9月15日『パレスチナ・クロニクル』
ラムゼイ・バルード
翻訳:脇浜義明
数百万人の殺害25万人が国外脱出
100%とまでは言わないが、アウン・サン・スー・チーは「偽りの民主主義伝道者」である。
米国中心の西側が中国と同盟関係にあった旧ビルマ軍事政権(訳注・ミャンマー国は1948年のビルマ連邦成立日を建国日として、ビルマ国との連続性を認めない。しかし、それに反対して、今も「ビルマ」という呼称を使う人が多い)を孤立させていた頃、彼女は軍事政権に反対したことから、西側から「民主主義の象徴」として賞賛された。彼女は期待通りの役割を演じ、右派と左派の両方から賛美を得た。
1991年、ノーベル平和賞を受賞し、ビルマの「長老たち」という高位集団に入り、メディアや各国政府から「見習うべき英雄」と扱われた。
15年間の自宅軟禁という政治的除け者の位置から、2015年の多党選挙で勝利して、ビルマの指導者になった。指導者になってから外国歴訪、女王や大統領や首相と会食、記念演説、各種賞を受賞、その一方でかつて対立関係にあった軍を意識的にリブランド(商標名やロゴ、デザインなどを変更し、培ってきたブランド名を再生させること)した(今日でも軍は政治に対して拒否権に近い権限を持っている)。
この「偉大な人道主義者」の政府・軍隊・警察が、「地上で最も抑圧された」人々、ロヒンギャに対して大規模な民族浄化を行っているのだ。このイスラム系少数者ロヒンギャに対する軍、警察、仏教民族主義者による虐待は、前々からあった。
軟禁状態にあった「偉大な人道主義者」は、それに無関心であった。彼女の党が政権を握ってから本格的な民族浄化が始まり、数百人のロヒンギャの殺害、25万人が飢えと恐怖の中で国外へ脱出。船で脱出した人々が海の藻屑となり、ジャングルへ逃げ込んだ人々は捕らえられ、殺害された。
ビルマに武器を送るイスラエル
1948年のパレスチナのナクバを思い出させる殺戮や破壊や焼き討ちがあった。このときに使われた武器がイスラエル産であったことは驚くことではない。
ビルマへの武器禁輸が国際的に呼びかけられているにもかかわらず、イスラエル国防相リーベルマンは、「ビルマへの武器禁輸をしない」と宣言した。ビルマ軍はその武器で西部ラカイン州のムスリムばかりでなく、北部のキリスト教徒も殺しているのだ。2016年8月、イスラエルの武器会社タール・アイディアル・コンセプツLTDがビルマへの武器供給を発表、同社のコーナー・ショット・ライフルがすでにビルマ軍の作戦で使用されていると、誇らしげに語った。
民主主義守護者と自認する人々が、なぜビルマの蛮行に口を閉ざしているのだろう。昨年10月以降、すでにロヒンギャの4分の1が家を追われた。残る人々もやがてそうなることは確実で、もはやこの集団的犯罪は元へ戻すことはできない。
アウン・サン・スー・チーは、昔からロヒンギャに同情する言葉を発したことがない。彼女の党が政権党になってからは、「この国のすべての人々の世話をしなければならない」と一般論を言ったことはあるが、彼女のスポークスパーソンや代弁者たちは、ロヒンギャを悪魔化するキャンペーンに余念がない。ロヒンギャは強姦魔だとか家を焼いたのはロヒンギャ自身だとか、そして抵抗を試みるロヒンギャを「ジハーディスト」だと、西洋式のイスラム=テロリスト等式を使っている。
最近の国連報告は、ロヒンギャ女性の話を伝えている。彼女の夫は、ビルマ軍の「人道に対する犯罪」(国連の表現)で殺害された。「5人の兵隊が私の服を引き裂いて輪姦した」と彼女。「乳を欲しがって泣いている8カ月の子どもを、彼らは銃剣で刺殺した」。
