「放射脳」左翼全国集会の報告
名古屋共産主義研究会 矢部 史郎
3.11原発事故から6年、各地で甲状腺がんなどの健康被害が多発している。これを見越して3月12日に即座に東京から名古屋へ退避し、その後も警鐘を発し続けたのが、『現代思想』誌などで執筆や活動を続けた矢部史郎さんだ。全国で自ら避難や放射能測定をしてきた無名の人々と、「命が大事」という標語が社会変革の主体になるという。彼らの新たな活動を紹介する。(編集部)
2016年12月17日、名古屋市で、〝12・17「放射脳」左翼全国集会〟が行われました。これは2016年春に結成された名古屋共産主義研究会の最初の政治集会です。
タイトルにある「放射脳」とは、2011年の福島第一原発の爆発以降に日本で使われているスラング(俗語)です。放射能汚染問題を告発する人々を揶揄したり攻撃したりする際に、非公式に使われてきた蔑称です。海外では「放射線恐怖症」という蔑称が使われましたが、2011年以降の日本では「放射脳」という蔑称が使われています。
名古屋共産主義研究会は、東京電力・福島第一原発の爆発に際して、関東平野から退避し名古屋以西に移住した者によって結成されました。放射能汚染は関東平野全域を覆ってしまった、したがって、東京での生活も活動も不可能である、と、私たちは判断したのです。ちょっとにわかには信じられない話かもしれません。しかし私たちは冗談で言うのではなく、現実的にそう考えています。これが「放射脳」です。
「放射脳」という蔑称は、たいへん腹立たしい不当なレッテルです。そこで私たちは、「放射脳」というレッテル貼りを逆手にとって、そのように呼ばれることに開き直ったのです。ああそうだよ、俺が「放射脳」だよ、と。
むかしむかしヨーロッパでは、〝アナーキスト〟という蔑称で呼ばれた人々が、そのことにくじけるのではなく、反対に開き直って、〝アナーキスト〟の闘いを開始しました。その後、〝プロレタリア〟という蔑称を逆手にとって闘った人々もいます。アメリカ公民権運動における〝ブラック・パワー〟にも、きっとそうしたニュアンスが含まれていたでしょう。私たちは、「放射脳」と呼ばれることに悔しい思いをしながら、同じ境遇にある人々に呼びかけたいと思ったのです。「放射脳」は間違っていない。「放射脳」・イズ・ビューティフル。「放射脳」こそが社会変革の主体である、と。
16年テーゼ 革命的敗北主義を!
名古屋共産主義研究会のメンバーは、主要にはアナーキストで構成されています。だから実態に即して言えば、〝共産研〟というよりも〝無政府共産研〟と呼んだ方が、誤解がないかもしれません。しかしまあそんなことはどっちでもいいのです。現在の状況においては。
大切なのは、いま日本政府にもっとも肉迫している闘いはどこにあるか、です。いま日本政府をもっとも震撼させているものは何か。現在の動乱の真の焦点はどこにあるか。このことを示すために、私たちは「16年テーゼ」という文章を発表しました。
「16年テーゼ」の結論の部分を要約すると、
1・福島第一原発による放射能汚染は、日本の信用経済(資本主義)を深刻な危機に陥らせるだろう。金融資本・ブルジョアジー・小地主・小ブルジョアジーは、分解と内部対立に陥るだろう。
2・公害隠しの「復興」政策は遠からず破産することになるが、この破産は「放射脳」たちの闘いによる成果物としなければならない。「復興」協力を拒否し、「風評被害」を亢進させ、攻勢的に日本政府を破産させよ。(革命的祖国敗北主義戦略)
3・広範に現れた「放射脳」たちは、官僚制・議会制・代表制(党)・社会民主主義を解体していく。「放射脳」の反権威主義と非和解的性格を武器にして、政治制度を失調させよ。
以上、結論の部分だけを書くとこうなります。
私たちが、このような転覆的・革命的方針を公開的に表明したのには、理由があります。それは、2011年以降に大規模に展開されてきた反原発運動が、「復興」政策によって混乱させられ、停滞させられているということがあるからです。
そもそも私たちが原子力に反対するのは、原子力産業がまき散らす放射性物質によって、人間が被曝させられるからです。反原発の闘いは、反被曝の闘いです。しかし、東日本を広く覆った大規模な汚染は、多くの人を当惑させ、闘争の原点である被曝問題を脇に追いやってしまいました。さらに、政府による福島「復興」政策が人々に被曝の受忍を要求したときに、「反原発運動」はこれにはっきりと対決することを避けてしまいました。そうして、反原発運動に加わる多くの部分に、原発に反対しつつ被曝受忍政策を追認するという矛盾した態度が生まれてしまったのです。
