8月15日、東京(千代田区) にて『「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う8・15反「靖国」行動』が、行われ,150名が参加した。
「終戦記念日」とされるこの日、戦没者を「祀る」靖国神社は、観光客を含め、人であふれる。同神社で開催される全国戦没者追悼式典では、アキヒトを先頭に戦没者への黙祷が行われる。甲子園をはじめとする公共性をもった施設はこれに追随しているので、「式典」へ行かない人の生活にも浸透しているのではないだろうか。
そもそも8月15日を終戦の日としているのは、プロパガンダに過ぎない。
国際的に効力をもつ敗戦日は、東京湾に停泊するミズーリ号の船上で政府の重光外務大臣(当時)と大本営の梅津参謀総長が無条件降伏文書に調印し、発効した9月2日であり、連合国軍の占領下ではこの日を「敗戦の日」と定め周知していた。
もしくは国際法上、連合国の一定数と戦争が終結した、とされるサンフランシスコ平和条約発効日(1952年4月28日)のはずである。
また、沖縄戦は9月7日まで続いているため、「日本」の戦争が8月15日で終わったと定義するのは沖縄を無視する行為である。
では、「終戦記念日」は何の日か?「玉音放送」が流された日だ。
毎年テレビでも、皇居へ向かって土下座する当時の「国民」の姿が「耐えがたきを耐え…」と語るヒロヒトの声とともに映し出されている。つまり、「天皇が国民に戦争の終わりを与えた」と印象づけたいからだ。
「終戦記念日」には、「日帝の敗戦」から市民の目をそらし、戦争責任を逃れるためだけでなく、天皇と「国民」の結びつきの「あるべき姿」を植え付ける天皇制強化にほかならない。
戦時国家体制形成へ突撃する安倍自民党に対し、私たちは、従来の議会主義・平和主義を突破し、直接行動の闘いを叩きつけねばならない。そのためにこそ、8・15反「靖国」行動の成功を全力でかちとろうと、一昨年に続き参加した。
まず集合場所の水道橋・韓国YMCA会館では、8・15集会宣言が読み上げられ、会場全体で確認された。続くアピールでは、連帯する各団体が発言した。
デモは雨の中を進み、「天皇制粉砕」「靖国解体」「侵略戦争反対」「式典反対」のシュプレヒコールが響く。靖国神社付近では、右翼が日の丸を掲げ、デモ隊を襲撃せんと、待ち構えていた。旧日本軍を想起させるデザインの特攻服を纏い、「天皇陛下を愚弄するな!」と叫びながら、歩道の柵を乗り越え、突進してきた者もいた。
機動隊はこれを口実に、市民とデモ隊の間に、壁のように並び「危ないので詰めろ」と参加者を押し、行進を妨害した。
白色テロによる怪我人がでていた例年と比べ、今年の妨害は比較的軽微だった。
1930年代、天皇制ファシズムに屈服した日本階級闘争の負の歴史を見つめ、根底的自己批判―突破をかけ、来年こそ全国戦没者追悼式典阻止のために、靖国・式典会場へ向かいたい。
以下、「8・15宣言文」の要約を掲載する。
(編集部・村上)
「8・15宣言」
明仁天皇の「生前退位」の意向表明にはじまり、テレビ画面を通じた天皇の「玉音放送」から1年。「翼賛国会」により「退位特例法」が成立させられ、来年末の天皇退位・「即位礼・大嘗祭」と続く「天皇代替わり」過程が、本格的に開始されている。
「退位特例法」は、天皇明仁の「公務」を明記した。また、天皇と「国民」とは「君民一致」だと宣言した。
天皇制そのものが廃止されなければならない。この1年間にも、各地で、天皇制に反対するさまざまな取組みが重ねられてきた。
安保法案に続き、共謀罪を強行成立させた安倍政権は、9条を突破口にした2020年までの改憲に向け、今年中の改憲案提出を明言した。来年の「明治150年式典」、天皇「代替わり儀式」、東京オリンピックに向かうなかで、「戦後」という時代の「転換」を図ろうとするのは、すでに既定の路線だろう。
中国や朝鮮の脅威を煽り、沖縄を日米の前線基地とし、大量の機動隊を連日投入して暴力的に新基地建設を推し進める政府の姿勢に、変化はない。
日米同盟を基軸とした戦争国家の進展において、戦争の死者を国家が「追悼」することで、国のために死ぬことを尊いものとするイデオロギーは、強化されざるを得ない。
本日、天皇出席のもと九段で行なわれている「全国戦没者追悼式」は、戦争の死者を戦後日本の「平和と繁栄」のための「尊い犠牲」として称えることで、人びとを死に追いやった日本国家の責任を解除する欺瞞的な儀式だ。
靖国神社は、政府機関の援助を戦後も受け続けながら、より露骨に日本帝国主義侵略戦争を「聖戦」と賛美し、天皇の参拝によって、「英霊」を顕彰しようとする政治的施設である。
われわれは、「天皇の季節」を拒否するための行動を続けていくことを、ここに宣言する。