【イスラエルに暮らして】ショーファット難民キャンプに温水プールが パレスチナ青年たちの献身的活動

パレスチナ難民の誇り

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イスラエル在住 ガリコ美恵子

 「エルサレムのスラム街」として名の通るショーファット難民キャンプに、温水プールが半年前にオープンした。

 プールは清潔感溢れるタイル張りで、広さ25×10m。飛び込み練習ができるように片側は深く、反対側はレッスン用に浅く造られている。水温は外気温に合わせてあり、ちょうど良い。

 入場料はたったの20シェーケル(660円)。脱衣室の隣にある分厚い木の扉を開けると、ジャグジー、サウナ、トルコ風呂室になっており、これを利用するには40シェーケル追加料金を払うだけ。水泳指導レッスンは、1時間30シェーケルとこれまた激安。利益を追求するのではなく、庶民の生活、健康向上を第一に考えて造られた、というのが値段を聞いてはっきりわかる。

 女性の利用時間は朝10時から午後2時まで。男性は午後2時から夜遅くまで。昼過ぎに行くと、すでに泳ぎ終わった女性たちが、サウナやジャグジーでのんびりしている。窓から入る太陽光が目に優しい。のびのびと泳ぎ、広々としたフロアでミントジュースを注文すると、少年がその場で作ってくれる。器具の揃ったスポーツジムもあり、2階にはマッサージ室もある。フロアの窓から分離壁が見え、その向こうにはピスガット・ゼエブ入植地が見える。

難民キャンプにプールをつくった理由

 このプールを知ったのはまったくの偶然だった。10月、パレスチナ支援組織=「オリーブの会」メンバーを案内して同難民キャンプの裏道りを歩いていると、可愛い色合いの小さな飲み物スタンドがあったので、コーヒーを飲んだ。そこの息子ヒセン(18歳)が、「飲み終わったらいいもの見せてあげるよ」と言う。それがこのスイミングプールだったのだが、「スラム街」と言われる難民キャンプにそんなものが?と半信半疑で付いて行った。すると分離壁の手前に、突然、立派な室内プール施設が姿を現したのだ。しかもこの施設は、 外国の援助ではなく、難民キャンプの青年4人が、資金を出し合って自力で建設したという。

 日を改めて泳ぎに行き、設立者の一人である、ムスタファ・アブデルワハッド(33歳)に話を聞いた。

 「僕は電気技師だ。子どもは3人いる。ユダヤ人経営者のもとで15年間、電気技師として働き、結婚して子どもを育てつつ貯金した。設立仲間の2人はまだイスラエルの建築業社で働いている。それぞれが貯金したお金を合わせ、2013年に空地を購入した。分離壁が難民キャンプ隣町の一部も囲い込んで建てられ、この空き地を含むパレスチナ側の土地が分離壁で囲まれてしまったので、地主は空き地のまま放置せざるを得なかった。私たちは、計画を説明して土地の購入をお願いすると、熱い連帯心により格安と言える40万シェーケル(1333万円)で譲ってもらうことができた。

 工事はほとんど自分たちでやった。友人アフマッド・アダーベ(33)は、イスラエルの建築会社の下請けとして経験を積んだ建築のプロだ。僕たちはあちこちのプール施設を見学し、設計者に造り方を聞き、研究した。土地を購入してからも働き続け、休日に自力で工事した。ダイナマイトで地面に大穴を開け、配水管を設置して、セメントでプール底を張り、建物を建てた。電気技師の僕が電気配線を、建築は友人たちが担当した。

 僕たちは、土地いっぱいに建物を建てず、2m周囲をアスファルトの道路にした。ここは急な坂の一番下にあり、車でないと来れない人もたくさんいるからだ。

 地元の少年たちも手伝ってくれた。先日、君をここに連れて来たヒセンは舗装工事を手伝ってくれた。自分たちの手で施設を造ることができると喜んでくれた。建設費用は500万シェーケル(1億6千万円強)。セメントやタイルなどの代金は、一部後払いにしてもらったので、プールやサウナ入場料で毎月返済している。

