【バリアのない街】国が死に方を決める社会の到来と抵抗

遙矢当 @Hayato_barrer

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空前の看取りブームに壊される終末期医療と介護の現場

 「なお、この死亡時の同意書は、いつでも撤回・変更することが可能です」
―私は、介護現場での死亡時の処置に対する同意書の雛形を作成している。遺書は一般的になったが、介護現場では、遺書を書く前に自分の希望する終末期の医療についての希望を明確に求め、「同意書」として書面に残すことに注力している。亡くなった際のさまざまなトラブル回避のために書面への記載にこだわるのだ。

 その同意書の内容を見て思わず目を伏せた。医療と介護の現場は国策=安倍政権の意向もあり、空前の「看取りブーム」に突入している。この同意書の一文を読む限り、どこかで「人が死ぬこと」についての社会の理解が曲がってきてはいないか、と憂えるのだ。

 確かに、この同意書のこの一文だけを読めば、高齢者の誰もが深く考えずに書面を作成することができると誤解する。それが、自分の死を目前にした際の、意思表示だったとしても。同意書の作成を求められる高齢者にとっては唐突だし、自分の死については遠ざけたいという本音も垣間見られる。

 私が10年前に東京都内で介護施設の施設長として働いていた時も、この同意書があったが、高齢者の多くがこう言った。「難しいことはわからないけれど、亡くなるときは、おたく(=私)に任せるから、穏やかに逝かせてほしい」と。看取りとは、紙切れ一枚の存在よりも、双方の信頼があって成立するものだ。

 だが、この紙切れ一枚こそが、この国では高齢者の尊厳を支え、医療と介護の現場の実績を示す、終末期のケアに対する診療報酬や介護報酬の根拠になる。現状では、どんなに現場が終末期に時間を割き、労を惜しまなかったとしても、同意書が無いと報酬が入ってこない。

国が死に方を強制する社会「死刑」を是認する世論形成

 この「看取りブーム」には、安倍政権の「意図と思惑」が見え隠れする。

 昨年から現場で幅を利かせる「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」の改定に伴って、今春の診療報酬の改定が目標とする「病院から在宅(での介護/看護)」という流れが盲目的に信じられ始めているのを見ると、医療、介護の現場は主体性を見失い始めていると感じる。
 これがさらに進めば、「国が国民の死に方を決める」社会につながるだろうし、「国が本格的に国民を殺す」時代の入り口に差し掛かってはいないかとも思うのだ。

 誰もが本当に望む「最期」とは一体何なのか。そして、私には何を以て「人生の最終段階」と称すべきなのかわからない。

 そこでは街にあふれ返る高齢者に対し「人生100年時代」と称し、高齢者の誰もが身体面での老化を認めざるを得ない状態にあっても現役世代と同等に働くことが求められ、亡くなる「人生の最期」には、国の定めた「レール」の上に乗って逝くことを強いられている。いわば「死を強制する社会」とも言えよう。

 それはいよいよ、政府がオウム真理教の麻原彰晃死刑囚をはじめ幹部7人を死刑にした発想や、死刑を是認する世論形成と軌を一にしはじめたとすら思えてきている。

 私たちは、自分の両親から生まれてきたのであって、この国によって産み落とされたわけではないことを、今一度肝に銘じるべきであろう。だから、この国に自分の生き方や老後、人生の最期を決めつけられる必要も理由もない。

 逆に言うと、国の制度を強制されることに、死ぬ間際まで抵抗し続けなければならないし、こんな社会はどうにかならないかと思うし、本当に勘弁してほしいと思うのだ。
【参考】「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」(厚生労働省/2018年改定))
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000197665.html

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