知りあいが不登校の子の居場所づくりをしている。教育行政は「その子が学校に適応できないのだ。適応指導する」という立場である。本当にそうなのか▼道徳の時間にハイハイと答える生徒が、休み時間に誰かをいじっている。まわりもそれをはやしている。社会の縮図だ。何をやっているのだと、意識化できればまだしも、その前に体が拒絶し、朝起きられなくなる。要因は千差万別だが、不登校は、行政の立場とは逆に、学校と世のあり方への、体をはった抗議なのだ。不登校の子は皆まじめだ▼40年ほど前に教えた子らのクラス会にゆく。「僕らは勉強は苦手だったが、不登校生はいなかった。いつからこんなになったのか」と聞かれる。長期に欠席する生徒は、戦後政治の総決算をかかげた中曽根行革の数年後、90年代から増えてゆく。いわゆる格差を拡大した小泉改革を経て、人を金儲けの資源としか見ない新自由主義が世にゆきわたったアベ政治の2015年、病気を理由とせずに30日以上欠席した小中学生は、全国で12万5000人を超えた▼このような状況のもとで、しかし、できるところから、そんな子らとつながり、たがいを認めあってゆく。それが、こんな世を下から動かしてゆく。それぞれの分野で、そういう時代になっている。(n)