溝をあらわにした日米貿易協議
4月の日米首脳会談は、北朝鮮と貿易の両方の問題で両国の溝があらわになるものだった。とくに18日の通商分野についての議論では、日米で新たな貿易協議を始めることで合意しただけで、米国のTPPへの復帰を求める安倍の訴えは聞きいれられなかった。トランプは「私はTPPが好きではない」と言ったと報じられている。彼にとっては好き嫌いの問題であるらしい。
さらに、3月に米国が発動した鉄鋼・アルミ製品への高関税から日本を除外してもらうこともかなわなかった。ゴルフで培った友情は大したものだ。「安全保障上の理由」とされるこの高関税の適用から、FTA再交渉中の国は除外されており、あからさまに恣意的な措置だ。
トランプが物議を醸すのはヘアスタイルだけでたくさんだ。しかし、現にこういう大統領であるからには、心しておかなければならないことがある。専門家による分析はあてにならないということだ。彼のすることに脈絡などないのだから。そこでわたしのような素人も貿易問題に口を出してみる。
第二次世界大戦後、保護貿易主義が戦争に帰結したことを「反省」した支配階級は、アメリカの主導で自由貿易体制(IMF・GATT体制―95年からはWTO体制)を形成した。この自由貿易体制による高成長は、70年代に終わる。80年代以降のアメリカは金融自由化で延命をはかるが、2008年の「リーマン・ショック」で破たんがあきらかになった。
そして今日の「アメリカ・ファースト」とは、アメリカが戦後自由貿易体制の停滞を打開する方策を見いだせず、もはや世界市場の安定に責任を持つ力を失ったことの表現だ。「他の国などかまっていられない」と排外主義にのめりこみ、再び保護主義に傾いているのが現局面だ。TPPのような環太平洋に限定された多国間協定さえ放り出し、2国間のFTAに活路を見いだそうとしている。
多国籍企業だけを利して、人々は損害だけを被る
ところで、TPPやFTA反対運動のなかで気になるのは、右派も左派も、「国益に反する」という言い方をよくすることだ。
そうだとすると、TPPから離脱したトランプは「国益」を守ってくれたことになるのだろうか? また、米国離脱後もTPP締結を進めようとする日本政府は、自ら「国益」を投げ捨てる自虐行為に及んでいるのだろうか?
そうではなくて、TPPやFTAという枠組み自体が大企業、多国籍企業に有利で、一般市民や労働者、中小企業や小規模農業・漁業にとっては不利な仕組みだととらえるべきなのである。「国益」論的な発想から、ある国が利益を得て、相手国は損害を被るという側面だけをとらえていると、事態を見誤る。両国の大企業が利益を得て人民が損害を被る、と階級的にとらえるべきなのだ。
日本政府は、米国抜きでもTPPを進めて環太平洋地域での自国資本家階級の権益を拡大しようとしており、国内でも並行して食の安全基準の緩和や種子法廃止など多くの新自由主義的政策を制度化してきたのである。
グローバリゼーションにより世界が一つになってからは、解決すべき問題は基本的に世界的・普遍的な問題だ。資源と環境の危機、恐慌をもたらす金融危機、ドル以後の通貨貿易体制……どれをとっても「国家」の枠組みにとどまっていては解決の糸口は見えてこない。そして支配階級は戦争にしか展望を見いだせなくなっている。いかに遠大な課題に見えるとしても、国境を越えた人民の連帯の側からしか解決の展望は出てこない。問題はそれが「世界の終わり」より後か先かということである。