ガリコ美恵子
高まるトランプ批判の声
イスラエルがパレスチナを占領して、50年が経つ。この50年間でイスラエルは東エルサレムに15箇所の入植地を建設し、20万人のユダヤ人が移住。西岸地区には127箇所の入植地を建設し、40万人が移住した。現在、計60万人のユダヤ人がパレスチナの土地、東エルサレムとヨルダン川西岸地区に居住している。
トランプ大統領のイスラエル訪問に際し5月22日、西エルサレム・米領事館前で反トランプ・デモが行われた。主にアメリカ系ユダヤ人が約150人参加。「トランプを壁で封じよう」「性差別、民族差別、金欲政権に反対」「トランプをやっつけろ」などのプラカードを掲げ、トランプ大統領の政治方針に対する批判を叫んだ。トランプ大統領は2国家案を掲げ、「和平合意に力を注ぐ」と発言したが、現状を把握していないことは誰の目にも明らかで、トランプ大統領に期待するイスラエル人は少数である。
「国旗の日」
毎年6月5日は、第三次中東戦争が終結し、イスラエルが東エルサレムをヨルダンから奪ったことを祝う〝エルサレム・ディ〟だ。国旗を掲げ祝うので〝国旗の日〟とも呼ばれる。今年はラマダン開始が5月27日だったため、これとかち合わないよう裁判所のはからいで、5月24日に変更された。
この日、数十万人が街頭でお祭り騒ぎをし、国旗を掲げて旧市街へ行進した。旧市街では、警察の命令によりユダヤ商店以外が全て閉店させられ、パレスチナ人が歩けば持物検査と身体検査が行われ、イスラム教徒地区に暗い雰囲気が漂った。
弾圧をうけるパレスチナ人のデモ
イスラエルでの集会、デモには当局の許可が必要だ。エルサレム最高裁判所は、当日午後遅くまで審議を続けた。「ユダヤ行進隊がダマスカス門やライオン門を通過して、神殿の丘付近のイスラム教徒地区を練り歩く」行程に対する許可を出しかねたのだ。毎年のことだが狂信的なユダヤ教徒団体が神殿の丘に侵入しようとすれば、パレスチナ人の怒りをかい、それを弾圧しようと軍が発砲し、衝突になる。
トランプのパレスチナ・イスラエル訪問翌日にそんな事態になるのは避けたい、と裁判所が審議した結果、「午後3時から6時までは少人数の限られた団体のみ、6時以降は無制限に、ダマスカス門から旧市街に入ってよい」とされた。通常、イスラエル人によるデモには許可がでて、警察が警備する。一方、パレスチナ人には許可されないため、警察が弾圧、逮捕する。
抑止力となる外国メディア
前日、私はイスラエル平和活動団体から次のようなメールを受け取った。「午後3時ダマスカス門またはイスラム教徒地区で待機せよ」。毎年、軍警察とパレスチナ人との間に衝突が起こるので、パレスチナ人が逮捕や暴力を受けた時、パレスチナ人の無実が証明できるよう撮影するためだ。
午後3時過ぎ、ユダヤ強硬右派100人あまりが警察に守られながらやってきて、ダマスカス門中央で「ここは俺らの土地だ、〝神殿の丘〟は俺らのものだ」と輪になって歌い、踊りだした。〝神殿の丘〟に我が者顔で侵入するユダヤ人に我慢ならないパレスチナ人の若者たちが数m離れて整列し、「ここはパレスチナだ。どんなに僕らの血が流れても、僕らは祖国を守り続ける」と抗議し、パレスチナの旗を掲げた。
警察対パレスチナ人の睨み合いの緊張感が張り詰めた時、欧米ユダヤ人非暴力抵抗運動団体とエルサレム在住の左派20人ほどが、中央で丸く輪になり背中合わせに腕を組み、「ディアスポラのユダヤ人は占領を許さない」とシュプレヒコールして、ユダヤ強硬右派の行進を妨げようと座り込みした。警察はこれを力づくで撤去した。アメリカ系ユダヤ人のサラは警官に体全体を持ち上げられて、石床に投げ落とされ、腕を骨折した。首を絞められた者もいた。殴られ、身柄拘束されたパレスチナ人もいた。しかしその度、軍警察の指揮官が兵士たちに指示をした。「手加減しろ。外国メディアがいる」。
パレスチナ人はダマスカス門から退去させられたが、国境警察に睨まれつつ、道路脇で抗議デモを続行した。同時に西エルサレム・市役所前〝軍広場〟で、イスラエル人左派数百人が集合し「国旗を掲げて東エルサレムをユダヤ人が行進することに反対する」デモを行った。このデモには当局の許可がでており、警察がデモ場をテープで囲い、右派と衝突しないよう守衛された。
平和に暮らすためパレスチナに独立を求める?
