編集部 園 良太
前号で、共謀罪反対の中で具体的な不当逮捕と救援運動の事例を共有することが大事になると書いた。そこでまず私の経験の概要をお伝えする。 一度目の弾圧は2008年の「麻生邸リアリティツアー弾圧」。当時の首相・麻生太郎の62億円の豪邸を見に行き、格差と貧困の原因を知る行動だった。だが、渋谷駅から歩き出したら、先頭にいた私が「無届けデモの先導者」扱いされ、「公安条例違反」で逮捕・12日間勾留された。私を助けようとした2名も弾圧された。だが、逮捕の瞬間の映像がYouTubeで30万回も再生され、全国に支援と抗議が広がったため、釈放された。その勢いで国と東京都への国家賠償請求訴訟を起こし、最高裁まで闘ったが、敗訴した。
また、09年4月に「在特会」が埼玉県蕨市で初めて大規模なデモを行ったとき、抗議した私たちのうち2名が弾圧され、そこからさまざまな救援活動に関わり始めた。次に3・11後の反原発運動が高揚する最中の11年9月、第一回「差別・排外主義に反対する新宿デモ」で、警官と警官の間から横断幕を掲げていただけで公務執行妨害で弾圧・勾留された。
13年1月、普天間基地閉鎖の「建白書」を持った翁長現沖縄知事らが上京し、議員会館周りをした(「オール沖縄」のきっかけ)。だが、右翼が街宣車2台で大音量で上京団を罵倒し続け、議員会館前で支援集会をする私たちの真ん中をデモ行進で通り抜けた。あまりの横暴に私が右翼に抗議したら、集団でボコボコにされた。にもかかわらず右翼は私に対する被害届を出し、4月に警察が実家に押しかけて「署に連行したい」と言い張り、拒否したが、8月に書類送検され、あわや起訴寸前に。仲間とともに直接東京地検に抗議申し入れを行い、阻止した。
3回目の不当逮捕は、12年2月、東京の江東区役所の野宿者排除に抗議して役所に行ったところ、強制排除された。私が抗議して蹴ったガラスが意図せずに割れてしまい、器物損壊罪で逮捕。威力業務妨害罪に切り替えて起訴され、拘置所に移され、4カ月半も勾留された。1年半の裁判を闘ったが、一審・二審とも裁判所は検察側主張を丸飲みして、私たちは敗訴。懲役1年・執行猶予3年が確定した。
しかもそれで終わらずに、「園は逮捕時に江東区職員にケガをさせた。公務員の労災組織『地方公務員災害補償基金』が職員に治療費約4万円を払った。なので園は『基金』に4万円を返せ」という請求が届いた。全く事実無根なので拒否すると、「基金」は民事訴訟を起こして請求してきた。「基金」の弁護士は悪名高い労働組合つぶしの専門家だった。裁判費用、弁護士費用(全て税金)だけで優に4万円を越える。嫌がらせの「超低額SLAPP訴訟」だった。証拠が何もないため、「基金」側は何とイラストと再現写真を出してくる、あからさまなねつ造・冤罪事件となった。それでも私は敗訴したため、いつ銀行口座から4万円が徴収されるかわからない状態にある。
弾圧された方が悪い?!
4回目の弾圧は、15年5月。経産省の入口に立ち入って抗議行動をしたところ、2人の仲間とともにいきなり拉致され、12日間勾留された。拉致された後に「建造物侵入罪」と告げられた。だがそれは、「経産省前テントひろば」が立ち、通行人も行き交う「公開空地」と呼ばれる公共空間であり、とても「侵入罪」に問えるものではなかった。しかも、私たちの税金で立てた役所だ。
だが、運動の底流にあった「逮捕された方が悪い、自己責任だ」が、ここで私に火を噴いた。一緒に弾圧された人の仲間にそうした考えの人々がいたため、ツイッターや救援会の内部で「いつも警察に抗議する園が悪い、他の2人は巻き添えだ」「園以外を助ければ良い」と公然と主張したのだ。現場にいなかった人々であり、全く間違っていた。だから、私も他の2人も外の仲間も奮闘して同じ黙秘を維持し、同じ「勾留理由開示公判」を開き、3人同時釈放を勝ち取った。だが、普段抗議行動の現場をともにしていた人々が背中から刺すような行為に、私は深く傷つき疲弊し、東京での運動に全力投球できなくなり、東京を離れる一因となった。そして、4回全ての弾圧で実家に家宅捜索に入られた。
数カ月後の9月16日、戦争法案の採決直前の国会正門前で、一度に13人が弾圧された。歴史的な車道解放を再び勝ち取り、採決を止めるための攻防のピークだった。そこでもシールズ周辺の「しばき隊」等が、「逮捕された方が悪い」「全員セクトが暴れただけ」などの誹謗中傷をネットで行い、自らと切断した。私たちは救援で全員釈放を勝ち取った。
3・11直後に最も高揚した、「素人の乱」による「原発やめろデモ!」も、11年9月11日のデモで警察が12人も弾圧し、解体させられた。ここ大阪では、12年秋に大飯原発ゲート前テント~放射能汚染がれきの受け入れ反対運動の過程で、11人逮捕・7人起訴の大弾圧がなされた。ゲート前や大阪市役所前で果敢に直接阻止行動を行い、権力にとって最大のタブーである放射能汚染を正面から問題にしたからだ。
運動のピーク時に警察が大量弾圧し、萎縮とともに内部分裂を引き起こし、解体することが常に繰り返されてきた。これを克服しなければ、共謀罪の成否にかかわらず、私たちに未来は無い。(次号に続く)