関西電力は7日、高浜原発3・4号機を5月中にも再稼働する見通しを発表した。1カ月かけて燃料を入れて原子炉を稼働、6月にも営業運転に入る計画という。
全国で現在動いている原発は、九州電力川内原発1・2号機(鹿児島県)、四国電力伊方原発3号機(愛媛県)の3基のみ。関電は、2基が営業運転に入った後、電気料金を値下げする方針も同時に発表した。料金値下げで再稼働への同意を得ようという露骨な世論利益誘導だが、そもそも原発建設が電気料金を押し上げてきた原因であることは隠している。 関電の再稼働準備は、大阪高裁が大津地裁の運転差し止め仮処分決定を取り消す決定をした(3月28日)ためだが、脱原発派は4月27日の関西電力本店前での大集会を皮切りに、高浜現地集会(5月7日)、福井県を縦断するリレーデモ(5月8日~)、福井集会(5月12日・福井市中央公園)などで、再稼働反対を訴える。
同行動を呼びかけている木原壯林さん(若狭の原発を考える会)、中嶌哲演さん(原子力発電に反対する福井県民会議)に話を聞いた。(編集部)
「新安全神話」を作ろうとしている原子力ムラ
木原壯林(若狭の原発を考える会)
大阪高裁は、新規制基準について「最新の科学的・技術的知見に基づいて策定されており、福島事故の原因究明や教訓を踏まえていない不合理なものとは言えない」とした。
しかし、福島で溶け落ちた原子炉は、高放射線で内部の様子がわからず、事故原因が究明されたとは言えない。また次の事故が福島と同じ原因で起こるとは限らない。事故原因が異なれば、重大事故を避けるための基準も異なる。
そもそも、(1)使用済み核燃料の処理処分法もなく、(2)地震の発生時期や規模を予測することも不可能な状況が科学技術の現状である以上、最新の科学的・技術的知見でも原発の安全運転は保証できない。つまり、「新規制基準」は万全とは程遠く、田中規制委員長までもが、ことあるごとに「『新規制基準』は安全を保証するものではない」と言わざるを得ないのである。
それでも、大阪高裁は『新規制基準』を「安全基準」とみなし、高浜原発3・4号機の運転差止め仮処分を取り消したのである。新規制基準に適合とされた原発は事故を起こさないとする「新安全神話」を作ろうとしている。
原発で重大事故が起これば、時間的・空間的に、他の事故とは比較にならない惨事となるので、原発は万一にも重大事故を起こしてはならない。ところが大阪高裁は、原発に「絶対的安全性」を期待しなくても良いとした。リスクはあっても、経済のためには原発を運転しても良いとする、人の命と尊厳をないがしろにする考え方である。
福島事故以降の経験は、原発はなくても人々の生活に何の支障もないことを実証し、原発は経済的にも成り立たないことを明らかにしている。したがって、ドイツ、イタリアをはじめリトアニア、ベトナム、台湾が原発を断念し、アメリカまで脱原発に向かっている。国内でも、ほとんどの世論調査で脱原発を求める声が原発推進の声の2倍を超え、東芝をはじめ多くの企業が原発製造から撤退しつつある。
事故が起これば、人の命と尊厳を蔑ろにし、故郷を奪い、復旧は不可能に近い原発を、再稼働し、推進する必要は全くない。
原発はトラブル続きで、人類の手に負える装置ではない。一方、原発を運転する必要性も見出だせない。そのため、脱原発、反原発は社会通念すなわち民意となっている。
大阪高裁で逆転されたからと言って、大津地裁の大英断を無駄にしてはならない。重大事故が起こってからでは遅すぎるからだ。目先の経済的利益や便利さを、人が人間らしく生きる権利や事故の不安なく生きる権利と引き換えにしてはならない。
原発を 経済と「科学技術」問題に矮小化してはいけない
中嶌哲演さん(原子力発電に反対する福井県民会議)
