【論説】朝米首脳会談 朝鮮半島非核化後問われる在韓・在日米軍

東アジアの非軍事化、民衆交流活性化に向け 論説委員 山田 洋一

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第3回論説委員会のテーマは「朝鮮半島情勢」。朝鮮半島の非核化と東アジア地域の安定化をめざす朝米首脳会談の開催が紆余曲折を経ながらも決定した。世界が注視するなか、両国の「駆け引き」ばかり強調されているが、(1)ここまで交渉を積み上げてきた韓国・文在寅政権の外交努力を確認し、(2)朝鮮半島非核化後の日本の役割について考えてみたい。

 それにしても、朝鮮半島非核化交渉において日本政府は、蚊帳の外にあり、その存在感の浮薄さばかりが目立つ。これは安倍外交失敗の結果であり、首相の世界観が独りよがりな狭隘なものであることを証明している。

 日本の主流メディアも同様だ。首脳会談をめぐる日々のニュースは伝えても、日本外交の現状を批判的に分析し、転換を求める主張は見あたらない。現状を追いかけるしかないという意味で、安倍外交の貧弱さと軌を一にしている。歴史的転換期に存在感の浮薄さばかりが目立つ日本外交の現状は、厳しく問われ直さねばならないだろう。

 朝鮮半島の非核化ばかりか、東アジアの非軍事化、民衆交流活性化に向け日本が果たすべき役割を見いだしたい。論説委員会は、こうした問題意識から出発して、議論を進めた。

 まず、朝鮮半島非核化の飛躍的進展は北朝鮮への「圧力の成果だ」とする見方は、見当はずれだ。年明け以降の和平・非核化に向けた対話路線は、北朝鮮・金正恩氏と韓国・文在寅氏の主導で行われていることは明らかだ。中間選挙しか頭にないトランプ大統領の主導性はみられないし、圧力一辺倒の安倍首相は、せいぜい「拉致問題」を言い立てて、雑音を発するのが精一杯である。

南北関係と韓国民主化闘争

 韓国民主化闘争は、朝鮮半島統一に向けた動きと表裏一体となって展開してきた。朝鮮戦争によって分断が決定的になった後、軍事クーデターによって朴正煕が政権を奪取したが、反独裁民主化闘争の重要な要求として「祖国統一」が語られ続けた。そうした民衆の後押しによって南北共同声明(1972年)が発表され、「平和的・自主的」との原則が打ち立てられた。

 その後、「南北基本合意書」(1991年)では、自主、平和、民族大団結の3大原則を再確認するとともに、南北の和解、南北不可侵、南北交流・協力が謳われた。

 民主化闘争の画期的勝利として登場した金大中政権は、「太陽政策」をかかげて交渉を続け、初の南北首脳会談を開催。その成果として6・15南北共同宣言(2000年)を発表した。

 李明博・朴槿恵ら保守政権は再び北朝鮮との緊張を高めたが、ロウソク革命を背景に成立した文在寅政権によって、現在の流れにつながった。

 日本と朝鮮半島の関係については、侵略・植民地化という近代史に加え、戦後においても日本は、朝鮮戦争(1950年)特需によって高度経済成長のきっかけをつかみ、日韓基本条約と日韓請求権協定(1965年)によって、日本企業は韓国に進出。地下鉄・高速道路などの各種交通インフラ整備を受注するなどして、海外経済進出の足がかりを作った。

国際連帯で米軍の撤去を

 朝米首脳会談の合意内容は予断を許さないが、南北平和共存、経済交流活発化の流れが変わることはないだろう。北朝鮮への開発投資が進めば、北朝鮮の経済発展は加速されるだろうし、政治の流動化も呼び起こすだろう。北朝鮮民衆の動向を注視したい。

 さらに、朝米友好条約・朝鮮半島の非核化の実現後には、在韓・在日米軍の存在理由が問い直されるだろう。在沖米軍の非核化のみならず撤去こそ追求されねばならない。

 60年代の青年たちは、国際主義をかかげて新左翼運動を展開。新植民地主義やアジアへの経済進出を批判してきた。グローバル資本が闊歩する時代、新たな国際主義の復権が求められている。

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