フリージャーナリスト・本間 龍
政権批判を自主規制してしまうマスコミの雰囲気
権力に対するメディアの萎縮が叫ばれて久しい。確かに、報道ステーションの古館伊知郎氏を筆頭に、ニュース23の岸井成格氏、NHKクローズアップ現代の国谷裕子氏など、ここ数年政権に批判的な発言をしていたニュースキャスターが次々に降板しているのは事実で、さらに辛口批評で知られる上杉隆氏のようなジャーナリストはほぼテレビに出演できないようになっている。
ただ、いくつかのメディア関係者と話をしても、個別具体的な案件で政権または自民党から放映中止を要請されたという決定的な話は聞かない。むしろ「こういう報道をすると(政権から)文句がくるのではないか」「文句が来たら対処が面倒だからやめておこう」という意識が先に立ち、結果的に報ずるのを取り止めたり、曖昧になってしまう場合がほとんどのようだ。つまり、権力側から要求されたわけでもないのに「こんなことしては、まずいのではないか」などと勝手に「忖度」し、自主規制をかける雰囲気が蔓延しているのだ。
今年になって森友学園問題が火を噴き、少なからぬ打撃を政権に与えた。しかし、最初の報道段階では政権中枢から遠い印象で、多くのメディアも「安心して」報道していた感じが強い。ところが昭恵夫人の関与が疑われる段階になって火種が大きくなってきて、報道にブレーキがかかり始めた。
さらに「本丸」と言われる加計学園の問題となると、朝日新聞などを除いては、追及する迫力が格段に減少している。「森友はしょうがないが、加計はやるな」という自民党からの警告が囁かれていて、特にテレビメディアがその「空気」に呑まれているようなのだ。
それはもはや、時の政治権力の監視役という、俗に言う「第4の権力」の使命を自ら放棄する体たらくである。
さらに、こうした「権力と争いたくない」というひ弱な「忖度体質」のメディアが、政府への批判と同等かそれ以上に恐れるのが、電通と博報堂という、日本を代表する巨大広告代理店である。両社は、あらゆる広告の制作とともに、企業とメディアをつなぐ連絡役としての機能を持っており、ほとんどの企業は電通と博報堂を介さなければ、大手メディアに広告を掲載することができない。とりわけシェア1位の電通に対する畏怖感は、全国ネットのテレビキー局や、女性誌など大量の広告を掲載する雑誌をもつ大手出版社などで非常に顕著だ。その理由は、ひとえに電通の巨大性にある。
昨年の日本の総広告費6兆2千億円のうち、電通は博報堂の倍、2兆円近い売り上げを誇るダントツのガリバー企業だ。つまり、1社で日本の広告費の3分の1を扱っていることになる。そして、昨年の国内テレビ広告費約1兆9千億円のうち、電通はシェア37%を握り、インターネット関連を除く他の全てのメディアでも、電通はシェアトップである。さらに、オリンピックやワールドカップなどの巨大イベントの利権をも一手に握るその寡占ぶりは、独占禁止法に違反しているのでは?と囁かれるほどだ。
メディアはすべて、その収入の多くを企業からの広告費に頼っている。とりわけテレビとラジオはその割合が高く、売り上げの7~8割が広告収入だ。そうなると、スポンサーを連れてきてくれる電通こそ、大口スポンサー以上に大切にしなければならない特別な存在、ということになる。
その電通は、長い間「スポンサーの代弁者」として絶対的な地位を誇っていた。あるメディアがもしスポンサーの意に反する報道をするなら、そのメディアから広告を全て引き上げるという、その交渉役も全て電通が担っていた。
その分かり易い例が原発広告だ。戦後40年の間に約2兆4千億円にも上る原発礼賛広告費があらゆるメディアに投じられた結果、福島第一原発事故以前は原発に対する批判的報道がほとんどなくなり、国民の7割が原発行政を肯定していた。メディアは、原子力ムラからの広告費欲しさに批判的報道を抑えた。つまり、大量の広告費がメディアを麻痺させ、世論を誘導することに成功していたのだ。そしてその原子力ムラの広告宣伝戦略のほとんどを担ったのが電通だった。これこそ、「第4の権力」である報道機関をカネの力で凌駕する「第5の権力」の証明ではなかったか。
メディアで影響力増すネット業界電通の支配力は崩れるか?
その電通は昨年10月から今年にかけて、新入社員自殺問題で厚労省の強制捜査を受け、それまでの「超一流企業」というブランドイメージが「ブラック企業」となるほどの大打撃を受けた。この事件で初めて電通という企業を知った国民も多かったのではないか。
その電通こそ、長い間全てのメディアが国民に「知らせない」ようにしてきた最大のタブー的存在だった。これまでも社員の不祥事などが少しだけ報道されることはあっても、第一報だけで後追い記事がなく、ニュースサイトなどの記事も凄い速さで消去されていた。
また、そもそも多くの国民は電通の存在さえ知らなかった。今でも大半の国民は電通が何をしている企業なのかほとんど理解していないが、社員が長時間労働とパワハラで何人も自殺するような企業だという事実は知れわたった。
しかしだからと言って、あの事件によって電通が致命傷を負ったわけではない。電通は製造業などと違って直接消費者に商品を届けていないため、ブランドイメージの凋落が直ちに売り上げには直結しないのだ。一度堤防に穴が開いても、いきなり崩壊するわけではないのだ。
この電通問題で民放テレビ・ラジオなどの電波メディアは、同社に対する強制捜査などの「第一報」は流したものの、ワイドショーや報道番組などで同社の問題を深掘りしたところはほとんどなかった。つまり、論評や解説抜きの「事実報道」のみに徹していたのだ。
これは豊洲移転問題や北朝鮮問題について毎日専門家やコメンテーター総動員でこれでもかと論評するのと全く異なるやり方であり、視聴者には気づかれないように「電通隠し」を画策していたと言える。それにもかかわらずこの事件が広く話題になったのは、インターネットのSNSによる情報拡散と、NHKが孤軍奮闘して定時ニュースなどで繰り返し報道したからであった。つまり、ネットという新しいメディアが「電通支配」の構造を崩しだしているのだ。
バブル崩壊後、とりわけこの10年間で売り上げが劇的に伸びた国内インターネット広告費は、昨年初めて売上高1兆円を超えた。アメリカではすでに2016年にデジタル広告費(インターネット含む)がテレビ広告費を超えたと言われており、遅かれ早かれメディア業界の王座はテレビからネットに差し替わるだろう。そしてこのネット業界は群雄割拠で、電通の神通力は通用しない。長きにわたってメディアを凌駕していた「第5の権力」の力が弱まり、それによって多少なりとも健全な報道が甦るのかどうか。今後の10年間におけるメディア業界の変化が、大きな鍵を握っていると言えるだろう。