日本の朝鮮差別・憎悪は深まる一方で、2月には朝鮮総連の本部を右翼が銃撃した。麻生副総理の「武装難民」発言などが下地だ。
これに対し、全日本海員組合の方に寄稿いただいた。外航や内航、港湾線や遠洋漁船で働く仲間たちで作る、日本で数少ない個人加盟の産業別労働組合だ。長く同盟・民社ブロックの中核的労組として産業擁護・労使協調主義を基本的な性格としながらも、1972年には「人間性回復」をスローガンに90日の長期ストを闘った。また、太平洋戦争で壊滅的な打撃を受け多くの仲間たちを失った経験から、「不戦の誓い」を掲げて「シーレーン防衛構想」についていち早く反対し、先頃は「民間船員を予備自衛官補とすることに断固反対する声明」を発表し、話題になった。柿山さんは船員社会の再生と海上労働運動の復権を願って11年に発刊された機関誌「羅針盤」の執筆者。
貧しい漁民を「武装難民」に仕立て上げる麻生副総理
晩秋から冬季にかけての日本海は、台風並みに発達する低気圧の通過や北西季節風の長期間の吹送(浅い海流)で時化(しけ)る。日本海は陸地に囲まれ、いくつかの海峡しか出入口を持たない地形の特徴から、この時季は波高が大きく収まることはない。冬場の日本海は、大型船でも荒波で航行が難渋する。
年を明けてからも、京丹後市や金沢付近の砂浜などへの朝鮮の遭難船と遺体の漂着が後を絶たない。海上保安庁の発表では、2017年はこうした漂着船が104隻にのぼるという。
小さく簡素な構造でしかも古い木造船での航行や操業は極めて厳しく、結果として多くが遭難したものと思われる。生活の糧を得るために命懸けの操業の結果、遭難・漂着したものであり、漁船員であることを疑う余地はそもそもない。
ところがまず「武装難民の可能性」にふれたのが、麻生副総理である。11月23日の宇都宮での講演で「朝鮮半島からの大量の難民が押し寄せてくる可能性がある。武装難民かもしれない。警察で対応するのか、自衛隊の防衛出動か。射殺するのか」と述べた。11月29日の講演で、「工作員の可能性」に言及したのが、菅官房長官である。
12月9日には「北朝鮮軍所有の船が漂着している」との認識を示し、その上で「警察、自衛隊、海上保安庁が連携しながら、工作員とかいろんな可能性があるから徹底した取り締まりを行っている」と強調した。
北海道松前町の無人島に接岸した木造船の乗組員が、島の避難小屋にあった発電機を盗んだとして逮捕されたことについては、「上陸していろんな物を持ち去ろうとしている。まさに窃盗罪にあたる。その意図を含めて徹底して聞き取り調査をしている」と述べた。発電機の盗難について、朝鮮総聯が弁償することで代理人が松前漁協へ赴いたが、漁協側は「筋を通す、窃盗罪は譲れない」として交渉は決裂した。
荒波に翻弄されながら、舵の故障した船内で、死を覚悟しながら幾夜となく過ごした船員の心情を想像したことがあるだろうか。彼らにとって、粗末な避難小屋とはいえ天国であったであろう。暖かい部屋で暖をとり、貪るように眠ったであろう。目覚めて小屋に残されていたメシを食い、酒を飲んだであろう。そのことを誰が責められるだろうか。乗組員には病人もいて、一刻も早く故郷の港へ、家族の元へ帰りたいと思ったであろう。
そのためには時化で傷んだ船体や舵の修理が欠かせず、溶接には発電機が必要だったであろう。報道では、「発電機は長く使われた様子がなかったから船の修理に持ち出した」と船長が供述したという。私がカン船長の立場なら、同じことをしただろう。
海保や警察は遭難救助せず監視しつづけていた
松前小島で漂流船を保安庁のヘリが上空から発見したのは、11月28日。だが、起訴内容では、発電機などの窃盗があったのは11月10日―28日と伝えられる(12月29日、毎日新聞)。したがって、早い時期から海保や警察は遭難救助をせずに監視をし、漁船員たちが「何かをしでかす」のを待っていたのである。
われわれ船員は、UNCLOS条約(1982年の海洋法に関する国連条約)により、他の遭難を知った場合は「遭難者のもとへ全速力で向かう」ことが求められている。同時に船員法14条で「船長は他船または航空機の遭難を知ったときは、人命の救助に必要な手段を尽くさなければならない」とされ、これには罰則がつく。
さらに「海上における捜索及び救助に関する国際条約」(SAR条約)が適用される。この条約の勧告に基づき、沿岸国同士でSAR協定を結び海難救助体制を確立しなければならない。
これらの国際法の基本になるのはブラッセル条約であり、そこには「たとえ敵国人であっても、海上で生命の危険にさらされている全ての者を救う義務を負う」とされる。沿岸国へ漂着した漁民を放置し、または領海外へ押し戻すことは、明確に国際法違反である。
素朴なヒューマニズムを消し去るこの国の排外主義
遺体が漂着した場合、2年前の青森下北・牛滝漁港では手厚く火葬され寺院が引き取り、その後に朝鮮側に引き取られていったという。だが今は「漁民か武装難民か分からず、言葉も通じない人と海上や海岸で出くわすのが怖い」と、沿岸住民の反応も様変わりした。2017年の一文字漢字には「北」が選ばれ、名刹である清水寺の貫主が臆面もなくテレビカメラの前で揮毫する。「国難」が煽り立てられ、素朴なヒューマニズムもこの国から消えようとしている。