【論 説】象徴天皇制の根源的矛盾が露呈

平成天皇の「生前退位」発言を考える 論説委員 津田 道夫

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第2回論説委員会のテーマは「現代天皇制」

 一昨年、現天皇が表明した生前退位への意向が、改めて現代天皇制の矛盾を顕在化させた。21世紀の中で、日本における社会変革を考える時、「天皇制」にどのように対するのかが私たちに改めて問われている。

戦勝国アメリカの妥協的産物

 2016年8月に発表された、現天皇の「生前退位」への意志表明は、戦後憲法下における天皇制の持つ根源的矛盾を改めて浮き彫りにするものであった。 出自を問わず、人が等しく1人の人間として平等にその尊厳を持つとする「基本的人権」の理念に照らせば、世襲制の天皇の存在は許されるはずもない。にもかかわらず、戦後70余年、日本の政治体制は、「象徴天皇制」という戦勝国アメリカが妥協的産物として産み出した体制を守り続けてきた。

 そして、日本人の多くは、その現実を自らの生活の中で深く問い直すこともなく、ごく自然に受け入れて来たとも言える。ひるがえって、日本軍が行った東アジアへの侵略、非人間的で悲惨な戦争行為によって、多くの家族、同胞を殺りくされた国々の人たちにとって、その中心的役割を担った昭和天皇の免責は、心の深部に残ったトゲのように消し去ることのできない痛みを今も残している。

 東アジアで、世界全域で、再び戦争への流れが加速しつつある今日。日本の政治体制にとっての課題であると同時に、東アジアにおける日本の役割りという課題としても、「戦後象徴天皇制」にどう向き合うのかを考え、論議を重ねるべき時なのではないだろうか。

 現天皇の「生前退位」発言は、周到に準備された政治的行為であることは疑いない。例えば、その発表のタイミングが、その前月に行われた参議院選挙の結果を踏まえてのものであることは、容易に想像がつく。

 当然、安倍政権は露骨なまでの不快感を示して、この発言を受け止めた。一方で、九条を中心とする護憲勢力の側からは、安倍政権が参議院での3分の2議席確保を受けて進めるであろう、改憲発議に向けた動きへの抑止効果としての期待感すら語られ始めた。結果、天皇の政治的行為を禁じた憲法違反に相当する発言だと、憲法学者は警告している。

 しかし、「象徴天皇制」を今日的に吟味の俎上にのせて論議するには、その政治体制が孕む根源的矛盾を、1人の人間として生きてきた現天皇自身の「生前退位」発言を無視したり、一笑に附すのではなく、検討してみることも重要だろう。何故なら、彼ほど深刻に、象徴天皇制について考えざるを得なかった日本人は他にどこにも存在しなかったことは、事実なのだから。

 それは、言葉を換えて言うなら、戦後日本における左からの天皇制批判が、明治以降の神格化された天皇国粋主義による人権じゅうりんという歴史的事実への強い憤りを背景に、極めてイデオロギッシュな形でのみ進められて来た結果、深く国民の関心すら生み出し得なかったという自省をこめて、ということだ。

天皇家に嫁ぐ女性たちが生きた現代天皇制の非人間的現実

 こうした点から戦後天皇制批判の底の浅さを指摘する一人に、戦後直後の中野重治「五勺の酒」に言及した高橋源一郎がいる。「生前退位」発言から5カ月後の17年1月19日付「朝日新聞」の紙面で、彼はこう語っている。―戦後71年。この国の人々は、過去を忘れようと、あるいは都合のいいように記憶を改竄しようとしている。だが健全な社会とは、過去を忘れず、弱者や死者の息吹を感じながら、懐かしく未来へ進んでいくものではないのか。個人として振る舞うことを禁じられながら、それでも「その人」は、ただひとりしか存在しない、この国の「象徴」の義務として、そのことを告げつづけている。だが、70年前、中野重治が悲哀をこめて書いたように、その天皇がほんとうには持ったことのなかった「人権」について考えられることは、いまも少ないのである。

 ―戦後世代である私達が目撃して来た、もう1つの現代天皇制による非人間的現実は、その「天皇」家に嫁ぐ女性たちが生きてきた苦しみ多き現実ではないだろうか。現皇后、皇太子妃、秋篠宮妃。彼女たちの立ち居振る舞いや、顔つき、その表情に、戦後日本に生まれ、私たちと同じ時代を生きて来た女性が、本来担うべくもない重荷を引き受けざるを得なかった、非人間的現実を想像せざるを得ない。そして、その1点からだけでも、現代天皇制は変革されるべき体制に違いない。

「国家」をどう考えるのか

 もう一つ。現代象徴天皇制を論議する上で重要な課題となるのは、「国家」をどう考えるのかという点だと思う。なにやら「国」が人間の上に在って、人々の生活に超越的役割りを果たしているかのごとき主張が、政府のトップを筆頭にして、あたり前のように語られる昨今の情況の中にあって、私たちは国家というものをどう把え、どう関与していくのか。

 中国という古くて大きな国の隣にあって、小さな島国としての歴史を受け継いで来た日本という国を、私たちはどのように、21世紀に再建していくことができるのか。現代天皇制の変革も、そうした過程の一部として構想されるべきではないだろうか。政治学者・福田歓一が1962年4月に書いた「20世紀における君主制の運命」と題する小文の中で、彼は「国家の実体は社会のあらゆる生活領域にあり、政治は社会のマネイジメントにすぎない」と述べ、「日本の象徴天皇制は憲法の条文で保障されているだけであって、事実的には、それが象徴すべき社会体制は不在なのです。その支持者の本音、あるいは思考様式はほとんど神権天皇制の延長か、復活かの域を出ていません」と的確かつ痛烈に述べている。

 それから50余年。日本社会がますます、不安定さを増し、非人間的状況を生み出しつつある中で、現代天皇制をめぐる議論の再構築は、日本における社会変革の道すじを模索する上でも避けては通れないものとなっている。

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