反共謀罪、反改憲、安倍政権打倒の闘いが求められているが、闘いを発展させ、韓国の闘いに連帯するためにも、日本の闘いの歴史継承が課題となっている。1967年10・8羽田闘争、山﨑博昭追悼もその一環だ。7・8関西集会は、回顧集会ではなく、若手研究者(京大、大阪大学などの大学院生)からの研究・問題提起を受けた集会となった。
『連合赤軍事件で「終わり」としない現代史の語りを目指して』をメインテーマとして、4名の若者の報告があった。
(1)中村葉子「ベトナム反戦運動における直接行動~映画『鬼っ子 闘う青年労働者の記録』が映しだしたもの」、(2)小杉亮子「東大闘争の語りから見えてくるもの」、(3)牧野良成「交流誌『おなごと三里塚』から長距離デモ『女たちのゆっくりリレー』へ~三里塚闘争から〝出会いの中味をつくっていく〟関西の女たち」、(4)徐潤雅「韓国民主化運動における烈士研究から見えてくること」、の四つの闘いであった。
中村さんの報告は、映画「鬼っ子…」ダイジェスト版(10分)が上映され、1968年10・21「新宿」(騒乱罪適用)の攻防を映し出している。60年代の闘いは、突出した学生運動が良く取り上げられるが、青年労働者、市民も職場、街頭で各々可能な「直接行動」を生み出して、全体的に大きな闘いとなったのである。10・21闘争は、またブントは防衛庁突入、社青同解放派は国会突入の闘いを作り上げ、首都・東京全体が闘いの舞台となり「新宿」に合流していったのである。
「社会史」「研究」など、「研究者」という立場のアプローチには違和感があるが、忘却、抹殺される「闘いの歴史」が継承される一端になることは意義がある。70年安保世代にとっては、常に総括が求められる「闘いの歴史」であるが、若手研究者のアプローチと現代の実践的活動家が結びつくとき、新たな「闘いの歴史」の継承が生み出される可能性がある。(岩田吾郎)