その週末、テル・アヴィヴのラビン広場で、〝占領50年を嘆く集会〟別名〝二国家、希望は一つ〟と題された集会が開かれた。ベエル・シェバ、ハイファ、エルサレムなどから約3万人の〝左派〟が集まった。集会は、メレツ党、ジョイント・リスト党、労働党、シオニスト同盟党の共催で、平和活動団体「ピース・ナウ」「マフソン・ウオッチ」「沈黙を破る」「イエシ・グブール」「オムディン・ベ・ヤハッド」「コンバタント・フォー・ピース」などのメンバーが参加した。エルサレムからは参加者送迎のために大型バス3台がでた。バスを待ちながら中年女性がこんな会話をしていた。
「私たちはパレスチナと決別したい。決別して、平和に暮らしたい。だから、パレスチナに独立してもらわなければ…」。そこにいた皆が相槌をうった。運転手はパレスチナ人だった。ラマダン中で、水一滴飲まず運転し始め、道中で日が落ちたのでラマダン明けの水を口に含みながら、丁寧にテル・アヴィヴまで運転した。
会場では、イスラエルの旗が何本も掲げられたが、パレスチナの旗は1本もなかった。集会では、マフムード・アッバス議長から届いた〝二国家案〟連帯表明の手紙が読み上げられ、メレツ党の党首がこんな演説をした。「私たちは50年間も、息子や娘を兵役に送り、自分が欲しないパレスチナのカサバを走り回らせてきた。占領を止めて、平和な国にして、ユダヤ人もパレスチナ人も移民してくる国にしよう。占領を続けたいナタニヤフ首相には退いてもらいたい」。
ナタニヤフが首相でなければ問題解決するのだろうか。本来、48年のナクバに戻って、パレスチナ人に対して行った悪事を謝罪すべきではないか。
占領をやめられない理由
シェイク・ジャラやビリン村のデモの活動仲間は、この集会に参加せず、こう意見した。「二国家案が和平につながるとは思えない。60万人の入植者をパレスチナから撤退させることは不可能だ。シオニスト同盟党や労働党は右派だし、メレツ党もユダヤ人が快適に暮らしていける国を求めているだけという点で、シオニスト左派だ。彼等は正義を求めていない。それでは和平は無理だ」。
占領を止めたくても、イスラエルには大きな問題がたくさんある。(1)入植者の撤退問題、(2)水問題(イスラエルの水道会社=メコローット社の水源の7割は西岸地区にある。パレスチナ独立に際し、水源を返還すればイスラエルの水は枯れる)、(3)外貨収入問題(外貨収入トップはハイテクと軍需産業。平和になると軍需産業は低迷するだろう)、(4)肉体労働力問題(建設業などの肉体労働はパレスチナ人によって補われている)。
別れる市民の声
首相事務所に勤務する姪に「占領を止めることに賛成か」と聞くと、「占領ではない。
国防だ」と応えた。市役所に勤務する甥も同じだ。「二国家和平案」については、「交渉相手がパレスチナ側にいない」という。こういった意見は全国的に多い。占領自体を認めない人と、占領の事実は認めても占領を止めることに同意しない人が、国民の半数以上を占め、次に占領をやめることに同意してもパレスチナ人との共生を望んでいない人が、国民の3割弱。残りの2割はイスラエル市民権をもつパレスチナ人(アラブ・イスラエリ―48)という分布となる。正義を求め、パレスチナ人との共生を求めるユダヤ系イスラエル人は、人工的に造られたユダヤ国家を認めない、ユダヤ正統派のネトレイ・カルタを合わせても1割に満たない。
イスラエルの自立パレスチナの独立
パレスチナが独立するためには、イスラエルが水資源、住宅問題、貿易収支などの面で、パレスチナに頼らなくてもやっていける、自立した国にならねばならない。
※注1…エルサレム・ディ=1967年6月5日に第3次中東戦争で勝利したイスラエルはパレスチナの占領を開始し、旧市街を含む東エルサレムはエルサレム市に併合された。イスラエル人はこの日〝エルサレム・ディ〟(=エルサレム奪回)として祝う。