【時評短評 私の直言】「福島安全神話」を撃つ

避難する権利の確立を 高校教員 大今 歩

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 福島原発事故から7年経ったが、今なお7万3千人が避難生活を続ける。昨年3月末政府が帰還困難区域以外の全ての地域で避難指示を解除すると同時に福島県は自主避難者(約1万2500世帯)への住宅支援を打ち切った。事実上の帰還強制である。

 一方本年3月15日、京都地裁は京都府の自主避難者ら174人のうち149人の避難を相当と認め国と東電に賠償を求めた。翌3月16日、東京地裁は東京都の自主避難者ら47人のうち42人に賠償を求めた。このように司法は自主避難者の「避難する権利」をようやく認めた。

 しかし、自主避難者に対する偏見は相変わらず根強い。そのことについて本年1月、出版された「しあわせになるための『福島差別』論」(かもがわ出版)を通して考える。本書は「福島県民であることを知られないように生きていきたい」と語る人がいることから「福島に対する差別」を克服するためとして14人が論じるものである。「はじめに」を述べる清水修二氏は元福島大学副学長で福島県民健康調査検討委員会の副座長をつとめる。彼はまず、A○自主避難者の「戻らない権利」を主張、B○小児甲状腺がんについて「明らかに被曝がもたらした多発だ」と主張、C○子どもの安全な場所への保養、福島県は住んではいけない危険な場所であることを認めることにつながり、福島に住む人々を追い詰めている、と述べる。

 さらに彼は(福島に対する)「差別」と(福島県民の)「分断」を乗り越えるには(1)それぞれの判断と選択をお互いに尊重する。(2)科学的な議論の土俵を共有することを提唱する。

 まず、(1)について私はこれにまったく賛成である。しかし、前述のように清水氏は自主避難者や保養に熱心な親は県内にとどまっている人を貶めていると非難する。自主避難者らが県内にとどまる人を貶めた事実は挙げられていないにもかかわらず、このように非難することは主張と真逆に両者はともに原発事故の被害者なのに両者を分断するものである。(2)についてもこれに同意する。しかし(2)を裏付ける論考で早野龍五氏(物理学)が「福島での放射線のリスクは十分低いレベルである」と述べ、児玉一八氏(原発問題住民運動全国連絡センター代表委員)は福島県での小児甲状腺がんの多発は原発事故との関係はなく「過剰診断」(放置してもかまわないがんを検査によって発見)の結果であると断定する。清水氏や児玉氏らは「脱原発派」であるが、彼らは「福島安全神話」を唱え、原発事故と病気、症状との関連を真っ向から否定するのである。

 彼らの主張に対する具体的反論は字数の関係で避けるが、3月10日、大阪市で開催された「原発避難者と仲間たち」での、原発事故後、福島や関東地方から西日本に避難してきた8名の方のパネルトークでの発言から考えたい。彼らの発言で共通していたのは、事故直後「鉄の味がした」、大人は「奥歯が抜けた」、子どもは「ひどい鼻血が出た」などだった。これらは他の3・11の被ばく者も証言してきていることである。さらに「チェルノブイリ原発事故10年目の健康調査」(DAYSJAPAN2015年4月号)でも多くのチェルノブイリ避難民が「臭いがした」「舌に味を感じた」「鼻血がでた」などと答えている。

 放射能と病気、症状との関連は未解明な部分が多い。科学の役割とは、小児甲状腺がんなどの病気や症状と放射線被ばくとの関連を調査して追及することにある。ところが右のように清水氏らは自主避難者を非難する一方で「福島安全神話」を唱え、政府や福島県を擁護する。清水氏らの態度は「科学的議論の土俵を共有する」ことと真逆に「科学的議論」を閉ざしてしまうものである。避難する権利が確立されねばならない。自主避難者を支え、政府東電への責任追及を続けよう。

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