徳島 木村 豊
安倍を倒すために何ができるのか、そんな気持ちで市民と野党をつなぎ、立憲野党議員不在の徳島から、私たちの代表を送りたい!と願って、取り組みを続けてきた。国会冒頭解散という首相の暴挙に対して、「今こそ!」と前に進もうとした途端、足を掛けられて蹴つまずいた気持ちである。
しかも、足を掛けたのは「仲間」と考えていた候補者だから気分は沈む。彼を囲む小集会の場でも、「なぜ民進党の解体なのか?」「安保法制に反対し、憲法改悪を許さないと言った方針はどうするのか?」「自民党の補完勢力の組織にどうして」・・・。安倍を倒す!の思いを共有し共に進んできた人たちから、こんな声が上がった。
これに対する「先ずは安倍を倒す、そのための解党である」や、「共産党と共闘するより保守層を味方にできる」といった説明は、到底納得できるものではない。
徳島で野党共闘を作るために努力をしてきた仲間が横に居るからだけでなく、市民が政治に関わることそれ自身を反故にしていくような態度を感じる自分がいる。
政党は、誰によって支えられ、機動力を持ち、方針を実現していくのか? それは国会議員ではなく、地域で奮闘する市井の人たちのはずである。しかし、今回の民進党中央のとった態度は真逆のことである。
選挙は、「自らの方針を人々に伝え」、「共感を得」、そして「その成果として勝つ」ことで、議員を支えてきた現場の多くの人々の思いを国会の場で実現していくもののはずである。野党共闘実現をめざす市民は選挙運動を、自分の生きる場での取り組みと国会をつなぐものとして考えてきた。なのに・・・。
こんな気持ちを持ちながらの選挙は厳しい。でも、ここで撤退するわけにはいかない! 安倍を倒すのは、国会議員ではない! 私たち一人ひとりである。