「懲役1年。執行猶予3年」の有罪判決は、楽観はしていなかったので想定内ではあった。だが判決理由を聞いて「到底受け入れられない」との思いが募った。
実質的に被害者のいない事件で懲役刑を科す以上、それなりの判断基準が示されるはずだとの淡い期待が裏切られたからだ。川上宏裁判長らは、検察への迎合を超えて、政治権力の一部に同化し、司法の独立を放棄した判決を下した。
私が主張した、実質的に口座を管理していたのは私であること、キャッシュカードを海外の親戚に渡していることは銀行に伝えており、騙す意図はなかったことについて、判決理由は、「長期間にわたって…(第三者が)出金をくり返していること」、特殊詐欺について最高裁判例を根拠にして、「いずれも採用できない」と結論づけ、有罪とした。
そもそも私は、レバノンで亡命生活を送る岡本公三氏への生活・治療資金を送るために銀行口座を開設した事実も、カードをレバノンに送ったことも、否定していない。つまり事実関係を争っているのではなく、私の口座の使い方が銀行の約款違反だったとしても、被害者がどこにもいない「詐欺事件」が成立するのか?が、争点であったはずだ。
判決は、この点について検討すらしていない。振込詐欺とはどう考えても無関係な事案について、特殊詐欺の防止のために作られた銀行約款違反を理由に有罪にすることが許されるなら、その根拠を示し、誰が被害者か? どのような社会的損害が生じるのか? を示すことこそ裁判所の役割だが、それは放棄された。
神戸地裁の大法廷で行われた「ちゃちな詐欺事件」は、実質的な判断をせぬまま、有罪判決が下された。こんな判例を確定させることこそ罪悪である。
23日、控訴手続きを終え、争いは大阪高裁に移る。人民新聞社への不当なガサイレに対する国家損害賠償請求訴訟も準備中だ。判決への抗議とともに両裁判への支援をお願いする。