いつか優しき風となるより
永遠に白き絶望
降らせていたし
─歌集『WHITE PAIN』
雪森ゆかりさんの歌集『WHITE PAIN』を読み返している。やはり痛い、と思う。さて人民新聞のどれだけの読者がこの痛みについてきてくれるのだろうかと思う。そして少しでも多くのひとに読んでもらうために私になにが書けるだろうか、と考えている。
雪森さんは、早稲田大学第一文学部を卒業。しかし、学生時代に結婚・出産・離婚を経験し、夫からのDVや離婚後のいくつかの恋愛そして破綻を経て心を病み、現在も精神科に通院しながら「セックスワーカー」として日々懸命に働いておられるという。
短歌界の状況についてはあまり知らないが、結社という保守的な制度が綿々と受け継がれているなかでは、雪森さんの生きざまはさぞかし異端的であろうし、短歌を生むにあたってのさまざまな苦難もこうむっているのだろうと想像する。雪森さんは、短歌は「より自由で危険な〈革命〉」だと言うが、この歌集の魅力は、短歌形式に委ねるその姿にあると感じた。
あくまでも素人目からだが、雪森さんは特に凝った表現にこだわることもない。ドラマ性は濃厚であるものの、普遍性もある歌群だ。1999年から作歌を開始したというから、もちろん多くの技術を伴ってのことだけれど、基本的に雪森さんは短歌に、ありのままの自身をそのまま委ねているように思えた。まるで〈痛み〉を五七五七七という音にあてはめることによって、ひとつひとつの〈痛み〉を鎮めていっているかのようだ。
短歌は調べであるから、その一定のリズムが読み手にそのような印象を与えるのかもしれない。それはまた、内容が重ければおもいほど、そのような作用が読むものにとって働くのかもしれないとさえ思う。そうした短歌形式や言葉そのものに対する雪森さんの圧倒的な信頼によって、この歌集は成り立っているように感じた。
だから手前勝手な要望なのは重々承知の上だが、雪森さんにはやはり第一歌集『WHITE PAIN』から連載を始めてもらい、我々をハラハラさせていただきたいと思う。『WHITE PAIN』の後に付してある「わが〈革命〉─あとがきに代えて」には、「過去への未練ではなく、ここから始まる私の軌跡を祈念し、私は文学者〈雪森ゆかり〉として生きてゆきたいと思います。」とある。
この連載の話も、SNSでの投稿を見るとどうやら喜んでいただけたようで、こちらとしてもますます期待がふくらむ。SNSでは繋がっていたが、メッセージも交わしたことのない、しかも小紙のような政治的な新聞からの突然の依頼に快諾してくれた雪森さんの、新しい可能性を探求する瞬発力に敬意を表したい。
雪森さんは、評論家としても功績がある。彼女は作歌初期から、短歌の評論を精力的に執筆していたという。現代短歌評論賞次席に選出された「免責の克服」(『短歌研究』2003年10月号)では、「今、まさに〈世界〉のここに立っている〈私〉の痛みを、しっかりと見る」という意思表明があった。〈痛み〉からの再出発。私性から世界へ。絶望と希望の日々の揺らぎのなかで、新たな世界へと展開していくプロセスをこの紙面において触れられるということは、幸いとしか言いようがない。(編集部・矢板)