ルワンダと秘密協定「難民を引き取れば金を払う」
イスラエル政府が「イスラエルにいるアフリカ難民を引きとれば金を支払う」との秘密協定をルワンダ政府と結んでいたことが、昨年暴露された。イスラエル人権専門弁護士=イタイ氏によって明らかにされた秘密協定に対し、人権保護団体が抗議活動を繰り広げ、裁判も提起されている。
イスラエルにおける難民認定希望者の90%以上は、アフリカのエリトリアとスーダン出身者だ。2003~05年、2013~14年の内戦中、スーダン西部では、数十万人が虐殺された。スーダンのダルフォーは、現在も命の保証のない場所である。エリトリアは、抑圧的な政治体制に加え、強制的兵役が課され、紛争時には死ぬまで故郷に戻れない。
イスラエル政府は、国連難民条約(1951年)と難民議定書(1964年)に署名しているので、難民を保護する義務があるにもかかわらず、難民認定は希望者の1%未満である。2017年6月の政府の統計によると、エリトリア人27000人、スーダン人7900人、合計38000人のアフリカ難民がイスラエルに滞在していたが、イスラエル当局は、難民申請者を「違法侵入者」とし、2014~17年の間、スーダン人5300人のビザ更新を却下した。
灼熱の砂漠で難民を酷使
2006~12年、アフリカから多数の亡命希望者がイスラエルに到着した。多くはエジプト領シナイ半島を徒歩で渡ってきたが、イスラエル政府はこれを防ぐために、2012年、シナイ半島に国境フェンスを建てた。シナイ半島は砂漠地帯だ。日中はアスファルトが太陽で熱せられ、気温は70度になる。そんな灼熱の砂漠で建設作業についたのは、仕事にあぶれたアフリカ難民だった。
また、2013年には、イスラエル南部のネゲブ砂漠に、スーダン人とエリトリア人の男性を対象とした難民収容所を建設。刑務所機関が運営し、難民申請が却下された者を収容した。3360人が収容され、満杯になると「自発的出国に同意」させられた者がアフリカへ送還された。
収容所に入ると、働くことは許されない。微々たる「支援金」は、砂漠から町に出るバス代程度。病気になっても保険はない。数カ月毎に滞在ビザを更新する必要があり、最長1年間滞在できるが、その間「自発的出国」への同意を求められ続け、思い悩んで自殺者もでた。最長滞在期間が過ぎて「自発的出国に同意」しない者は、収容所から追い出されるが、仕事が見つかりやすいテル・アビブやエイラットでの居住は禁止されている。
「第三国への送還」は行方不明か抹殺
同時に当局は、「自発的に出国すれば5000ドルを受け取れる」というキャンペーンを大々的に行った。滞在ビザがもらえない人々は出国書類に署名し、自国に帰れば拷問死が待っていることを危惧した者は、「第三国へ送還」に同意した。
キャンペーン実施当時、第三国の国名は不明だったため、第三国に送還された数百名を対象に、人権団体が調査を行った。多くは殺害されたようで行方不明になったが、生き残った者たちの証言により、「第三国」とはルワンダとウガンダであることが明らかになった。「第三国へ到着時、書類が地元当局によって押収され、文書がないために難民として認めてもらえない」「逮捕され拷問された」「賄賂を要求された」「第三国=ルワンダに到着すると、さらに別の第三国=ウガンダに送還された」などが回答として寄せられた。
イスラエルにとってルワンダとウガンダは、武器販売先だ。ルワンダは不当な選挙、野党活動家に対する絶え間ない監視、拷問、迫害、抹殺、殺害、近隣諸国への越境攻撃が絶えない。政権批判する人を沈黙させるため、治安犯罪法、特に反テロ法を利用している。電気ショックなどの拷問を行う非公式の拘禁施設も運営している。
アフリカ難民を追放するな数万人の抗議デモが続く
イタイ氏は、左派活動家らの署名とともに、国家機関へ以下の要請を行った。
「イスラエル政府機関がルワンダと結んだ『アフリカ難民を送還する協定』は、国会で討議されるべきであり、それまで施行は凍結すべきである」
しかし今春、イスラエル最高裁は、イスラエル側がスーダン人、エリトリア人をルワンダに送還した場合、一人当たり5000ドルをルワンダ政府に支払うことを承認し、「帰還先が安全であるかを調査する」とした。イスラエルで難民申請をした者全てがルワンダに送還された場合、イスラエルは数億円をルワンダに支払うことになる。本来ならば、この資金は難民当事者に支払われるべきものだ。同時期、難民収容所が閉鎖になり、数か所のキブツが、少数の難民受け入れを申し出た。しかし、数万人がいずれ「自発的出国」を強制される状況にいる。
これに抗議するデモがテル・アビブで何度も行われた。参加者は毎回数万人。スーダン人代表者、エリトリア人代表者、イスラエル人の政治家・平和活動家が演説を行い、「アフリカ難民を追放するな」「私たちの祖先も難民だった」とアピールした。
労働組合が難民の加入を認める
7年前に戦火を逃れてイスラエルにやってきた、スーダンのダルフォー出身アブデルマジードさんに話を聞いた。彼は、私がエイラットのリゾートホテルで働いていた時の職場仲間だ。
「僕はスーダンで小学校の教師をしていました。あのままスーダンに残っていれば、殺されていたか、兵士にされて民衆虐殺に加担していたでしょう。今は滞在ビザがあり、働くことも許されていますが、却下されれば第三国に送還されます。ウガンダやルワンダに送られれば、拷問死は確実です。僕の出身地は、今も戦火の中です。本国に帰れば、イスラエルにいたことが罪とされ、投獄・拷問されるでしょう。それでも、死ぬなら、生まれ育ったスーダンで死にたいです」
イスラエル国民の抗議が大きいため、最高裁判決以後、アフリカへ送還された難民はまだいない。
6月19日、人権団体から速報メールが舞い込んだ。
「イスラエルの労働組合がアフリカ難民の参加を認定。組合が、彼らの労働者としての権利と人権を守ることになる。私たちの勝利だ」