名古屋共産主義研究会 矢部 史郎
問題だらけ、ごまかしだらけ問答無用の「復興」政策
2017年4月4日、閣議後の定例記者会見の場で、今村復興大臣が記者の質問をさえぎり、声を荒げました。さらには、質問を続ける記者に対して「出ていきなさい」とまで発言しました。
この記者会見の場で表面化したのは、国と福島県が進める住民帰還政策が問題だらけであるということです。国の除染事業はまったく成果をあげられていないにもかかわらず、一方的に住民帰還政策を進め、帰還を拒否する避難者に対しては「裁判でもなんでもやったらいい」、「自己責任だ」と切り捨てたのです。
問題は、今村大臣の個人的な資質よりも、これまで「復興」政策がどのような手法で進められてきたか、ということです。復興政策を支えてきた手法とは、一言で言えば、問答無用、です。まっとうな議論をしない、異論を受け付けない、事業の検証をしない、方針転換はありえない、という態度です。福島の「復興」をどうするかという問題は、きわめて重要な問題であるにもかかわらず、公的な場ではほとんど議論されないできたのです。
「復興」政策が公的な場でほとんど議論されないできたのは、この政策が問題のない十全なものだったからでしょうか。そうではありません。「復興」政策は初めから問題だらけ、ごまかしだらけでした。
25日、今村大臣は更迭され、新たに吉野大臣が就任しましたが、事態は何も変わりません。誰が大臣をやろうと同じことです。「復興」政策はすでに破たんしていて、記者の質問にまともに答えることができないほど行き詰まっているのです。
止まらない国策 止められぬ私たち
現在の福島「復興」政策は、その無謀さをたとえて、太平洋戦争になぞらえられます。「復興」政策は、かつて日本が経験した戦争に似ています。勝ち目のない闘い、嘘で塗り固めた闘い、官民あげて国策に動員される社会、現実を直視せず精神論をまくしたてるマスメディア。
「復興」の名のもとに、汚染被害も人的被害も隠されてしまいます。国策のために目をつぶれ、というわけです。かつては「中立性」だとか「両論併記」だとかいう建前をまもってきた新聞社も、こと「復興」政策に関しては、中立性の建前を捨てて一方的に「復興がんばろう」なのです。これは異常な事態です。
何が欠けているのでしょうか。ここでは、政府と東京電力の策動については、ひとまずおきます。ブルジョア政府が公害隠しのために人民大衆を欺いている、それはそうです。そのうえで私が考えたいのは、政府でも公害企業でもない私たちの側の問題です。 私たちはなぜ、あからさまな嘘を目の前にしながら、あるべき批判精神を発揮できていないのか。安保法制の嘘を弾劾するのと同じだけの熱意をもって、復興庁の嘘を批判し、福島県立医科大の嘘を弾劾してもいいはずです。しかしこと「復興」政策に関しては、「左翼」も「批判的知識人」も声が小さくなってしまうのです。これはなぜなのか。私たちに何が欠けているのか。
欠けているのは、知識でしょうか。放射性物質による人体汚染について、知識が不足しているのでしょうか。情報が充分に周知されていないからでしょうか。
放射能被害とスケールの理解を
たしかにそうした面はあります。今次の放射能汚染事件は、過去のどんな公害事件とも比較にならないほどのスケールをもっています。直接的な土壌汚染だけでも、岩手県から愛知県まで、東日本全体に被害が及んでいます。汚染食品や汚染廃棄物の流通を考慮すれば、日本列島全体が人体汚染の脅威に直面していると言えます。まずはこのスケールを理解することが必要です。
日本政府は放射能汚染問題を福島県の一部の地域に限定しようとしていますが、事態はもっと深刻です。これまで全国の市民測定所が、広域汚染の実態を報告してきました。この実態を知れば、「復興」がどれほど困難で無謀なものか、理解できるはずです。まずは放射能汚染の実態を知ることが必要です。
命がけの避難者と子どもたちは何事も鵜呑みにしない
しかし、知識が必要であることを認めたうえであえて言うのですが、問題の核心はそこではありません。欠けているのは、知識や情報ではありません。
私たちに欠けているのは、構想力です。「復興」政策破たん後の社会を構想すること。「復興」政策が破たんして日本社会がどうにもならなくなった先に、私たちは、「復興がんばろう」ではない別のやりかたで、社会を再構成しなければならない。そのときに、どのような人間が、どのようなやりかたで、どのような社会をつくっていくのか、というビジョンです。
私に明確なビジョンがあるかというと、まだありません。いまは手探りの状態です。しかし、そのための議論はすでに始まっています。「復興」政策に背を向けて別の生き方を模索する人々は、少なからず存在しています。放射能汚染から身を守るために、国策とも、国民主義とも、決別した人々がいます。彼女たちは、「復興」政策破たん後の新しい社会を先取りする存在であるといえます。
彼女たちの多くは子どもを育てています。2011年当時に小学校に入学した子どもは、現在中学生になっています。私の子どもは移住した当時小学4年生でしたが、現在は高校1年生です。この子どもたちは、物心がつくころからずっと、政府やテレビや学校の嘘を眺めながら育ってきました。彼らは、何事に対しても鵜呑みにせず、言葉の表と裏を考える批評的な態度を身につけています。これは、彼らのおかれた境遇から自然に身につくものです。
彼らの批評的態度とは、遊びのような批評ではありません。自分を賢く見せたいとか、善人に見られたいというような、いいかげんなものではない。
彼らに刻まれた批評性とは、母親が多くのものを投げ捨てて死活をかけてもぎとってきた批評性です。それは人間の生存と尊厳に深く結びついたものです。こうした強い批評性をもった人々が育ち、これから数年後には成人して、社会の担い手に加わるのです。
私たちが構想しなければならないのは、集団的実践のための新しい方法、新しい論理、新しいコミュニケーションです。それは、「復興」破たん後の新しい世代とともにできるようなものでなくてはなりません。
これまで私たちがやってきた「社会運動」の方法・論理は、急速に色あせ、古びたものになっていきます。国民主義に半身を寄せたような「連帯」などというものは、まったく見向きもされなくなるでしょう。これまでやってきたのと同じような慣れた手つきで、これから生起する事態に対応することはできないと思います。
何を失わないために避難したか
まず私たちは、私たちが自明とみなしてきたものを、検証しなくてはなりません。たとえば「喪失」の観念。私たちは「喪失」ということを、土地や財産に結びつけて考えてしまいがちです。だから、土地や財産を奪われて難民化した人々を、たんに「喪失」という側面で捉えてしまいがちです。それは問題の表面です。
人々が難民化するということは、たんに「喪失」というだけでは終わらない、新たな生、新たな精神を生み出す契機となるものです。私たちは、土地や財産といった〈数えられるもの〉に目を奪われるあまり、「喪失」を過大に評価してしまう。そして、東北・関東からの避難者たちが何を喪失しないために移住したのかを、見落としてしまう。避難者たちが手放さなかったものを、過小に評価してしまう。
私たちは、難民化した人々が新たな生にむけて新たな生の論理を構築するということ、この〈数えられないもの〉の領域でおきている変化を、見落としてしまうのです。〈数えられないもの〉、〈潜在するもの〉、メジャー(ものさし)では捉えることのできない〈マイナーなもの〉の力が、いま、社会の基層を揺さぶろうとしている。この変化に敏感になるべきです。
2011年に始まったのは、たんに喪失というだけではすまない、生成変化です。これまで自明だと考えられてきた「社会」・「規範」・「コミュニケーション」は、一度バラバラに解体されて、まったく別の姿に再構成されるのです。