【実録】公安警察取り調べ(8)

拘置所で迎えた正月「自由」を考える  編集部 山田洋一

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 12月22日に拘置所に移されて以降、読書と気功と運動という平穏な日々を過ごしたが、拘置所の正月はさらに穏やかで静かなものだった。日記には、「いい朝だ。気分もいい」と書かれている。

 「拘置所で迎える正月」というと、なんだか惨めで寒々しい。神戸拘置所は六甲山系の中腹にあるので、平地より3度くらい寒い。暖房がないので、拘置所が支給する衣服と寝具だけで過ごす収容者にとっては、命を削る寒さと言える。身にあまる救援体制と差し入れがある私は、他の収容者に比べて恵まれているはずだが、吐く息は白く曇り、「凍死者が出たこともある」と弁護士から聞いていたので、しっかり体を動かし、防寒には万全を尽くした。

 大晦日、正月用として折り詰めと果物・お菓子が配食された。新年3が日の間に食せとの指示だ。折り詰めには天ぷら盛り合わせも入っており、「予想以上の内容で、これで酒があれば娑婆と同じ」と記録されている。

 さらに、ここでの静けさは、なかなか経験できないものだろう。都会の喧噪とはまったく無縁。聞こえるのは鳥の鳴き声くらいで、枯れ葉が落ちる音すら聞こえるのではないかと思えるほどだ。9時の消灯時間を過ぎると、無音状態で「しーん」という音が聞こえてきそうだ。30分ごとの看守の見回りは、その足音で30メートル先からわかるのである。

 わずか4畳半の空間、変わらない窓の景色、決められたスケジュール…、考えればこのうえなく不自由なはずなのに、拘禁生活が1カ月半も続くと、馴染んでしまうのが不思議だ。苦痛を感じなくなってくる。肯定的に捉えて苦痛から逃れようとしているのだろうが、これこそ自己防衛反応かもしれない。

 まさに「カゴの鳥」なのだが、カゴの中しか知らない鳥は、案外、満足しているのかもしれない。空を飛ぶ自由を知らない鳥は、「鳥籠の不自由さ」を感じることができないだろうから。私たちの娑婆の生活もこれと同じ。「本当の自由」を知らない我々は、「現在の不自由さ」を感じることができないのかもしれない。

 「賃労働からの解放」、「人間の全面的開花」etc…。これまで語ってきた「自由」や「解放」の本質について、拘禁生活の中で根本的に考え直すことになった。  

 (つづく)

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