暴走する復興庁本格的な隠ぺい
昨年末復興庁は「原子力災害による風評被害を含む影響への対策タスクフォース」を公表した。主な内容は、(1)福島原発事故の放射線量では「健康に影響の及ぶ数値ではない」、(2)放射線被曝により「遺伝的影響が出ることはない」、(3)100~200mSvの被曝は「野菜不足や高塩分食品摂取」程度のリスクに過ぎない、というものだ。
さらに、(4)福島県内の空間線量率は「大幅に低下」し「全国の主要都市とほぼ同水準」なので、福島への修学旅行・教育旅行を広く実施するよう文科省・教員・旅行業者に要請、(5)福島県産の食品は「安全性が確保」されており、学校給食で使うよう要請する、(6)係数操作による被曝基準の3倍への緩和、(7)「健康影響は未だ結論が出ていない」という「曖昧な表現」は「いたずらに不安を煽る」ので、「シンプルに発信する」=影響は「ない」と決めつける教育を実施、等。
要するに、露骨な嘘と被曝の強要である。
福島原発事故をめぐっては、「放射能による健康被害が『ある』か『ない』か」が、政府・専門家との論争の基本的対決点だ。
被曝=ゼロという暴論
安倍首相の「健康に対する問題は、今までも、現在も、これからも全くない」という発言から始まり、14年12月の「中間取りまとめ」で公式に政府方針として決定された「被曝被害ゼロ論」は、最近、極端に露骨な暴論となっている。
昨年9月1日に発表された日本学術会議の『子ども放射線被ばくの影響と今後の課題』報告書は、子どもの放射線感受性が強いことを含めても健康影響は一切「ない」と強弁した。そして今回の復興庁文書は、影響が「ある」という見解は全て「風評」だと決めつけるように、という方針を、関係省庁に指示したものだ。
健康被害ゼロ論には、もともと2つの要素、(1)安倍首相のような確信犯的断定論と、(2)「分からない」「確認できない」「証明できない」という不可知論が混在していたが、今や政府は、(2)を排して(1)で徹底しようというわけだ。
窮地の政府は子どもを犠牲に
しかも政府は、その際、福島への修学旅行・教育旅行を全国的規模で組織することや、全国の学校給食に福島県食品を広範囲に利用することなど、子どもを犠牲にして放射能安全・安心宣伝を行おうとしている。
政府がこのような主張をするのは、窮地に立たされているからに他ならない。
表向きには、東京オリンピックを前にして、福島事故放射能の影響はゼロと取り繕わなければならない事情がある。
オリンピックまでに避難区域を全て解消して、復興を演出しなければならない。
さらに経済財政的には、健康被害が「ある」ということになると、政府と東電は、100兆円ともいわれる巨額の賠償を長期にわたって負担しなければならなくなる。
それだけではない。仮に健康被害が「ある」となれば、被害の程度や範囲や規模が問題になり、チェルノブイリ事故や核実験の人的被害との比較において、死者は極めて大きく、数十万から数百万人規模ということにならざるをえない。
福島級事故の再発をいわば前提とした原発の大規模再稼働や原発輸出などは、不可能に近くなるであろう。
有名人や閣僚の早死増加に焦る集団自殺的な安全論に反対を
さらに、アメリカは朝鮮半島やその他の諸地域において核戦争を準備しているが、「死の灰」の危険を認めれば、そのような計画への日本の協力にも障害となる。日本の独自核武装の野望に影響が出ることが、避けられない。
最大の要因は、健康危機が現実に顕在化するなかで、政府自体が陥っている深刻な動揺と考えるべきだ。復興庁文書の異常性が示すのは、政府・政府側専門家・原発推進勢力の自信ではない。逆に危機感・焦燥感である。同文書自体が「国民一般に対して放射線に関する正しい知識」が「十分に周知されていなかった」と「反省」しているように、多くの市民は政府や専門家の唱える放射線被害ゼロ論を信じてはいない。
近年になって、多くの人々が、福島だけでなく東京・関東圏でも、自分や子どもや家族に生じている健康被害に直面して、放射線影響を疑い、これを避けるために関西圏や北海道のみならず、海外にまで避難し始めている。
有名人たちの早死が目立つだけではない。元復興副大臣・松下忠洋や環境政務官・白石徹など福島事故・復興関連の政府高官の立て続けの早死は、あまりに示唆的だ。
これらの事情から、政府は、何としても健康被害の「一切」を「ない」ことにし、影響が「ある」という見解に攻撃の矛先を向ける。多くの場合「確率的」に生じるであろう被害者に対しては、放射線影響では「ない」と信じさせて、静かに従容させ病気や死へと導く。こうした政府の対応が定まったのである。
人々に高い線量を被曝させ、体調不良や病気や死を強要していくという「集団自殺的」な政府の政策方針に反対していこう。そうでなければ、子どもたちを始め多くが病気になり大量に殺されていく。