大阪高裁決定で重要な争点は、(1)基準地震動と、(2)防災避難計画でした。(1)について大阪高裁は、700ガル基準地震動の策定は、新規制基準を満たしているので安全、としました。しかしこれは、再稼働ありきの理屈を並べただけです。700ガルというのは、コストギリギリのすりあわせの結果であり、耐震設備や再稼働が可能だという電力会社側の都合に沿っただけです。2060ガルを越える振動すら危惧されていますが、こうした説が採用されれば、対策コストが膨大になり、再稼働は不可能となるのです。このため、安全を重視する耐震基準説は棚上げされました。
現在の基準地震動でも対策コストは1~2千億円かかりますが、それでも100万キロワット級原発1基を24時間動かせば、5億円の売電収入を得られます。2基動かせば10億円です。たとえ2千数百億円の耐震改善工事をしても、すぐに元が取れると関電は踏んでいます。そういう目先の利益に動かされて再稼働に突入しようとしていることを、理解して頂きたい。
(2)避難計画・防災計画は、ずさん極まりないものです。特に地元住民の立場として問題なのは、5~30㎞圏のUPZ圏内(原発事故発生時の緊急防護措置計画範囲)の地域住民は、被ばく線量が500μSv/hまでは屋内待機で、これを越えてから避難させる計画だからです。500μSv/hとは、平常状態=0・05μSv/hの1万倍の汚染です。
「本降りになって駆け出す雨宿り…」という比喩がありますが、30km圏内の住民は平常時の1万倍にならないと避難できず、屋内に閉じ込められるということです。そんな被ばくを織り込み済みの避難計画であり、そんな再稼働を地元住民は受け入れられません。
再稼働に反対する根本的な理由
次に、原発再稼働を許してはいけない3つの根本的な理由を述べます。この背景には、「フクシマ」の6年間にわたる過酷な経験があり、再稼働への暴走を許すならば、近未来に「第二のフクシマ」をくりかえす必然性があるからです。
第一の理由は、高レベル放射性廃棄物の増加です。100万キロワット級の原発1基が1年間稼働するだけで、広島原爆1000発分の「死の灰」が新たに生成、増加、蓄積されます。国内の原発群は、既に広島原爆120万発分の「死の灰」を蓄積しており、その巨大で深刻な負の遺産を、後世代にゆだねるわけにはいきません。こうした点が無視され再稼働による大事故が起これば、いかなる惨禍が現世代の私たち自身に襲いかかるかは、「フクシマ」が如実に示しています。
第二の理由は、麻薬的な原発マネーによる国内植民地化された「立地(集中)地元」の過去と現状から目をそらし、もっともらしい個別の安全論議に終始していることです。原発は、大消費地である都市部ではなく、全て辺境過疎地に造られています。福島も若狭も、そうした差別的政策によって原発集中地域となりました。
先に述べたとおり、30km圏内の住民に避難指示が出されるのは、平常時の1万倍もの放射線被ばくを強いられる状況になってからです。そんな大事故の発生も織り込み済みの再稼働なのです。このように、原発立地・周辺の棄民政策は、建設段階から運転・再稼働、事故による被害まで首尾一貫して貫徹されているのです。原発電力の「消費地元」住民が、この観点から原子力ムラ・行政に抗議できなければ、もろともに「被害地元」住民としての憂き目を見ることになるのではないでしょうか。
さらに第三の理由は、日本という地震列島が阪神大震災以降、大動乱期に突入していることです。東北大地震、熊本地震をはじめ、あちこちで想定を越える地震が発生しており、大方の地震学者が「大動乱期に突入した」と観ています。南海トラフ地震も、30年以内に起こる確率は8割以上です。福井地裁の樋口判決の眼目は、「…本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる」という一節にあります。
「万が一」の事故や事態は、数百年に一度というような未来の仮定ではなく、チェルノブイリや福島として既定事実となりました。「少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然である」と樋口裁判長が重説していることを、改めて想起すべきだと思います。原発再稼働は、経済と「科学技術」問題に矮小化してはいけないのです。