 オープンしてから半年になるが、100~200人/日がこの施設を利用してくれている。腰痛の人は水中歩行をやりに来る。利用客の受付や管理は僕とアフマッドがして、フロアの売店係だけ雇っている。残っている借金は、150万シェーケル(約4860万円)だ。この調子なら来年末に完済できる。小学1年生の長男は、エルサレム市内の私立学校に通っていて、授業料を年間2500シェーケル(8万3000円)払っている。バス代もかかる。生活は楽ではないが、金持ちになりたくてプールを造ったんじゃない。

 ここは壁で囲まれていて不自由だ。イ軍が急に来て攻撃したり、検問所を閉めてしまうこともよくある。すごくストレスが溜まる。僕たちは皆が少しでも健康に暮らせる場を作りたかった。バハ(人民新聞1582号参照。2016年春に暗殺された平和活動家)はこれが完成するのを心待ちにしてた。このプールは僕たちの誇りだ。

 バハのことを思い出したのか、彼の目が赤くなった。工事前の空き地、工事中の様子など、写真をいくつも見せてくれた後で、階上に案内してくれた。屋根と壁があるだけの空地だ。「僕たちは借金返済とプール運営で手一杯だが、この屋上を改造して子ども用の施設にしたいと願っている」。

キャンプ住人のストレス解消 健康管理を願って築き上げる

 ショーファット難民キャンプは、エルサレム唯一の難民キャンプだ。1948年、パレスチナにイスラエルが建国されたことにより自宅から追放されたパレスチナ人がここに根を張った。さらに67年第3次中東戦争で、東エルサレムをイスラエルが占領したために、エルサレム旧市街の嘆きの壁の広場になっている地域に住んでいたパレスチナ人も追放され、この難民キャンプに移住した。ムスタファの両親も67年まではエルサレム旧市街に暮らしていたという。現在でもイスラエル政府により家屋撤去され行き場を失くした世帯がこのキャンプに移住し続けており、人口は約7万人。パレスチナでガザの次に人口密度が高い(ガザは世界一人口密度が高い)。

 ここの生活環境は最悪だ。イスラエル軍に殺されたか、刑務所に入れられたかで父がいない子どもが、一家を支えるために働く。ゴミ収集車は来ない。キャンプ中央にゴミ焼却場ができたが、燃えるゴミの臭いで空気が悪い。人口が多い(=ゴミ量が多い)のでいくら燃やしても道はゴミで溢れ、道路は裂け目だらけでぼこぼこ。水道管が破裂すると、道は水浸し。子どもが遊べる公園はなく、国連学校の教室数は子どもの数に見合っていない。周囲はぐるりと分離壁に囲まれて、何かあるたびに検問所が閉まる。検問所が閉鎖されれば、刑務所にいるのと同じだ。

 この難民キャンプで毎年定期診療を行っている北海道パレスチナ医療奉仕団の猫塚医師によると、「診察に来る大人の多くが、腰痛や膝痛に苦しんでいるが、イスラエルによる軍事占領、封鎖が大きな要因だろう。また、子どもたちの遊び場は狭くて下水がそのまま流れ出している不衛生極まりない路地だ。電線は裸のままなので、感電するおそれがあり、呼吸器官系の感染症の増加も懸念されている」という。

 ムスタファは教育熱心だった母のおかげで、西エルサレムにあるYMCAで水泳を習った。泳ぐのが好きで大人になっても通い続けた。YMCAは会員制だ。会費は安くない。会費を払っていても、検問所が閉鎖されたり軍侵攻があれば、泳ぎには行けない。

 そこで彼は、難民キャンプ内にプールを造ることを幼馴染に相談した。他者から援助を受ける見込みは全くなかったが、皆が賛成した。ムスタファたち4人は、目一杯働いて生活を切り詰めて貯蓄し、壁で囲まれている難民キャンプの住民が健康管理、気分転換、ストレス解消できる温水プール施設を築いた。

 なんともたくましいことである。ショーファット難民キャンプの住民たちにエールを送りたい。同時にイスラエル政府が、難癖をつけてこの施設を壊さないことを祈るばかりだ。

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