右翼の怒声の中天皇制廃止デモ
2016年11月21日、私たちは怒号の飛び交う吉祥寺の街に居た。「天皇制いらないデモ」だ。
天皇明仁の「おことば」による退位の表明は、憲法に定められた国事行為でも「平成」に範囲が拡大されてきた公的行為でもなく、まさに憲法違反の政治行為だった。それは同時に、天皇制の存続を人民に命じるということだ。デモは、この国の差別と抑圧を体現する天皇制に対抗して行われた。 結果は、宣伝カーは右翼にボコボコにされ、横断幕や旗、プラカードのほとんどが奪われた。けが人も出た。警察はこれを見ているだけ。右翼と権力が一体化した姿が白日の下にさらされ、警察に批判が集中した。
翌17年6月4日の「帰ってきた天皇制いらないデモ」は「平穏」に貫徹されたが、代替わりを契機とした天皇制廃止を求める緩やかなつながりができ、昨年11月26日には「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」を開催。憲法学者の横田耕一さんと朝鮮現代史の吉澤文寿さんをお呼びして講演を聞いた後、原宿から渋谷をデモで練り歩いた。こちらも比較的「平穏」に済んだ印象だが、政府にとっては「無風状態」こそが一番良い状態なのだ。
このような天皇制廃止の取り組みの一環として提起したのが、「新元号制定に反対する署名」だ。数多くの課題を抱える天皇制だが、より広範に、と考えての提起だ。
「元号は不要」高まる意識
敗戦の後も元号は生きながらえ、血塗られた「昭和」はそのまま継続。裕仁死去に伴って全国に広がった元号拒否の闘いは、85年の「日の丸・君が代」についての文部省調査と事実上の強要通知に対する反対闘争とともに、学校や自治体などの現場で展開された。侵略と殺戮のシンボルとしての天皇制と、元号問題は解決されていない。
一方、単純に「不便」という理由も含めて、インターネットでは元号不要論が公然と語られている。昨年NHKが行った世論調査では、「西暦よりも元号をつかう」と回答した人は28%に過ぎず、68%が「元号よりも西暦をつかう」と回答した。多くの人が改元のたびに暦がリセットされる不便さを感じ、元号は生活から急速に後景化している。それでも役所や学校などでは慣例化し、事実上強制され続けている。
4月15日に東京都府中市で行われた「多摩地域メーデースタート集会」に対し、天皇制右翼による妨害が行われた。事前の告知では天皇制についてほとんど触れていないし、そもそも主催は地域の労組や反戦団体による実行委員会だ。制服・私服の警官が多数居たにもかかわらず、会場である建物6階まで3名の右翼の侵入を許した。集会自体は無事に終わったものの、警察の「敢えて」侵入を許した行為は、権力と右翼が一体で反天皇制運動弾圧を行った吉祥寺のデモを彷彿とさせる。
気付かないうちに、事態はここまで進んでいる。「新元号制定に反対する署名」をお願いします。
署名はhttp://tennoout.hatenablog.comentry/2018/02/07/112228からダウンロードできます。 次回集約は7月31日です。