パリ第八大学博士課程在学 須納瀬 純
福島事故を機に世界大会開催へ
11月2日から3日間、パリで「反核世界社会フォーラム」が開催された。
世界社会フォーラムは、ダボスで開催される「世界経済フォーラム」に対抗する形で2001年にポルトアレグレで始まった。貧困と格差を拡大させる現在のグローバル資本主義と新自由主義に異議を唱えるべく、「もう一つの世界は可能だ」を合い言葉に、市民の自主管理で組織されるオルタナティブな国際フォーラムである。世界社会フォーラムの創設者の一人シコ・ウィタカー氏は、原発事故後の福島を視察することで事態の深刻さを知り、反核を掲げた国際フォーラムを組織する必要性を各国の活動家たちに訴えた。そのような経緯で始まった「反核世界社会フォーラム」は、2016年3月の東京、同年8月のモントリオールに続き、今回のパリで、在仏ジャーナリストのコリン・コバヤシ氏やATTACフランスとの連携のもとで第3回目の開催に至る。
世界社会フォーラムとして筆者が思い出すのは、2015年3月、チュニジアのチュニス大会である。このとき、シコ氏やコリン氏をはじめとする各国の運動家たちに日本からの参加者たちも加わり、「反核世界社会フォーラム」のスタートアップ集会が組織された。フォーラム参加も初めてなら、アフリカ大陸の地を踏んだことさえなかった筆者にとって、それは鮮烈な刺激となった。多くのテーマで膨大な集会が開かれ、英語・仏語・アラビア語が飛び交い、さまざまな国から来た、時に自分より若い人々が活発に議論したり運営に参加したりするのを目の当たりにして、それまでの自分がいかに閉じられた知的環境の中にいたかを思い知らされたのだ。
そんな中、当時のフォーラム全体から見て「反核」の問題は少数派に留まっていた。しかし、これは核の持つ一種のグローバル性と併せて考えるなら、やはり問題とせねばならない。
単に核戦争や原子力事故が引き起こす被害が必然的に惑星規模のものとなるからだけではない。政治経済的な観点から見て、核は既に引き返せないほど世界中を巻き込んでいるからだ。 実際、パリ開催のフォーラム参加者たちの出身地のうちにはインド、トルコ、ニジェール、ディネランド(アメリカの先住民自治領)などが含まれていた。前者2国は原発を売られる側として、後者はウランの原産地として核と深く関わっている。
一方で核は、冷戦の構造下から現代まで、限られた国家権力の所有する厳然たる軍事力であり続けている。だが他方では、アイゼンハワーによる国連総会演説「アトムズ・フォー・ピース」が象徴するように、核の平和的利用は当然のように受け入れられてきた。
核保有国であるフランスはもちろん、原爆そして原発事故までをも経験した日本においてさえ、原子力発電への依存はいまだにやめられていない。今日においてなお核産業が延命していられるのも、この「軍事」と「民間利用」という同じ一つの核の2つの区別によるところが大きいのだ。
こうした文脈の中で、今回のフォーラムが「軍事核も、民間利用の核もない世界」への追求をスローガンとしたのは意義深い。日本に限らず、両者に反対するそれぞれの運動が交差することは稀だった。この機会が核に対抗するための国際的な対抗軸を形成する一つの契機となったことは注目すべき点だ。「平和的利用」というイデオロギーに抗して、私たちは、チェルノブイリや福島で起きた事故が明らかにしたように、核はその目的がいかなるものであれ、人間の手に負える範疇をはるかに越えたものだと訴えねばならない。
内部被ばくが問題の核心 ウラン採掘にも本質的批判を
その事実を明かす証言者として、フォーラムには「3・11甲状腺がん子ども基金」代表の崎山比早子氏、帰還困難区域の除染作業と福島第一原発の収束作業に従事した池田実氏らが参加した。崎山氏は開会総会において甲状腺がんが現地の子どもたちに多発する状況や福島第一原発の現状などを報告した。
また池田氏は、自身も原発下請け労働にかつて従事し、労働者たちの健康被害を告発したフランスのフィリップ・ビヤール氏、チェルノブイリの収束作業員となり、また作業員たちの姿をとらえた写真家としても知られるウクライナのオレグ・ヴェクレンコ氏とともに登壇し、日常的に被ばくする労働現場からの声を届けた。フォーラム全体を通じて多くの場で被ばくの問題が中心的に議論され、各国の間で「目に見えない」被害の問題に対し共通点や被害者支援への姿勢が共有されたことは大きな成果だ。
被ばくは問題の核心であり、きわめて緊急の課題である。福島健康検討委員会の報告によれば、今年6月までに、事故当時に18歳以下だった約38万人のうち154人に甲状腺がんが確認されている(発症疑いを含めると194人)。だが現実に被害が出始めている 一方で、事故と病気の因果関係を国や電力会社に認めさせるには大変な労力と時間、費用がかかり、被災者たちにとってはきわめて困難だ。それどころか、今年の4月からは被ばく線量が年間20mSv以下の地域(浪江町、飯館村、川俣町、富岡町)の避難指示が解除され、自主的避難者への無償住宅提供も打ち切られた。
核を推進する側がその権力と資本を駆使して国際原子力ロビーを形成する一方で、既に触れたように、反核運動の側は社会の中で周縁的なものとなりがちだ。フォーラムの閉会総会では、反核運動が新しい視座を提供し、現在のコミュニティを越えた外部へとアピールする力を持つことの重要性が強調されていた。とはいえ、いかにしてそれは可能となるのだろうか?
この点で重要なのは、ニジェールでNGOを創設したアルムスタファ・アルハセン氏やディネランドの環境運動家レオナ・モーガン氏など、ウラン採掘がもたらす健康被害や環境汚染を訴える人々がフォーラムに参加したことだ。(つづく)