の毒だ。移転させるのであれば、それなりの対処を示してほしい」―現場担当者は何度も当局との話し合いを持ったが、納得のいく回答は得られてこなかった。ところが、急きょトランプによる「大使館移転を今年5月に」が発表されると、エルサレム市役所は、ここの老人たちを収容するため、新しい老人ホームを急ピッチで建設し始めた。完成予定図は優雅な外観だ。
今も草だらけの、本来米国大使館が建てられるはずだった土地
ヘブライ語を話せない高齢者に強攻策を強いる卑劣なイスラエル
「老人ホームから高齢者を追い出すのをどう思うか」―一般市民に聞いてみた。
イスラエル建国以前にここで生まれ育った男性(73)「米国大使館がエルサレムに移ることの方が重要だ。老人ホームのロシア人の気持ちなんて知ったことじゃない」。
イラク系ユダヤ人(53)「あそこに住んでる高齢者は、もっと見栄えのする建物に移れるんだからいいんじゃないの」。
アラブ諸国出身者は、基本的に両親を老人ホームに入れない。介護人が必要である場合、親を自分の家に引き取り、経費を兄弟で割りかんにして介護人を雇い、自宅で面倒をみるのが普通だ。
一方、イスラエルになんとかして溶け込み、ぎりぎりで生きているロシア系移民たちは、親の面倒を見る余裕も環境もないというのを付け加えておきたい。北欧系のイスラエル人(77)はこう答えた。「ヘブライ語が話せない高齢者なら抗議しない。それを逆手にとって強攻策を強いる米当局とイスラエル当局は、人道的に許せない」。
イスラエルのグローブス新聞(昨年12月25日付)は以下のように報道した。「現在、新しい老人ホームが建設されているが、全老人を収容する建物を市内に建てるのは無理がある。2020年以降、約200人の老人がホームレスになるだろう」。
新米大使館からの展望。遠方にユダ砂漠、その向こうにヨルダンが見える。南方は東エルサレムのスール・バハル、北方はジャバル・ムカッベル。手前はイスラエル入植地
この建造物は国際法違反だ
その老人ホームを訪ねてみた。遠方にヨルダンとユダ砂漠が見える、見晴らしの良い玄関前のベンチで日光浴をする老人たちがいた。彼らとヘブライ語で会話することは不可能だった。
建物の中は清潔だが、暗い雰囲気が漂っていた。ロビーには至るところにロシア語の注意書き。受付の男性もロシア移民のようで、ロシア語訛のヘブライ語を話す。詳しい話を聞かせてほしいと願い出た。「ここの住民は近いうち、移転する。時期と行き先はわからない。散り散りになると思う」。
この高齢者アパートの借家契約は4年ごとに更新するようになっており、契約満期になる前に強制退去させられる老人もいるようだ。
80年代後半レーガン政権時代、米国は将来エルサレムに大使館を建てる可能性を考えて、西エルサレムの南東、へブロン街道に面する広大な土地を購入した。その際「エルサレムに大使館を建てるにあたっては熟考すべき」とただし書きが記された。
国際社会がイスラエルの首都をエルサレムであると認めていないため、「エルサレムに大使館」は問題視されてきた。だから今までそこは着手されなかった。トランプの急な発表「今年5月にエルサレム大使館を移転」には、間に合わない。そこは今も草だらけだ。
ノー・マンズ・ランドに建造物を建てることは国際法違反である。