バングラディッシュへの逃避行の間の悪夢のような体験を、避難民が語っている。ビルマ軍による虐殺、女性への強姦、焼き討ち等々。それが嘘や誇張でないことは、「人権監視団」の衛星写真が証明している。
石油のため虐殺をかばう西側
特徴的なのは、西側が加害者のビルマ政府をかばっていることだ。理由は石油。フリーランス・ジャーナリストのヘリワード・ホランドが、「ミャンマー(ビルマ)の隠れた宝庫の奪い合い」を書いている。数十年間西側が軍事政権をボイコットしていたために未開発のままになっていた石油鉱床が、いまや世界に開かれたのだ。シェル、ENI、トータル、シェヴロンその他がこの宝庫を搾取しようと群がり、入札を待っている。
軍事政権と関係を持ってビルマの経済に影響を与えてきた中国は、だんだんと影が薄くなっている。中国を含め、ビルマの資源をめぐる争いは最高潮に達している。
資源獲得と中国の影響力をアジアから追い払うために、西側がビルマに舞い戻り、アウン・サン・スー・チーを政権につけたのだった。
しかし、ビルマ軍の体質は変わらず、ビッグ・オイル参入の道を拓くために、スー・チーらがちょっとリブランドしただけである。ツケを支払わされているのはロヒンギャである。
ビルマ政府のプロパガンダに騙されないように。ロヒンギャは、外国人でも侵入者でも移民でもない。彼らのかつての仏教王朝アラカン王国は、8世紀に遡る。
数世紀の歴史の中で住民はアラブ商人との交易を通じてイスラム教を知り、やがてイスラム教徒多数地域となった。アラカン王国は現在のラカイン州となり、推定120万人のロヒンギャが住んでいる。
民族虐殺を止めないスー・チー 経済利潤のため支援する日米
1784年、ビルマ国王がアラカン王国を征服、数十万人が逃げたことから、ロヒンギャが外国人だという誤った考えが生まれた。多くはベンガルに逃げたが、結局故郷へ戻ってきた。
それ以来、ロヒンギャへの襲撃、彼らをラカイン州から追い出すことが、繰り返し行われてきた。1942年、日本軍がビルマ駐留の英国軍を破ったときにも、1948年にも、1962年、軍が政権を奪ってビルマ連邦社会主義共和国(1962~1988)を樹立したときにもあった。1977年の「龍王作戦」で、軍事政権が20万人のロヒンギャをバングラディッシュに追放した。
1982年、軍事政権は国籍法を成立させてロヒンギャから国籍を奪い、ロヒンギャは自らの故郷に住む不法滞在者となった。
2012年、ロヒンギャ戦争が始まった。仏教徒国民とロヒンギャとの「人種・宗教的衝突」というお定まりの形をとって、実質的な民族浄化が始まった。数万人のロヒンギャがベンガル湾やジャングルの中に追いやられ、生き残った者は難民キャンプに収容された。
英国人ジャーナリストのピーター・オボーンは、「5年前、ラカイン州の州都シットウェの人口18万人のうち5万人がロヒンギャであったが、現在は3千人。彼らは町を自由に歩くこともできず、有刺鉄線で囲まれたゲットーに閉じ込められている」と書いている。
米国はこの状態をよく知っているはずだが、何も言わず、自国のエネルギー会社のビルマの石油資源略奪を応援している。
アラブ・ムスリム諸国も、何とかしろという国民世論を無視して、沈黙。ヨーロッパと日本も、自国会社が列に並んで米の指示を待つのを支援するだけ。声を出したのは、ローマ法王と南アのデズモンド・ツツ。彼らは、アウン・サン・スー・チーを厳しく批判した。
我々は世界世論として立場をはっきりさせ、宗教界や人権団体はもっと大きい声をあげ、世界に真実を知らせるべきである。ビルマ政府と、それに人殺し武器を供給するイスラエルを厳しく批判しよう。