イスラエル在住 ガリコ美恵子
イスラエル兵2人が、ナビ・サーレ村にあるタミミ家の庭に侵入し、1時間立っていた。長女アヘッド(16)と従姉妹ヌール(21)は庭に行き、兵士に抗議した。「うちの庭で何してるの。出て行って!」
外へ追い払おうと、娘は兵士を押した。兵士はその手を振り払った。娘は兵士を軽く蹴った。母と弟も家から出てきた。母は「出て行って」と両手で兵士の肩を押した。弟は姉を止めた。兵士が娘を押し返し、アヘッドは兵士の頬を平手打ちした。すると兵士は、後ずさりで帰って行った。母ナリマン(40)が撮影したとされるこの動画はFB(フェイスブック)で拡散された。
翌12月19日午前4時、兵士30人がタミミ家を襲った。軍は家中をひっくり返し、パソコンや携帯電話など電気製品を没収し、アヘッドを連行した。アヘッドは服に着替えることさえ許されず、手錠をかけられた手を引っ張られ、走るように去っていった。尋問が極悪な状況で繰り返されているが、黙秘している。起訴内容には”2歳の時に投石”といったものもあった。
アヘッドの母、ナリマンはイスラエル人権保護団体”ベツエレム”のメンバー。同日軍尋問センターに行き、娘に付き添いたいと申請したところを逮捕された。当局はFBで拡散した動画を「扇動行為」だとしている。
ヌールは、アル・クッズ大学でジャーナリズムを学ぶ2回生。20日朝、軍に連行された。軍裁判の結果は「(1)5千シェーケルの保釈金支払い、(2)1万シェーケルの条件契約書への署名、(3)裁判終了まで毎週金曜に軍尋問センターへの出頭」という条件付きで1月4日に仮釈放された。
止まらぬジャンヌダルク弾圧
タミミ家の女性たちの逮捕に対して各地で抗議行動が行われ、逮捕者と死者が出た。アヘッドは今回の逮捕で「パレスチナのジャンヌ・ダルク」と称えられるようになった。
パレスチナ自治政府の事務職員を勤めるアヘッドの父バッセム・タミミ(50)は娘の裁判傍聴に出席して1時拘留され、2時間後に解放された。
27日、ベツレヘムの平和活動家ムンザール・アミーラは「タミミを解放せよ」と書いたポスターを抱え、ベツレヘムの分離壁前で抗議し逮捕された。
28日ナリマンの従姉妹マナル(43)と、平和活動家ジャミール・バルグーティは、軍刑務所前で抗議し、逮捕された。軍は催涙弾を連発。持病のアスマが急発したマナルを、警官が腕で首を固定し、拳で殴って逮捕した。2千シェーケル(7万円弱)の保釈金を払い、1月3日解放された。
私が訪問した日殴られてから9日経っていたが、左頬が大きく腫れていた。手術で歯茎下部に溜まった血を摘出せねばならない可能性がある。猫塚医師に顔写真を送付すると「左下顎部打撲と思われる」との診断がきた。IT&テレコム省庁に勤務しつつ、PSCC(闘争調整委員会)のオーガナイザー兼書記係を勤める4児の母だ。ジャミールはまだ拘束されている。
31日、へブロンの平和活動家ユーセフ・シャルカーウィ(58)も「タミミ家の女性たちを解放せよ」運動に参加し、逮捕された。1月4日に保釈金2千シェーケルで解放された。1月3日ナビ・サーレの隣村のディール・ニサム村を襲った軍が、アヘッドの親戚のムサーブ・タミミ(17)の後頭部を撃ち、射殺した。
日常化するイスラエル兵の襲撃
ナビ・サーレ村は、ラマーラ北西部にある、人口約600名の小さな村だ。1977年、村の私有地にハラミッシ入植地が建設された。入植地は初め小規模だったが、2008年に軍が新たに村の土地と泉を没収したため入植地は拡大され、泉の横にユダヤ人専用スイミングプールもできた。入植地と村の間に、軍基地。村の入り口には監視塔がある。
2009年12月バッセムをリーダーに、毎週金曜に村人たちが奪われた泉にむけて「占領と入植に反対」デモ行進を行うようになった。軍の攻撃は凄まじく、アヘッドの叔父2人と別の村から参加していた男性が軍に撃たれて死亡。10歳以下の子ども10人を含む250人が逮捕され、負傷者は560人。50人が身障者になった。催涙弾で燃やされた家は38軒。2016年デモを停止したが、昨年末、トランプの首都発言により村人は抗議デモを再開した。
軍は昼夜村に入って、民家や畑に催涙弾を撃つ。12月18日、アヘッドの従兄弟モハマッド・タミミ(14)は、兵士がどの家を攻撃しているのか見ようと自宅の塀によじ登った。そこを塀下に隠れていた兵士がゴム弾でモハマッドの顔を撃ちぬいた。弾は鼻下から顔面を突き抜け、顎を裂き、頭蓋骨に留まった。彼の手術に7人の医者が携わり、6時間かかってゴム弾を除去したが、半頭部が陥没していた。担当医はモハマッドが視覚・聴覚を失う可能性が有る、としている。
アヘッドが兵士を平手うちしたのは、「モハマッドが庭で撃たれた」と聞いた数分後だった。
日本人に事実を知ってほしい
釈放されたマナルとヌールを訪問した。彼女らの言葉を要約する。
マナル「息子サーメルは8歳の時、家の庭で遊んでいて『変な形のもの』を見つけた。手に取ると、それは炸裂した。こめかみに今も傷跡がある。後でわかったことだが、兵士は村に侵入して、庭に実弾をばら撒いていく。触ると炸裂する。これが私たちの日常生活。私たちがなぜ占領に抗議するのか、日本の人々に知ってもらいたい。」
ヌール「私がジャーナリズムを大学で勉強しているのは、パレスチナで何が起こっているのか知ってもらいたいから。理解と協力なしに、私たち村人は生き残れないのだから。」