編集部 脇浜 義明
パレスチナは人間解放の闘い
今年(2017年)クネセト(イスラエルの国会)は、イスラエルはそこに住む国民の国というより世界のユダヤ人の民族国家で、ヘブライ語だけが公用語であるという趣旨の法律を通過させた。その他地名のヘブライ語化、教育や歴史の歪曲、聖書の利用など、イスラエルは人種的パラノイアに駆られている。
もともとの住民であり、イスラエル人口の20%を構成しているイスラエル内パレスチナ人は、自分の郷土、自分の家に住む「居留外国人」という異常な存在となる。イスラエル内パレスチナ人議員のゾアビは、「私はこの地の先住民だ。私はイスラエルへ移住してきたのではない。私のところへ移住してきたのはイスラエルである」と言っている。
ネタニヤフ首相は、イスラエル内パレスチナ人からイスラエル国籍を剥奪し、将来の「パレスチナ国」の統治下へ置くという「和平」案を提案した。
この「パレスチナ国」は、国連や中東カルテット(米・露・EU・国連)やアラブ連盟が言っている「二国解決案」のパレスチナではなく、何か訳が分からないバンツースタンか、ヨルダン・オプションのようなもので、民族浄化のことである。「大イスラエル主義」を捨てたわけではない。
大雑把だが、現在のパレスチナ人の運動を大別すると、「国作り」運動と「人権解放運動」の二つになる。
前者は、オスロー合意を通じてPLOが、わずかな特権と引き換えに、本来の目標である「難民の帰還とシオニズムの支配からのパレスチナ人の解放」を放棄、不当に少ない領土をイスラエルから取り戻して「パレスチナ国」を作るという運動だ。
パレスチナ人の3分の2を占める難民の権利や、イスラエルで第二級国民扱いされている120万人の民族・文化権利を考慮していない。
それに、21世紀社会で、「ユダヤ人だけの国」と「パレスチナ人だけの国」という発想は、人種主義的アナクロニズムであろう。パレスチナの闘いは国家樹立のための闘いにとどまらず、人間解放の闘いである。そこがシオニズムと異なる点である。
さらに、現実問題として、イスラエルの既成事実化政策や入植地建設で、二国解決案は物理的に不可能であることは、多くの識者が指摘している。彼らにとって民衆の占領への抵抗であるインティファーダは国家樹立外交の妨げなので、今やPAがイスラエル占領軍と並ぶパレスチナ民衆抑圧機関となっている。
二国解決案は物理的に不可能
後者の解放運動は、インティファーダやBDSに象徴的に表れている草の根運動、国際連帯に基づく大衆運動だ。
「解放」というのは、被抑圧者をなくすこと、被抑圧者をなくすということは、抑圧者を変革させることだ。つまり、抑圧者イスラエルの変革なくしてパレスチナ解放はあり得ない。その意味で、イスラエル内パレスチナ人の闘いとそれを支援する少数派イスラエル人左派の政治運動は、重要である。
一般のイスラエル左派や「和平」派は、「二国解決」派が多い。かつてユダヤ人シオニズムを支持したキリスト教・シオニズムの動機に反ユダヤ主義があったのと同じように、私はイスラエル左派やリベラルの二国解決支持にパレスチナ人を追い出したいという隔離主義という差別を感じ取る。
どうも西洋中心的偽善が感じられるのだ。それは民主主義、人種統合・共存、平等、連帯という普遍的原則に反するものであろう。
今ではもうあまり知られていないが、中東カルテットの中心として、口先では二国解決案を掲げてきた米国(もっともトランプ大統領になってから、大イスラエル主義的一国案が見え隠れするようになったが)が、1947年の国連パレスチナ分割決議の前には、アングロ=アメリカ委員会の名前で、「イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の平等な権利を保障する、一国案」を提案していたのである。
今、私が読んでいるイラン・ラペ著『イスラエルの10神話』は、「二国可決案」を第10の神話として批判している。
ラペは、『一国解決案』の著者・米国在住のパレスチナ人アリ・アブニーマなどとともに、2007年に「一国解決宣言」を出したイスラエル人歴史家である。
BDS運動推進者の一人、ガザのアル・アクサ大学のハイダル・エイド博士は、「BDS運動が要求するパレスチナ人の権利は、一国解決によってのみ実現できる。これは、被抑圧・植民地犠牲者が植民地主義入植者を平等な権利を持つ国民として受け入れ、共に民主主義国家作りをしようという寛大な提案、南アフリカで先住民が白人入植者を受け容れたのと同じ寛大な妥協だ。何といっても今は21世紀だ。旧式の民族・宗教アイデンティティを基礎にする国作りでなく、全人的で包括的解決法、人種、宗教、ジェンダー等々の違いにかかわらず、住民すべてのための世俗国家になるような民族自決権を支持してほしい」と、「パレスチナ難民帰還権を支持するユダヤ人の会」のインタビューで語っている。この一国解決案は、前述したように、イスラエルの民主主義的変革を必要とする。
(次号へ続く)