翻訳・脇浜 義明
2017年にナッシュヴィルで開かれた平和シンポジウムで、マーサ・ヘネシーは、自分が時折住み込みで働いているニューヨーク市のホスピタリティ・ホーム「マリーハウス」の活動趣旨について語った。
マーサは、1930年代に各地にホスピタリティ・ホームを仲間と共に作る活動をしたドロシー・デイの孫娘である。「マリー・ハウス」の住人たちは、デイの助言に従って生活しようと熱心に努力している。ヘネシーはスピーチの中で、祖母の運動を象徴するイメージを描いた葉書大のコピーを見せた。そこには、リタ・コービンの有名な木版画「慈悲の仕事」と「戦争の仕事」が並列されていた。
彼女は、「慈悲の仕事―飢えた人に食事を与え、渇いた人に水を与え、衣服のない人に衣服を与え、服役囚に面会に行き、病人の世話をし、死者を埋葬する」とリストに書かれていることを読み上げ、続いて「戦争の仕事―畑と作物を破壊し、食物生産者を逮捕し、家庭を破壊し、家族をばらばらに離散させ、水を汚染し、反対意見をいう人を投獄、拷問、殺害する」と読み上げた。
米軍は民間人を虐殺していた
翌週、ジェームズ・マティス将軍が、米軍がアフガニスタンのナンガルハール県で初使用した非核武器モアブ(大規模爆風爆弾、通常兵器では史上最大の破壊力を持つ爆弾)で推定何人が死亡したか、と質問された。新聞記者といっしょにイスラエル訪問をしたときの質問であった。「わが軍はBDA(爆弾の殺害効果の測定)を死者の数で測らない」と答え、「それは今も働いている方針だ。それに、わざわざ地面を掘り起こして埋まった敵の死体を数えるなんて、軍の有効利用にはならない」と付言した。
彼の言葉で思い出すのは、コリン・パウエル将軍の言葉である。1991年の米軍のイラク侵攻で何人のイラク兵が死亡したかという質問に対し、彼は「私は死亡者の数に格別な興味はない」と答えた。他の将軍たちの証言から分かることは、米軍戦車が降伏の意思表示をしているイラク徴集兵を塹壕の中に生き埋めにしたことだ。最近例では、アンドレF・ペギー中将が、2007年の米軍のイラク軍事行動で民間人死傷者数が70%も増加したことに関して、米軍は民間人殺傷を避けるための「特別な配慮」を講じなかったことを認めた。
侵略戦争継続を正当化する嘘
イラクやアフガニスタンにおける将軍たちの最大関心事は何だろう? 部下の安全だろうか? 同地に派遣された兵卒たちが、自分たちに不毛のミッションを課した司令官を批判し、米軍展開は不必要であるばかりか破壊と荒廃をもたらすだけと証言した記録がたくさんある。ダニエル・スジャーセン少佐は、米のアフガニスタン戦争の表向きの理由は非現実的な幻想だと『トム・ディスパッチ』に書いた。彼は、将軍たちがこの戦争が永遠に勝利することがない戦争であることを理解していながら、個々の戦術や戦闘勝利で名声と昇進を得ようとしているだけだ、と書いた。村人がほとんど逃げていない村を占領するために米兵の命を浪費したり、「タリバン」の手製爆弾に対して役に立たないようなハイテク武器を軍事産業から購入する無意味さを書いている。
そう、地元の「タリバン」が何者かは、もう漠然として、もはや指示的意味を失っている。タリバンは粗末な手作り爆薬をプラスティック容器に詰めて仕掛ける戦法を採るので、米軍の戦術がすっかり変わってしまった。米軍においては厄介な問題で、安く作って簡単にどこにでも埋めることができる即席爆破装置が、米軍駐屯地や周囲の道路や小道など至るところに仕掛けられているのだ。敵は、小銭で数百万ドルのハイテク兵器を無効にしてしまっているのだ。
スジャーセンらアフガン戦争経験者たちは、相次いで体験報告文を書いた。彼らの報告は、「親子二代にわたる」16年間のアフガン戦争で米軍がまき散らした破壊と荒廃を弁護するために、タリバンの暴政からアフガン人を解放するためとか、民主主義を教えるためとか、さまざまな理由を政府や将軍やシンクタンクやメディアが並べたててきたことが、みんな嘘八百であることを暴いた。
アフガンをアフガン人に返せ
戦争成金や自分を売り込むのに熱心な政治家は、戦争そのものが暴君になるということを国民が理解することを好まない。どの政治家も、アフガンの住民はタリバン軍の指揮官の命令ではなく、米軍の砲撃音やドローンの響きが自宅放棄の原因であり、住民がホームレス難民になるという事実を、米国民に説明しない。戦火の中、家族離散、カーブルの難民キャンプでかろうじて戦火を逃れることができた子どもたちは、戦火を逃れても飢えと病気と厳冬から逃れることができない。母親たちは、子どもが市場や街頭からくすねたり拾ってくる残飯、あるいは過酷な児童労働で稼いだわずかな銭がなければ、家族全体が餓死と、涙を流して語る。そんなことを米国民に語ることはない。こんな悲惨を終わらせるために、アフガンをアフガン人に戻す日について語ることはない。
「人道」のための戦争犠牲になった少年が語る
ムバシールは10歳、カブールに住んでいる。朝7時から正午まで靴磨きをやって家計を助けている。それからAPV(アフガン平和ボランティア)の「ストリート・キッズ学校」へ行く。学校へ行っている間は働けないので、その分はAPVが補償してくれる。APVはまた米、食用油、豆類を家族に支給してくれる。
APVの指導者ハキムがムバシールに質問するビデオがある。家で困っていることはあるか、というハキムの質問に、「いっぱいあるよ。父ちゃんは監獄だし、ぼく1人じゃなんにもできない」とムバシール。Q:「稼ぎは1日に75セント?」A:「1・5㌦」。「家で果物を食べることはあるかい?」A:「いいえ」。「肉は?」A:「とんでもない」。「1日の終わりには疲れるかい?」A:「午前中働いて、午後学校で、晩は宿題をして、それからお祈りをして、クタクタになって寝ます」。
アフガン人は、相互に助け合う。APVは地域ケアをやり、餓えたものに食事を、渇いた者に水を、難民キャンプに閉じ込められた者を訪問している。
米国政治家は、爆弾で建物、水源、発電所を破壊、経済活動を寸断、無数の死体を散在放置させている状態を、人道のための戦争、安定した民主主義国家を作らせるための戦争だと説明する。説明を聞いた米国民は、ムバシールのような少年のことを忘れ、邪悪な宗教を持つ人種という顔のない敵と闘う米軍を応援する気持ちになる。
悲惨さを知って、人道支援を手伝う人もいる。しかし、武器を持った人々が支配するアフガンでは、支援物資は腐敗関係の中で消え、それを必要とする人々には届かない。
米軍も含めて敵対勢力は戦争の仕事をしているので、慈悲の仕事をする余裕はない。戦争は独自の論理で動き、それは、米国が軍を引き上げ、現地で行った大破壊に対する物心両面の賠償を行わない限り、いつまでも続くであろう。