財務省トップのセクハラ事件で、財務省が被害女性記者に名乗り出ろといったことや、大臣から財務次官はハメられた、録音して週刊誌に出したことは「ある意味で犯罪」、「福田に人権はないのか」と述べたこと、テレビ朝日が「記者が取材情報を外に出したことは遺憾」としたことが批判されている。まだまだ日本の状況はひどいものの、今回の事件で、セクハラへの基本教育が市民に一定なされた。
▼一方、女性記者の動きやその他のメディア内での、被害者たちの中途半端さも浮き彫りになった。それは、あまりに「権利は戦って守るもの」という観点が弱いということだ。テレ朝の被害女性や上司は、週刊誌に出すことと並行して、ユニオンに相談してさまざまな戦い方をする道があった。また財務次官からセクハラを受けたほかのメディアの被害者たちも、声を上げていない。
▼確かに今の社会、声を上げればたたかれるかもしれないし、会社でも煙たがれるかもしれない。でも多くの人たちがそれでもユニオンに加入して交渉したり、裁判で闘ったりしてきた。闘えば記者生命が終わるという決めつけはおかしい。表に出て闘う記者が増えることに希望がある。(H)