「クーデターなきクーデター」~ムガベ退陣劇の真相~

ランガリライ・ムチェトゥさんインタビュー

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  昨年11月21日、ジンバブエのロバート・ムガベ大統領が辞任した。かつては「アフリカの英雄」とも称され、1980年の独立から一貫して最高指導者の座にあったムガベの辞任には、欧米メディアを中心に「軍によるクーデター」「独裁者の末路」といった評価が下され、日本でもそれを後追いする報道が行われた。しかし、当事者ジンバブエの人々からすれば、事態はそれほど単純ではないという。日本に留学中のランガリライ・ムチェトゥさんにお話を伺った。今号から3回に分けて掲載する。聞き手は山口協(地域・アソシエーション研究所)

ランガリライ・ガヴィン・ムチェトゥさん
987年、ジンバブエ、マショナランド・ウェストのチノイ生まれ。現在、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程に在学中。協同組合を軸にした農業と農村開発の研究がテーマ。

メディア報道は事実と合わない

◆編集部 ムガベ大統領が辞任しましたが、辞任をめぐる動きやその背景についてどうお考えですか。
◆ムチェトゥ まず、これからお話しするのはすべて私個人の意見であり、所属する団体や大学、携わっている研究活動などとは関係ないことをご理解下さい。
 その上で、国内外のメディアが当初に流した記事は推測と予断が多く、事実に基づいていないと思います。私は当時ジンバブエに帰省しており、CNN、アル・ジャジーラ、BBCなどの報道に接しましたが、どれも事実と合っていませんでした。

ムガベ退陣に二つのシナリオ

 今回のムガベ退陣をめぐっては、次の二つのシナリオが考えられます。

 一つは、チウェンガ国防軍司令官がクーデターを試みたが、周辺諸国などが反対し軍を派遣するかもしれないと考え、安全策としてムガベと交渉し、憲法に従って辞任するよう説得した、というものです。国内外のほとんどのメディアの見解です。しかし、以前からの事態の推移を注視すれば、もっと長期的な背景があったのは確かです。

 それが二つ目のシナリオです。2014年12月、当時のムジュル副大統領が大統領職の乗っ取りを企てた容疑で失脚し、2017年11月6日にはムナンガグワ副大統領が同じ容疑で失脚させられました。この頃には、政権内にいるかつての民族解放戦争の古参兵たちがパージされていること、さらにその理由も判然としていました。

 すなわち、ムガベの夫人グレースが大統領職に野心を持っていたということです。彼女は「民族解放戦争世代の支配から脱却しよう」と熱弁を振るい、政権与党「ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU‐PF)」の中に「G40」(解放戦争以後に生まれた戦後40年世代)という派閥を作りました。

 明らかに指導者としての資質を欠くグレースの野心に、当惑する人は数多くいました。背後で指揮したのはムガベではなく、政権の実権を握るモヨ高等教育相だと見る人は少なくありません。私もそう思います。

 ムガベは本心では引退して静かな余生を送りたかったのに、彼の名前を使って蓄財に励む取り巻きの圧力で強硬姿勢をとったのでしょう。11月6日のムナンガグワ解任はG40の行程表に沿ったものです。2018年の大統領選にはムガベかグレースが立候補する予定でした。

いつもと変わらぬハラレの賑わい

 その後もムナンガグワや解放戦争元戦士とつながる官僚などが公職を追われ、次はチウェンガ国防軍司令官などが解任されるとの噂が流れました。そのため11月12日、チウェンガはこのまま無法を続けるなら軍は憲法212条に従って介入せざるを得ない、との声明を出しました。憲法に従って選出された閣僚が追われ、そうでない連中が行政機関を動かしているのは国家の安全と利益に対する危機だ、というわけです。

 その2日後、11月14日には戦車が首都に進攻し、国会議事堂や大統領官邸、政権与党本部、国営放送本部といった国家の重要拠点を占拠しました。実は当時、私は国会議事堂から200メートルほどの場所で会合をしていました。ソーシャルメディアでは衝撃的な記事が飛び交っていましたが、実態とはかけ離れた内容ばかりでした。

 翌日の早朝、テレビ局を占拠した軍は国民に向けて「これはクーデターではない。『遺産回復作戦』という名の鎮静行動だ」と放送し、「ムガベ大統領とその家族は無事である。軍が対象とするのは大統領を取り巻く犯罪者どもだ」と説明しました。

 ソーシャルメディアでは大騒ぎになっていましたが、首都のハラレはいつもと変わらぬ賑わいを見せており、私たちも会合を続けました。ただ、外国からの参加者たちは「内戦になるのではないか、空港が封鎖されるのではないか」と不安がり、自国の家族に電話していました。

 ともあれ、軍は「クーデターでない」と宣言したのです。つまり、憲法に基づいて成立した政権を転覆させないということです。ムガベ自身も辞任を拒否し、軍は穏健な形で政権交代を実現しようと苦戦しているようでした。軍事行動で政権を転覆すれば明らかにクーデターであり、SADC(南アフリカ開発共同体)やAU(アフリカ連合)といった地域機関の介入を招くからです。

「クーデター」とは言えない

 軍はムガベと交渉を続ける一方、別の方法で圧力をかけました。11月18日には「解放戦争退役軍人協会」を含む市民団体が反ムガベデモを呼びかけ、大勢のデモ隊が官邸へ押し寄せてムガベの退陣を求めました。

 一方、政権与党の一部はムガベをリコールすべく、議会での大統領弾劾決議へと動き出しました。G40を背後で操るムガベ取り巻きの「犯罪者ども」は、自らが宣伝手段としていた国営放送局が軍に接収され、身動きが取れなくなりました。

 こうして退陣圧力が高まる中、ついに11月21日、ムガベは辞任したのです。

 このように、軍の行動は表面的にはクーデターのように見えても、国家元首の追放、憲法の停止、議会の解散といったクーデターの一般的な定義を踏まえると、重要な要素がいくつか欠けています。

 チウェンガの軍事介入は現職大統領を力で放逐したのではなく、むしろ不可解な政治過程を通じて政権交代が生じるような環境を作り出したのです。そんなわけで、多くのジンバブエ人は今回の事態を「クーデターなきクーデター」と呼んでいます。(次号につづく)

◆ジンバブエとは? ジンバブエ共和国はアフリカ大陸南部にある内陸国。近代以降ヨーロッパ列強による植民地争奪の標的とされ、19世紀後半にイギリス南アフリカ会社の管理下に置かれる。第一次世界大戦後にイギリス植民地「南ローデシア」とされた。

  1960年代以降、アフリカ各地で民族解放を求める闘争が噴出、ジンバブエでも黒人のゲリラ闘争が拡大。これを受け、宗主国イギリスも限定的に黒人の権利に配慮した形での独立を提案したが、白人農園主を中心とした植民地政府はこれを拒否。1965年に「ローデシア」としてイギリスからの独立を宣言、人種差別支配を強化した。

  しかし、黒人の解放闘争はさらに激化、周辺諸国の独立や国際的な経済制裁などの圧力も加わり、1979年にはゲリラとの間で協定締結に至る。最終的に、一旦イギリス領に戻った上で1980年、ジンバブエ共和国として完全独立を果たす。

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