これでは闘えないのです。私たちは、私たちが何と闘うのか、なぜ闘うのかを、もう一度整理しなくてはならないと考えました。「復興」政策=被曝受忍政策に対する明確で全体的な批判を共通の認識としなければ、反原発運動はこれから生じてくるさまざまな課題に対応できなくなるだろうと考えたのです。
私たちが「復興」と書くとき、そこに必ずカギカッコをつけるのには、理由があります。
第一は、「復興」などできはしない、できないものをできるかのように喧伝して人々を欺き、破産を先延ばしにする時間稼ぎをしているということ。第二に、「復興」の目的は公害隠しであり、公害被害者に泣き寝入りを強いる政策、または泣き寝入りを正当化させるための政策であるからです。
「復興」政策は、いまも多くの住民に放射線被曝を強要しています。この被曝は、事故直後の初期被曝とは別に考えられるべきものです。初期被曝は、初動における放射線防護対策の失敗です。それにたいして、現在の住民の被曝は、防護対策の失敗ではなく、政策的な意図をもって遂行されている被曝強要です。
現在の政府は、公衆の放射線被曝を防止するべきであるという考えにはたっていません。公衆は(病人も妊婦も乳幼児もすべて)放射線被曝を受忍するべきである、「復興」のために被曝を受忍するべきである、という考えにたっています。土壌汚染についても、食品や物品の流通についても、規制基準値を大幅に緩和しています。政府は、公衆の放射線被曝を防止すべきであるという前提を180度転換し、公衆に放射線被曝を受忍させることにしたのです。こんな重大な政策決定を、なんら充分な議論もなく、なし崩しに強行したのです。
日本に暮らす人々、とくに東北・関東の汚染地域の住民は、放射線被曝を受忍すべき者とされてしまいました。したがって、「わずかな量の」被曝を警戒して汚染地域から退避した人々は、まったくなんの補償もされず、うち棄てられてしまいます。彼らはただの難民になってしまったのです。汚染地域にとどまっている住民には、さらに過酷な現実がまっています。「わずかな量の」被曝は受忍されるべきであるから、さまざまな健康被害が放射線被曝に起因するか否かという問題は、一般的に科学的に究明されることがなくなります。問題は、当該者の被曝線量が受忍限度を超えていたかどうか、それを証明できるかどうかという、個別的で行政的な問題にすり替えられてしまうのです。書類をそろえられない人間は簡単にうち棄てられ、なんの問題もなかったことにされてしまうのです。これが「復興」の名のもとに行われている棄民政策です。
緩慢に進行する破局のなかで
日本政府の棄民政策に対して、私たちは人権を回復する闘いを進めていかなければなりません。その中心は、被曝受忍政策をやめさせることです。公衆の被曝受忍を認めない、阻止するという闘いです。すべての人が健やかに生きる権利を、取り返していかなくてはなりません。
とはいえ、「復興」政策が一夜にして覆ることはありません。少なくとも10年は、現在のような棄民状態が継続するでしょう。日本社会の破局は、緩慢に、時間をかけて、だらだらと進行していきます。これから私たちは、多くの人の死を見ることになります。放射線被曝によって、同志や友人や肉親が斃れていく姿を見ることになります。
緩慢に進行する破局のプロセスの中で、私たちは死を意識し、生を意識することになります。このことは避けられない。私たちは否も応もなく、人間の死生を見つめることになる。無邪気に無頓着に生きるという態度は、しだいに失われていきます。生が意識され、生の時間が意識されるようになります。そうして、人権の思想はラディカルな(根本的な)次元に回帰し、鍛えなおされます。行政的に管理されていたもろもろの生が、覚醒し、それぞれの生が自らの意義と課題を再定義していく。たんに生かされているというのではない、それぞれの決意をもって生きようとする人々が、登場する。
命が大事。命どぅ宝。こう書くと、まったくかわりばえのしない退屈な表現に見えるかもしれません。保守的で、防衛的な標語である、と。それは違います。〝命が大事〟という合言葉は、いまもっともラディカルに、非妥協的に、国家制度に肉迫する転覆の思想となっているのです。これは闘いの思想です。攻勢的に声をかけあっていきましょう。〝命が大事〟と。
【名古屋共産主義研究会】
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