矢部史郎(名古屋共産主義研究会)
人々を被曝させる「ALARA原則」のイデオロギー
8月19日、愛知県名古屋市の会場で、名古屋共産主義研究会が主催する研究集会「放射能安全神話を解体するために」が行われました。
名古屋共産研は、広域放射能汚染がもたらす甚大な被害を、日本社会の全般的危機として捉え、この危機がひきおこす動乱のなかから革命戦略・革命的実践を導き出そうとする集団です。その基本方針は、昨年春に「16年テーゼ」として発表しています。
名古屋共産研の第2回目の集会は、ゴフマン研究会の蔵田計成氏をゲストに迎えて、蔵田氏の報告からスタートしました。蔵田氏からは、「ALARAのイデオロギーとその歴史」と題して、被曝受忍政策を基礎づけている「ALARA原則」(アララ原則)について報告していただきました。
「ALARA原則」とは、公衆の放射線防護に関して、「経済的・社会的要因を考慮して、合理的に達成できるかぎり、低くする」(as low as reasonably achievable)という原則です。
現在の福島県の住民帰還政策は、一般公衆に年間20ミリシーベルトもの被曝を受忍させるものとなっていますが、こうした殺人的な政策の支柱となっているのが「ALARA原則」です。
政府の「ALARA原則」に対して、放射線防護につとめる人々は、いっさいの被曝を許容しない「予防原則」を採っています。放射線防護をめぐるイデオロギー的争点は、政府・原子力産業がとる「ALARA原則」と、防護派の人々が推し進める「予防原則」との対決という構図になっているのです。
蔵田氏の報告では、1973年に現れた「ALARA原則」が、当時の原子力発電産業の拡大を背景にして登場したこと、またそれが、公衆の放射線防護規制を骨抜きにするためのイデオロギーであることを、明らかにしました。
放射線防護のシャドウワーク
蔵田氏の報告に続いて、名古屋共産研の矢部史郎から、「放射線防護のシャドウワーク」と題して、簡単な報告を行いました。
矢部が問題にするのは、政府が公衆の放射線防護措置を放棄したときに、誰がそのしりぬぐいをしたのか、という問題です。
この6年間、政府がやらないですませてきたことは、たくさんあります。(1)汚染状態の調査(2)住民の退避措置(3)汚染物質の回収(4)被曝者の医療措置等々、必要な措置のほとんどを政府は放棄してきました。そのしりぬぐいをしたのは市民です。特に、乳幼児を抱える若い女性たちです。
彼女たちは、本来なら政府がやるべき困難な仕事を、すべて手弁当でやってきたのです。この膨大な規模のシャドウワーク(影の労働)と、同時にアンペイドワーク(支払われない労働)は、「ALARA原則」による「合理的な」政策判断によって、彼女たちに押し付けられたものです。 「ALARA原則」が「リーズナブル」とするものとは、必要な措置と費用を社会に転嫁し、責任のない人々にしりぬぐいを押し付けることなのです。
放射能汚染をめぐる理論的闘争は、純粋に自然科学の領域の論争に収まらない、階級と性差をめぐる社会的闘争を含んだものとなるのです。
少しずつ議論を再開すること
2名の報告のあと、参加者を含めた自由討論を行いました。討議の内容は、参加者の各人にとって、必ずしも満足のできる内容ではなかったかもしれません。しかし私は主催者の一人として、この結果に満足しています。どういう形であれ、討議をする場を持つことができたのですから。
2011年の爆発事故によって中断されていた議論を、とにもかくにも再開することができたのです。
被曝を容認してはいけないという原則、原子力問題を階級課題として位置づけること、2011年以前はあたりまえに議論されていたことを、私たちはこの6年間できないままできたのです。私たちはあの事故から6年かかって、いまようやく、あるべき議論を再開することができたのです。
あまりにも長いブランクがあったため、まだ本調子ではありません。丁々発止というわけにはいきません。2011年以後の6年間は、それぞれの経験として重く、断絶は深い。
これから少しずつ、問題を再構成していきましょう。2011年以前の闘いと、2011年以後の闘いとが、出会う場をつくっていきましょう。