ムガベ大統領の退陣をめぐるインタビューの第2回目は、ジンバブエの土地改革がテーマ。欧米メディアによる「ムガベ=独裁者」との報道は、多くが彼の実施した土地改革を理由にしていた。すなわち、白人の土地を強奪して黒人に分配した、というものだ。はたして、そうした評価は正しいのか、日本に留学中のランガリライ・ムチェトゥさんにお話を伺った。聞き手は山口協(地域・アソシエーション研究所)
ランガリライ・ガヴィン・ムチェトゥさん 1987年、ジンバブエ、マショナランド・ウェストのチノイ生まれ。現在、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程に在学中。協同組合を軸にした農業と農村開発の研究がテーマ。
ジンバブエ解放闘争の中核には
常に土地問題があった
◆欧米のメディアはムガベ元大統領を「独裁者」と呼んでいました。その背景には、彼が行った「急速土地改革計画」があるようです。ジンバブエの土地改革について教えてください。
◆ムチェトゥ ジンバブエの土地改革をめぐる闘いには、1890年代の植民地時代にまでさかのぼる長い歴史があります。
1930年代、国土の約51%はヨーロッパ人入植者が所有し、黒人の農地は30%以下でした。第二次世界大戦後には、ジンバブエで農業をするためにイギリスなどから退役軍人がやってきて、黒人に割り当てられる農地の条件は劣悪になりました。そのため、黒人たちは白人農場で賃労働せざるをえませんでした。1965年にローデシアが独立すると、人種差別政権の下で事態はさらに悪化します。
そんな筆舌に尽くせぬ苦しみの中から、1966年~79年にかけて「チムレンガ(解放闘争)」が発生したのです。その特徴として、土地問題が中核にあり、そこから経済や民主主義といった問題が派生していることをご理解ください。
チムレンガの結果として、1980年にジンバブエが誕生します。しかし、当時も農地全体の半分、1550万ヘクタールが白人の所有でした。その多くは最も肥沃で土壌生産性の高い地域です。1980年から2000年にわたる土地改革事業の眼目は、土地所有の人種間格差を解消することでした。独立の合意を定めたランカスター・ハウス協定には、90年までの10年間にわたり、白人入植者から土地の購入を希望する黒人には、イギリスやドイツ、アメリカなどの国々や国際機関が資金融資を支援すると記されていました。
ところが、ほとんどの白人入植者は農地売却を望まず、売りに出された農地は荒れ地にもかかわらず法外な高価格でした。新たな白人農場を作る原資にするためです。だから土地改革は進展しませんでした。そんなこともあって、この時期から黒人たちが自らの居住区近くにある白人農場を占拠する、密かな農地奪還運動が起きました。実は、ムガベはこうした「違法」な農地奪還を防ごうと警察、ときには軍隊まで送り込んだのです。
ところが、イギリスで労働党が政権を握った1997年、ブレア首相は前保守党政権がジンバブエと結んだ協定には縛られないと宣言しました。このため、ムガベは迅速な土地改革と英米が約束した土地改革のための資金融資の継続を求め、イギリス政府と何度も交渉しました。
その一つが1998年、首都ハラレで開かれた関係国会議です。会議に先立ち、政府は放棄されたり、地主 が不在の白人農場1471カ所を黒人農民用に選定していましたが、会議では白人の私的所有権が優先されました。収用が認められたのは全体の9・8%のみ。政府と土地を求める農民を失望させ、憤激させました。残りの90・2%は、裁判を通じて白人入植者が取り戻したのです。そうした背景の下で農場占拠運動が激化しました。その頃には農民たちの力も拡大し、政府の取り締まりもありませんでした。
欧米諸国は白人入植者の味方
ムガベの期待は裏切られた
会議では、土地改革の資金の融資にむけた作業部会の設立が合意されました。しかし、イギリスが、ジンバブエ政府の民主的改善を条件に参加を見合わせたため、崩壊しました。それまでムガベは欧米諸国に妥協し、彼らが協定通り土地改革に協力してくれると期待していましたが、このあたりで、もはや国際社会の資金融資に頼らない、いわゆる「急速土地改革計画」の実施に踏み切る決心をしたようです。これ以降、ムガベはもう外国の言うことを一切受け付けなくなりました。
土地改革の実施に先立ち、ムガベはランカスター・ハウス協定に記された白人入植者への補償を義務付ける条項を削除するため、憲法を修正しようとしました。2000年に国民投票が行われたものの、野党民主変革運動(MDC)の反対運動で修正は否決されました。野党は白人入植者の味方をしたのです。英米政府は私的所有権を守る新政府へ交代できるよう、野党への支持と協力を公然と表明しました。一方、農場占拠運動は散発的になっていました。しかし、占拠運動が起きたときは、都市住民も農村住民もいっしょになって支援に駆けつけました。
2000年7月に土地改革が正式に動きだし、農地は三つの所有基準に従って分配されました。とはいえ、すべての農地が再分配されたわけではありません。むしろ手が付けられないで、白人所有者がそのまま所有を続ける農地の方が多く残っています。
欧米のムガベ評価は一面的
歴史的状況を踏まえて見るべき
◆ムガベ政治の功罪について、あなたはどう評価していますか。
◆ムチェトゥ 先に述べたように、彼は独立後、イギリスが土地の再分配を友好的に援助してくれると期待していたようです。だからこそ、白人農場の占拠運動についても、当初は否定的な対応をしました。その事実は民衆の記憶に残っています。ただし最後には、そんなことは夢想でしかなく、力で奪い返すしかないと悟りました。そして土地改革計画を国際社会に発表したとき、彼は悪人呼ばわりされるようになりました。
私としては、ムガベは偉大な伝説的人物であり、いつか歴史にそう刻まれるものと思います。ムガベという人物を形成した歴史的な諸事件の複雑な内容を知り、理解している人は私も含めて、多くありません。ただ、ジンバブエにはムガベを取り巻いていた諸状況を理解せずにムガベとムガベ政権を批判する知識人が多すぎますね。私は一介の学者の卵として、ムガベはジンバブエだけでなくアフリカ大陸にとって偉大な指導者の一人として敬意を払われるべきだと思っています。
こともあろうに、アメリカはコロンブスを、ヨーロッパはセシル・ローズを、オーストラリアはキャプテン・クックを敬愛しています。数多くの先住民を虐殺・虐待した歴史的犯罪者ですよ。その上、私たちジンバブエ人やアフリカ人に対して、私たちを植民地支配から解放し、土地を本来の持主に取り戻そうとしたムガベを悪者扱いせよというのです。なんという理不尽でしょうか!
とはいえ、メディアを支配する「超大国」や金融資本主義体制に逆らえば、決まってしっぺ返しがあります。ムガベは彼らに逆らい、人民のものを人民に取り戻そうとしたために、その歴史的な栄誉を奪われ、戯画や風刺の対象とされる代償を支払ったのです。
(次号につづく)