サラー・アルゲルバーウィ(ガザ居住のフリーランスジャーナリスト、翻訳家)2月8日「電子インティファーダ」 翻訳・脇浜義明
16歳のワラーは教室の窓の近くには座らない。彼女は、ベイト・ハーヌーンで国連が経営する中学校の生徒で、流れ弾が怖くて窓の近くに近づけないのだ。学校からはガザとイスラエルの国境のコンクリート壁が見える。国境付近ではイスラエル軍の銃撃がくり返され、死傷者も多い。
ガザの教育省は、発砲が激しい場合、生徒たちを避難させる。教育省のムハンマド・ナーセルによれば、ベイト・ハーヌーンには4校あり、いずれも国境から1㎞以内に位置する。イスラエルはその地域を一方的に「立入禁止区域」としている。
ワラーは、2014年のイスラエルのガザ攻撃=「爆弾の嵐作戦」のトラウマでも苦しんでいる。彼女と家族は、UNRWA経営の小学校へ避難した。これ以来、遠くの方でイスラエル戦車が動く音が聞こえると「死が私を追いかけてくる」と怯えるようになった。
ワラーの先生であるサミーラ・アル=ザニーンは、ワラーは成績の良い子だったが、あの攻撃以降、成績が落ちた、と語る。「どこからか銃声が聞こえるとあの子は泣き出し、お母さんの名を叫ぶのです。イスラエルが国境でやっていることのために、彼女は怯え、退行現象に陥っています」。
学校カウンセラーのムハンナ・アル=マスリーは、恐怖とストレスに対抗できるようにガイドブックを配布した。生徒たちの恐怖とストレスに対しては、海岸への散歩とか集団的心理支援セッションへの参加などの対処法を勧めている。彼は、ワラーのトラウマを克服させるには限界があると語った。生徒の恐怖は「理にかなった当然の結果で、イスラエルの暴力がやまない限り恒常的に続く」のだ。
暴力が子どもたちに悪影響を与えているのは言うまでもないが、例外もある。ベイト・ハーヌーンの南にシュザイヤという地区がある。国境に近いガザ市地域で、2014年攻撃で虐殺が起きたところである。そこにアハマードとムハンマドという15歳の双子がいる。彼らの家はイスラエルの空襲で壊され、現在9人家族で小さな賃貸住宅で暮らしているが、シュザイヤ殉教者学校で優秀な成績である。ワラーと異なり、戦車とジェット機の音響を恐れない。「僕らが勉強して頑張ることが占領への抗議なので、頑張り続ける。僕は技師になって破壊された家屋を再建したい」と、ムハンマドは語った。
双子にとっては苦しい闘いの毎日である。国境近くの学校は、イ軍の攻撃たびに休校になる。そのとき2人は自習し、先生の家へ行って勉強する。学校側も、砲撃や銃撃などの非常時に生徒の安全を確保するための特別プログラムを実施している。窓ガラスが割れて飛び散ることもあるし、イスラエル軍が水槽や井戸を破壊して水不足になることもある。建物崩壊、地割れなど、あらゆる事態を予測・対処することを教えている。
大混乱の中では救助班にできることには限度がある。2014年のイスラエルの襲撃のとき、220校が破壊された。ホームレスになった生徒は数千人だ。そういうストレスの中で、「生徒も教員も全力を尽くしている」と、教育省の役員ジアード・サーベトは言う。
国境付近にある学校は85校で、うち5校が国境から1㎞以内にあり、非常に危険。これらの学校は常に避難の対象で、ほぼ45000人がまともな教育を受けられない状態である。その日の状況次第で休校や避難が強いられる。修繕しても、窓ガラスは直ぐに割れ、風や雨が吹き込む。イスラエル軍は、冬場に意図的に窓を標的にして勉強を妨害している、という。
ハーン・ユーニス市教育局のサイード・ハルブ局長によると、市の東部に国境区域に隣接する学校が13校ある。在籍数はほぼ2万人で、市内生徒の20%。この地域は、付近に建物がなく、草木も生えていないので、イスラエルの射的になりやすい。
カバンを落として泣いたマリアムは、それでも勉強を頑張り、良い成績を収めている。双子のムハンマドと同じように、彼女も技師になって、ガザ再建に尽くしたいと言っている。「勉強を続けることが侵略や貧困や他の障害と闘うことよ。きっと希望を実現するわ」と、幼い少女は抱負を語った。