この社会を構成しているものは、(1)市場・科学、(2)制度・政治、(3)愛・道徳・精神・個人・文化・アートのレベルがある。企業家や学者は(1)、法律家や政治家や行政職員、政治闘争/制度改革運動は(2)のレベルで動いている。それに対して文化運動、教育、宗教/新霊性運動、一人一人の意識や行動を変えていく活動や具体的人助けの活動も、(3)だろう◆資料整理中、20年弱前に松井洋子さん主催のカラコロという演劇活動に触れて感じたメモを発見した。そこには、松井さんが先鋭的政治闘争から「当たり前の生活を大切にし、身近な人を愛することが本当の革命」と思うように変わった、と書いていた。自分の柔らかいところとつながること、自分を愛し、人とつながりあって生活を変えることこそ、革命だと。松井さんも私も年を取る中で、(2)から(3)に重点を移す道を選んだのだった◆しかし私の主流秩序論は、(1)や(2)を無視するものではない。個人ができることとして、(3)の領域で自分の生き方を脱主流化すると同時に、(1)や(2)の変革の質を主流秩序を強化しないものにしよう、という提起だ。まともな社会運動は、慰安婦問題と同様に、意識と制度の改革を連動させてとらえる。そこにかかわるもの一人一人の意識が、脱主流秩序的に高まるようなものなのである。(H)